続々 多事争論 -戦前戦中の日本で思うこと


相も変わらず文をまとめることが出来ず、多事争論系で今度は文武両道さんに返信していたら長文になったので、記事としてアップすることにしました。ご興味ある方はご覧ください。
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文武両道さん
コメントありがとうございます。
インドネシアの武士道を解した司令官とは、今村均中将(当時、後に大将)のことですよね。
インドネシアでの住民を大事にしたとされている数々の事蹟、その後のラバウルで採った自給自足の持久戦体制などを通じ、敵味方問わず尊敬され、また戦後は戦犯として巣鴨で服役していたところ、部下がもっと環境の悪い南方で服役しているとし、敢えて南方への移送をマッカーサーに申し出て、釈放後も庭に謹慎部屋を設け、そこに蟄居したという、清廉潔白な方ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%9D%91%E5%9D%87
ただ続多事争論のコメントでも紹介したインドネシア政府の公式の歴史は、日本を侵略者として描いているのも事実です。今村中将は1943年にインドネシアを離任していますから、その後の軍政の問題かもしれませんが、こちらから見た風景と相手方の風景の違いというのはやはり大きいのでしょう。
昭和の日本の軍人、特に陸軍軍人をひとくくりに狂信的な戦争屋と見る向きがまだまだ強いですが、今村中将を始め、映画で有名になった硫黄島の栗林中将とか、山下中将とか人間味に溢れた将軍もいたように思えます。陸軍も海軍も青年期にそれぞれの士官学校、大学にてあれだけの厳しい教育を受け、またその際将帥には徳が必要みたいな東洋的なことも教えていますから、たぶん人格者はもっと多かったのだろうと思います。
また、特に昭和の陸軍の指導層は東北地方出身の人が比較的多いですね。東北地方は恐慌等で貧困にあえぎ、娘の身売りが相次ぐという悲惨な背景を持って陸軍に入営した人が多かったといいます。御尊父がそのような事情だったとお聞きし、さもありなんと思います。
なのである説によれば、陸軍の皇道派は共産主義のシンパが多かったと言われているほどです。突き詰めた論理に走ってしまう一面があったのでしょう。北一輝もそうですし、平沼騏一郎の神がかった思想もそうなのでしょう。(この点で今の平沼赳夫さんもあまり好きになれません。また戦前の政治行動という点で言えば、統帥権干犯を議会で言い、滝川事件も引き起こした鳩山一郎も好きになれません。なので鳩山兄弟が友愛と言われても素直に聞けません。)
よく陸軍はその国土着の文化、海軍は文明の力だと言われます。当時の陸軍は良くも悪くも、当時の日本そのものだったのでしょう。
そういった組織があれだけの国策の誤りを主導したわけです。つまり日本人そのものが引き起こしたのです。
この記事で言いたいことは、「日本がどのような戦略を立て、どのような理念のもと、これからの世界で生き抜いていこうとするのか、国民ひとりひとりが主体的に自分の頭で考え、判断すべきだ。」ということです。戦前の日本はとんでもない一部の人がいたから国策を誤ったのではなく、国民ひとりひとりが作り出したムード、そしてゆくべき道をしっかり考えなかった結果だと思っています。そして、それは今の世の中でも近いものを感じてしまうのです。
言論弾圧のあった戦前の時代ですら、斎藤隆夫のような硬骨漢もいたわけですが、現在の日本はどうでしょうか?
戦後生まれの自分が言うのも変ですが、戦争を知らない世代が政治を担う時代です。そこに希望とともに危うさも感じます。希望に満ちた時代にするためにももっと国の行く末をまじめに考える風潮をマスコミ、政治なども含めて作り出してほしいと切に願っています。それが出来なかったときどんな不幸が待ち受けているか、歴史はいろいろな例を示唆してくれているように思えるのです。


「続々 多事争論 -戦前戦中の日本で思うこと」に5件のコメントがあります

  1. 学生時代に愛読した本を40年ぶりに読み直し、
    現代に通ずる本を私塾の課題図書として1年が
    経ちました。
    私は定年後の悠々たる時間を使っているのですが、
    多くの塾生は現役世代、しかも超多忙のなか
    1ヶ月で課題図書を読んで討論に参加するのですから
    敬服してしまいます。
    卒業を控えた時期に丸山真男の講演「福沢諭吉」を聴き、
    同席していた岩波の幹部から、面白い経験を伺いました。
    彼はオーストラリアで捕虜となり、徹底的に民主主義教育
    を受けたそうです。その中味はイデオロギーの押しつけ
    ではなく、本を欧米の名著を与えられて自分で考える
    というのです。
    戦後、ホンダに勤めていたら、吉野源三郎が訪ねてきて、
    岩波への入社を勧められたそうです。
    彼自身の体験を誰にも話していないのに・・・・
    連合国が岩波に教えたのでしょう・・・
    「なぜ現代と通ずるテーマなのか、読んでいて驚く」
    という塾生・・・自分で考えることの大切さ、
    それを議論することの面白さ。

  2. 慶応義塾大学経済学部を卒業し、浜松の本田宗一郎と意気投合、戦後戻ってきたら本田は遊んでいて工場がない。
    「吉野がわざわざ浜松まで出向いてきたので、困った。
    自分は本田と同じでヤクザな男で、岩波には向いていないと断ったが、
    本田のほうが彼に岩波に行くことを勧めた。」
    その後の本田の哲学は、「企業が社員のためにためにあるのであって、社員が企業のためにあうのではない」
    「その人間が本田の外で役立つなら喜んで出す」
    岩波では1冊の本を出すのに、役員全員一致でなければ
    という決まりがあって、徹底的に論議する、
    と彼は言っていました。

  3. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    オーストラリアで捕虜になり、本田技研から岩波書店に行くとは、これまた数奇な人生だったのですね、その方は。
    「現代と通じるテーマに驚く」とのことですが、科学技術の進歩はあるにせよ、人間の心というのは普遍のもの、いや今より不条理なことが多かった時代だけにより深遠なるものに思いを馳せていたのでしょう。
    そういった数々の著作を我々は余りにも振り返らず、また大切にしていないのかもしれません。中国の古典でもそういったことはよく感じますね。
    本田宗一郎さんの
    「企業が社員のためにためにあるのであって、社員が企業のためにあうのではない」
    「その人間が本田の外で役立つなら喜んで出す」
    という言葉には感銘を受けました。育てた人間は、その過程に多くの苦労があるだけにどうしても惜しくなるものです。そんな小さいことを言わずに、社会の公器として振る舞える姿勢は、自分も見習いたいですね。
    では、今後ともよろしくお願いします。

  4. 話題の製造業の部長クラスと対談しました。
    現状分析としては、独立自尊さんのもので一致。
    ただし、状況は更に対応を難しくさせる方向に向かっている。そのため製造業の生命線である研究開発ができない。
    出張先も欧米ではなく中国が圧倒的に多くなっている。
    (前向きの研究開発ではなく、現状維持!)
    65歳定年延長は既に空文化。
    優秀な技術者も前倒しでハローワークに通う。
    工場も既に着工したものまで中断。
    建設会社との交渉が難航。
    既に退職した人の資産には余裕がある。
    思い切って、生前贈与の税を軽くして、
    世代間の不公平をなくす。
    (因みに私も息子の新居購入にあたって、
    消費貸借契約を結び、所得の移転を図りました)
    地デジ、裁判員制度、雇用延長義務、
    すべて好景気のときに決まったもの・・・
    状況の変化に応じて凍結すべきものがある筈。
    政治家も官僚も決まったことは変えない。

  5. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    たくさん書いてしまったので、また新記事の形でアップいたします。
    では、よろしくお願いします。

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