昭和史を読みながら感じる既視感


最近、読んでいる本で、平易かつ興味深いのが半藤一利さんが書いた「昭和史 1926-1945」です。

その中で、最近の国会のニュースでも同じようなことがあったなあと思い、その部分をご紹介します。
国家総動員法の下りのところです)

総動員法の委員会でしつこく質問する人がいて、それにいちいち陸軍省軍務局員の佐藤賢了中佐が答えていました。陸軍はどう考えているのか、といった端的な質問に対し、佐藤中佐は長々と何度も同じような答弁をするのです。それ苛立った政友会の宮脇長吉代議士が「長過ぎる!」「いい加減にしろ!」などと野次を盛んに飛ばすと、佐藤中佐がついに「黙れーっ!」とこれを一喝したのです。

これと同じようなことが先週の国会でありましたね。

亀井氏「うるさいから言っただけ」 参院予算委での発言で(From NIKKEI NET)
 亀井静香郵政・金融担当相は29日の記者会見で、27日の参院予算委員会で自民党議員のヤジに「うるさい」と言い返した問題について「うるさいから『うるさい』と言っただけだ」と開き直った。そのうえで「国会議員の質問とは思えない。少年探偵団でもあんな質問はしない」と野党側を批判した。 (19:17)

こんな風に、現代の国会では「うるさい!」と言ったり質問者に野次を盛んに飛ばす閣僚が開き直っていますが、戦争前夜の国会は、その後そうは動きませんでした。

説明を義務とする者が代議士に向かって威嚇するとは何事か、と大騒ぎになって委員会はガタガタ紛糾し、ついに翌日、杉山(元)陸軍大臣が「心から申し訳ない」と詫びる事態になります。

国会崩壊と揶揄されていますが、一番の違和感は、立場なりの行動をみんながとっていないことだと思います。
もう一度歴史を振り返り、為政者がどのような態度を取った時に国が危うくなるのか、政治家だけでなく我々一人一人がもっと考えるべきだと思います。「説明を義務とする者が威嚇するとは何事だ!」という論調が殆ど出ていないことに危惧します。
なんとなく鳩山さんが近衛さんに見えるんですよね、最近。
Massyさんがブログでおっしゃっている通り、「国民はモット勉強して鋭い判断をしないと...日本を愛さないと...本当に未来が無くなってしまう。」と思えてくるのです。
そういった意味で、昭和史は現代の我々にとって示唆に富んだ、勉強すべきことの多い時代に感じられるのです。


「昭和史を読みながら感じる既視感」に2件のコメントがあります

  1. この方との出会いは何んといっても
    ノモンハン
    秋山兄弟の合理的な軍の思考が、
    非合理な特攻精神に変わった事件・・・

  2. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    確か「ノモンハンの夏」ですよね。一説によると司馬遼太郎さんがノモンハン事件について書こうとしていたので資料を一緒に集めていたが、司馬さんが余りの悲痛さに書けなくて、その後を継いで書いたとも言われています。文藝春秋の編集長をされたりしている中で「歴史探偵」としても活躍されていますよね。
    でも半藤さんの白眉と言ったらやはり「日本の一番ながい日」のような気もします。ぎりぎりのところでのそれぞれの立場での行動はやはり興味深い物がありますよね。
    最近の日本がそこまで合理的だったかどうかは別にして、今なされようとしている色々なことが合理的なのかどうか、それこそを徹底的に討議してもらいたいと真に思います。今の「あなたがただけには言われたくない」といった理論では、どうしようもありません。

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