多事争論 -これが100年に一度の経済危機の時代の政治?

昨年のリーマンブラザーズの破綻以来、世界経済も日本経済も危機的な状況に入っています。
平時ではなく有事であることに異論がある人は今となってはいないでしょう。
ところが現在見えている風景は、100年に一度の名を借りた既得権益側の巻き返しと、どうでもいいことの追究に終始する姿勢ばかり。この危機を打破する議論が為されないのが不思議でなりません。
今の状況は、まさに以下の文章に書かれている通りだと認識しています。
「かんぽの宿」騒動に見る“既得権死守”勢力の巧妙かつ公然たる反乱( From DIAMOND online プリズム+one)

 正論がまったく通じない。正論が通じなくなる議論の道筋に巧みに誘導されてしまった、と言い換えてもいい。では、誰に導かれて道を誤ったのか。既得権を死守したい人々によってである。
  「かんぽの宿」騒動の原点に立ち戻ってみたい。オリックス不動産への売却対象となったのは、全国約70か所のかんぽの宿と首都圏の社宅9物件で、売却総額は約109億円である。ところが売却物件の中に、300億円もの費用をかけた豪華施設などが混じっていたために、鳩山邦夫総務相が安売り批判の先陣を切り、次第にマスメデイア、世論に賛同者が増えていった。
 鳩山総務相が自らの権限で売却を止めたのは、
1.一括売却する必要はない。しかも、不況時に売却を急ぐ必要はない。
2.今回の売却物件は平均稼働率が70%であり、経営努力によって収益改善が見込める。
3.地元で買い手を探し、地域振興につなげるべきだった。
4.売却前に、自治体に説明がなかった。
といった理由からである。
 一方、日本郵政は、
1.一括売却しなければ、不採算施設だけが売れ残る。
2.そうなれば、従業員の雇用が守れない。雇用維持は法令で義務付けされている。
3.民営化から5年以内の廃止または売却という期限も、法令に明記されている。したがって、急がなければならない。
と反論する。
 いずれが正論だろうか。日本郵政の主張が、正論である。鳩山総務相に、理はない。
 不採算施設は、好採算施設とセットでなければ売れるはずがない。単純化して言えば、年間10億円の赤字が出る宿泊施設を売るには、10億円以上の利益が出る施設を組み合わせる必要がある。例えば、20億円の黒字の施設と組み合わせる。売却金額は差し引き10億円、あるいはそれ以上かそれ以下か、それは交渉次第である。
 
 重要なのは、全体最適である。今回の売却は、採算性の異なる施設79件がパッケージになっている。いわばその全体最適が109億円と評価された。そのなかの豪華施設一つを取り出して300億円で売れるはずだと主張したところで、それは部分最適に過ぎない。部分最適にこだわって一括売却しなければ、赤字施設が売れ残るのは自明である。
 したがって、平均稼働率が70%もあるという鳩山総務相の主張も、無意味である。平均稼働率以下の不採算施設こそが問題だからである。
 不況時に売却を急ぐ必要はないという批判も、的外れだ。確かに売却時期を遅らせれば、好況が巡ってきて、もっと高く売れるかもしれない。だが、さらに景況は悪化して、売却期限が近づくことも手伝って、買い叩かれるかもしれない。何より売却期間が伸びる間、赤字が垂れ流しになるのである。
 不良資産の処理は、一括売却が基本であり、スピード重視が鉄則である。このことは、1990年代後半以降の不良債権処理を手がけた金融機関関係者や2000年代に企業再生を手がけた人々――産業再生機構に関わった政府関係者も――には、身に染みた常識である。
 かんぽの宿売却は官業ビジネスとの決別であり、いわば不良債権処理なのである。できるだけ高く売れるのが望ましいが、損失を最小限に抑えるのが第一の目的である。そこを、鳩山総務相は理解していない、あるいは意図的に軽視している。
 鳩山総務相の3と4の主張にも、反論しておこう。かんぽの宿を、実は地元の同業者はこころよく思っていない。官業ゆえに赤字を垂れ流しながら営業を続け、民業を圧迫する存在だからである。では、地元のライバルたちは買い手になりうるだろうか。設備の維持費に加えて、従業員の賃金は同業他社比べて高い。旅館業の従業員のそれは他産業に比べて低いが、かんぽの宿の従業員は公務員給与に準じているのだから、格差は当然である。そうした高コスト体質の官業施設を個別購入する買い手が、全国に数多くいるとは到底思えない。
 このように、日本郵政の主張は、経済合理性に則った正論である。ところが、今や正論は通じない。世論は、鳩山総務相を正義の味方とすら評価しつつある。当初は鳩山総務相を社説で批判した大手新聞も、論調を修正しつつある。なぜか。
 鳩山総務相は「安売り批判」に加え、宮内義彦・オリックス会長が郵政民営化推進論者であったことを捉え、「オリックスへの売却は出来レース」と断じた。そして、この二つの批判を補強する材料がいくつも巧みに流れ始めた。例えば、安売り批判に関しては、旧郵政公社時代に178施設が一括売却されたなかに、買い手が1万円と評価して6000万円で転売された物件があったことが暴露された。
 一括売却は全体最適が優先される、と前述したことを思い出してほしい。まず、その178施設の売却総額の妥当性を論じるのが筋だろう。その前に、ある部分を取り出して批判するのはフェアではない。しかも、旧公社時代の事例であり、現経営陣に責任があるわけではない。
 ところが、こうした情報がマスメデイアに取り上げられると、人々は一括売却という手法がいかに不透明で恣意的かを強く印象付けられてしまう。何せ、6000万円で売れる施設を1万円で譲渡してしまったのだから。一事が万事である。そうして、世論は動いた。それが、意図的な情報操作ではないかと疑うのは、私だけだろうか。
 通常、霞ヶ関官僚は、国会質問をするための情報など野党には出さない。ところが、複数の野党議員によると、「今回の売却問題に関しては、電話一本で総務官僚から国会での追求材料が山ほど出てきた」と言う。
 ある自民党幹部によれば、「鳩山総務相と旧郵政官僚はスクラムを組み、日本郵政の人事に介入し始めている」。その実例かどうかは判断できないが、今回の売却凍結騒動の最中、旧郵政大物官僚の団宏明・郵便事業会社社長が持ち株会社の代表権を持つ副社長に就いた。ある経団連副会長は、「鳩山さんは、西川社長の首を切って団さんを昇格させたいのだろう」と見る。
 旧郵政官僚を排除し、世論の支持を背景に小泉政権が推進した郵政民営化を巻き返す動きが、郵政民営化によって既得権を失いかけた人々の手によって始まっている。既得権を死守したい人々――選挙を控えて特定郵便局長の票田が欲しい政治家(与党議員に限らない)、世襲の利権を守りたい特定郵便局長たち、郵政利権を失いたくない総務官僚、賃金が相対的に高いかんぽの宿の従業員すらその一員といえるだろう。
 権力関係の入り組む永田町と霞ヶ関に住み慣れた人々は、こうした既得権を巡る闘争に極めて通じている。銀行の頭取出身で旧大蔵省との関係しか知らぬ西川社長では、とても歯が立つまい。
 断っておきたいのだが、私は、竹中平蔵元総務相が設計した郵政民営化に賛成ではない。郵政改革は必要だと考えているが、現在の4分社方式は矛盾を内包しているし、そもそも郵便局の統廃合に手をつけない改革はまやかしだと思っている。また、竹中氏の改革手法は雑駁かつ近親者だけで遂行されるという印象も強く持っている。
 しかし、だからといって、巧妙かつ公然たる既得権を死守したい人々の巻き返しを見過ごすわけにはいかない。
 最後に、極めて重要な二つの点を挙げたい。
 第一に、鳩山総務相の売却差し止めが将来、日本郵政の損失を拡大させ、それが財務に響き、株式上場にマイナスとなれば、国庫に得られるべき利益が減ることになり、損失をこうむるのは国民である。さらに、郵政民営化が混迷し、旧国鉄のような事態になれば、税金を投入しなければならなくなる。既得権死守闘争は、国民負担となって跳ね返るのである。
 第二に、小泉政権の構造改革が格差を拡大させたという批判が高まっている。格差には二種類ある。一つは市場主義経済の歪みによる格差であり、政府は社会的弱者のためのセーフテイネットなどの対策を迫られる。だが、もう一つは、既得権者と非既得権者の格差である。小泉構造改革はこの格差を打ち壊した。その打撃を受けた既得権者たちが、社会的弱者の味方である振りをして、論理をすり替え、自己保身の反転攻勢に出ているのである。
 既得権者たちの巻き返しは、日本郵政に限ったことではない。次回は、薬のインターネット発売禁止に関して論じたい。自民党と結びついた医師会、薬剤師会の巻き返しである。

なぜ、こんな茶番みたいな話で鳩山総務大臣が正義の味方のようにならなくてはいけないのでしょうか?掲載した文章にもありましたが、これでダラダラと損失を垂れ流したら、どうやって責任を取るつもりなのでしょうか?少なくとも、この赤字を解消する方策はほとんど差し示していないのに。
また、最近の与謝野財務・金融・経済産業大臣の発言も、首を傾げるを通り越して、憤りすら感じる内容です。

・ 与謝野馨財務・金融・経済財政担当相は6日の参院予算委員会で、小泉内閣が推進した規制改革について「一時期、規制緩和はすべて善という信心がはやったが、これは間違った信心だ。何のためにどういう効果があるのかを考えながらやるべきだ」と批判した。
・ 与謝野馨財務・金融・経済財政相は10日の参院予算委員会で、小泉政権の経済政策に関して「世界が順調に成長していくという前提の経済学だった。その証拠に中小企業金融公庫や日本政策投資銀行などを民営化しようと、そういう政策金融機関は不要だ(と判断した)」と指摘した。その上で「不況が来ないことを前提とした経済学で、間違いだった」との認識を示した。
 小泉構造改革については「財政出動を手控えていたため、副作用が起きたのは間違いない」と表明。「やむを得ない側面があったにしろバブル(経済)の後始末の過程は日本社会につらいことで、その間に非正規雇用が生まれた」などと述べた。

このお方は評論はたくさんするのですが、じゃあ一体どうするの?ということに対して寡聞ながら、明確な道筋を提示した印象がないのです。ここ最近で言ったことと言えばリーマン後に蜂に刺されたくらいだと言ってみたり、給付金で対象者に富裕層は含まれないと言ってみたり、外してばっかりじゃないかと思うのです。なぜ政策通ともてはやされるのかが、よくわかりません。
評論についても、じゃあどういったところが問題点で、どこら辺が順調に成長していくという前提の経済学だったというのかを示さず、規制緩和についての話も「間違った信心」と切り捨て、何が悪いのかがさっぱりわかりません。
それに対して竹中氏はビル・エモットとの対談で、

【特別対談】竹中平蔵vsビル・エモット(1) 米国型資本主義の終焉を説く愚
(前略)
竹中:もうひとつ重要な論点を挙げれば、それは現在の深刻な不況といいますか、世界不況の基本的な性質、本質をどう見るかではないでしょうか。
 日本では今、少なからぬ人、特にメディアが、米国型の資本主義、米国型の金融・経済の崩壊という言葉を盛んに使っています。確かに、米国の経済は非常に深刻な問題を抱えている。その結果、世界の経済システムが非常に深刻な状態に陥っていることも事実です。しかし、本当に米国型の資本主義や金融・経済システムが崩壊したとまで言い切ることが正しいのでしょうか。私はそうは思いません。
 そもそも、今回問題を起こした国は米国だけではありません。米国の資本主義とは異なるシステムを持つ欧州諸国でも問題は起きているし、社会主義者がマーケットエコノミーを運営している中国でも問題は発生している。石油輸出国も例外ではありません。
 要するに、今回のことは、単なる米国のバブル崩壊ではない。正しくは、“マルチバブルの崩壊”とでも呼ぶべきものなのです。資源バブルしかり、円安バブルしかり、ユーロバブルしかり。もちろん米国の市場バブルもありましたが、この“マルチバブルの崩壊”こそが(現在の危機の)本質であると私は考えています。
「政府の失敗が招いたコンフィデンスの危機」(竹中平蔵)「唯一規制強化が必要なのは金融分野」(ビル・エモット)
エモット:同感です。今回のことは、われわれに何か国家と市場との間に存在する適正バランスについて情報を与えてくれるものではないと思っています。低金利政策の結果としてもたらされたチープマネーや金融規制の不備など複数の異なる要素が合わさって、多くの国で起きたクレジットバブルとその崩壊というのが、冷静に考えた場合の、今回の危機の最大の特徴ではないでしょうか。
 たとえば、住宅バブルが発生した国は、米国だけでなく、アイルランド、スペイン、フランス、英国など広範に及びます。小さな政府を標榜したレーガノミックス的な資本主義の国だけでなく、フランスのような介入主義的な資本主義の国でもクレジットバブルは起きて弾けた。何が共通かといえば、このことです。そして、バブルが崩壊したことで、家計セクターは今、負債を減らして、貯蓄を増やそうとしている。この動きがさらに経済を縮ませている。
 一方、この間、世界貿易の拡大やコモディティバブルの恩恵を受けていた国々もあります。(彼らからすれば)、現状はクレジットバブルの崩壊だけでなく、“貿易バブル崩壊”でもあり、“コモディティバブル崩壊”でもあります。ショックが何重にも重なっている。
 いずれにせよ、どの国もここ数年は、世界経済の成長を介して、グローバリゼーションの恩恵を受けてきました。われわれは皆、良い時に結ばれていたわけですから、悪い時にも一緒にダメージを受けるのは自明の理です。
 では、どれくらい長い危機になるのか。私は世界が貿易をオープンにしている限りは、悲観的になりすぎる必要はないと思っています。いくつかの国で成長が再び始まり、新しい投資が貿易の拡大を通じてやがて他の国・地域に伝播されていくはずです。この危機を乗り切る上での大切なことは、グローバリゼーションの流れを止めないこと。言い換えれば、オープンエコノミーを保つことであり、(経済運営に関して)基本的にリベラルなアプローチを続けることであるはずです。唯一規制強化が必要な分野があるすれば、金融システムでしょう。米国をはじめとして、明らかに多くの国で規制上の間違いが起きました。

どう読んでもこちらの方が、経済学になっているし、どういう点が問題だったのか、つまり金融システムが経済活動の根幹を担っている以上、適切な規制は必要で、その部分が至らなかったとしています。十分頷ける話です。
今はいろいろな情報が交錯する時代です。その中で単純なる感情に訴え、結果なんともならない方向に行ってしまいそうな話も多数あります。それが日本の中からよく聞こえてくるのが残念でなりません。
今、アメリカではこんな言葉が出ています。

米大手銀に「ゾンビ銀行」なし バーナンキFRB議長( From nikkei net)
 米連邦準備理事会(FRB)のバーナンキ議長は3日、上院予算委員会での証言で「現時点で米大手銀行にゾンビ(死に体)金融機関があるとは思わない」と述べ、事実上破綻しながら市場で存続している大手銀はないとの認識を示した。
 ゾンビ銀行の定義を問われた議長は「(かつての)日本の状況に関連して度々使われた言葉だ」と指摘。「倒産した顧客を長期間抱え、新規融資をせず、資本調達など経営健全化に向けた努力を何もしない銀行が(日本には)あった」と説明した。
 その上で「米大手銀はすべて融資をしているし活動的で、存続可能だ」と強調。1990年代の不良債権問題の処理に関連し「日本の失敗は迅速かつ積極的に行動しなかったことだ」と述べ、「われわれはそうではない」と力説した。

日本は規制緩和だの市場原理主義だのをやったから今苦境に陥ったのではなく、「迅速かつ積極的に行動しなかった」から不況が長引いたと見られているのですよ。そこら辺を、現在の閣僚さんや首相はわかっているのでしょうか・・・?
でも、だからと言って政局しか興味が無さそうな現在の民主党も全くと言って良いほど、信用できません。
どうしてこんなことになってしまっているのでしょうか?
求む!真に日本経済と今後の日本の行く末を真剣に考えてくれる政治家と政治体制といったところです。

「多事争論 -これが100年に一度の経済危機の時代の政治?」に6件のコメントがあります

  1. 野球はもちろん、経済学はさすがですね。
    いつも「目からウロコ」という感じです。
    やはりあの人気取りの大臣のために
    大迷惑をこうむった大手ゼネコンの幹部。
    「この損失は、どこにも持っていけない。」
    もう一方の党首の悪代官ぶり
    百姓への年貢の取りたてみたい・・・・
    検察への自発的協力がなければ、
    ここまで追い詰められません・・・
    このへんはオフレコなのでこの程度に。

  2. 総務大臣は経済に倫理をもちだしたために
    経済が歪められた。
    メリルは政府に泣きつきながら、
    自分たちは高額のボーナスをせしめる
    経済に倫理は関係ないと開き直ったため
    経済が歪められた。

  3. 融資を受ける理由

    資金が必要だから、融資を受けるわけです。融資が必要だから、計画を立てるわけです。消費者金融についてのお話も少ししましたが、公庫についても、私の知る範囲でお話してみたいと思います。公庫にもいろいろな目的に応じた機関があります。起業や設備投資に関する公庫は、国民生活金融公庫(2008年の秋頃より日本政策金融公庫)と中小企業金融公庫辺りです。住宅ローンの公庫(住宅金融公庫)もあります。各地域における地域振興金融公庫もあります。農林漁業の金融公庫。また、地…

  4. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    確かに経済活動は自由であればあるほど、倫理観というものが必要になってくると言われています。
    アダム・スミスは「道徳感情論」を著した上で「国富論」を説きました。
    渋沢栄一は「片手に論語、片手に算盤を振って」臨みました。
    江戸時代中期、石田梅岩は、武士には武士道があるように、商人にも商人道がある、職業倫理 ― 正直、倹約、分限を守れ、目先の利益を追うべからずと教えています。
    但し、これは人気取り大臣がやったこととは程遠いと思います。彼は倫理ではなく正義を振りかざしたのでしょうね。正義という概念は、とても危ういです。絶対的であるが故に、思索が加わらない。社会で生きていく以上、相対的な見方ということが、特に政治では求められると思います。すべてを絶対的な価値観で見たとき、ヒトラーのようなモンスターが生まれるのです。
    メリルリンチを始めとする金融業界の方の給料のお話は、まさにそうですね。成果を出したから高給は当然だというのはわかるにせよ、クラッシュしたのならその振れ幅分くらいの低賃金も受け入れないと、論理的に破綻しています。
    いつもながら、鋭い視点でのコメント、ありがとうございます。興味深く読ませていただいております。

  5. こういったことにはコメントしたことがない私ですが今回だけは。薄々気づかれていると思いますが、私の会社そのものですので。今回の騒動ははっきり言って怒りを通り越しています。そもそも民営化していったい国民にプラスのことがあったのかと今でも疑問に思っています。麻生さんが『国民があの法案をどれだけ理解していたか』と発言されたとき思わずうなずきましたし、実際に仕事をしていたお客様をもているとそう思うからです。またあの先生方は、選挙の際に踏み絵を踏んで当選なさったのですから。いくら株式を政府が保有しているからと言って1民間企業がやっていることに口出しされたくないです。勝手に民営化して、それで不良債権はそのままなんで冗談じゃないって。ついにこのような自民党政権を作った、あのとき賛成票をいれた方々にも。国鉄や電電公社の民営と室が違いすぎるんです。

  6. おくさん
    コメントありがとうございます。
    やっぱり現場の最前線で接していらっしゃる方の言葉は重みが違いますね!
    自分は建築業界なので、耐震偽装以降の敢えて言えば訳のわからない改正の数々に、「本当にわかってこの法改正を決めたのか?国会では何を審議したんだ?」って思うことが多々ありました。
    それと同じことが郵政の現場でも行われていたわけですね。
    民営化をすることの是非、民営化した後の政府の関わり方、すべて考えが深まっていない中で動いているようです。もっと深く深く掘り下げる思考が求められていると思います。

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