坂の上の雲旅行3日目 -萬翠荘と道後温泉


松山旅行3日目は、もともとの予定では坂の上の雲ミュージアムで読み足りなかった色々な資料を読むはずでした。
ところが入り口にこんな看板があり、
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館内に入ったらボランティアガイドさんが萬翠荘をご案内いただけるという表示があったので声を掛けると、じゃあ早速という話しになり、まずは館内も案内しますよとのこと。
そこで聞いたお話は興味深いものでした。

松山藩は藩主が元は松平姓を名乗っていましたが、その関係からか幕末期、幕政では存在感を増していました。
13代藩主松平勝成の時、黒船がやってきて、松山藩は自費で神奈川に大砲を作ります。その功もあり出世し、第一次長州征伐では一番手の出兵を命じられ一応勝利します。そして第二次長州征伐では足並みの乱れもあり、実質は松山藩単独で攻めることに。
その後家督を譲り、第14代藩主の松平定昭は史上最年少で老中に就任となりますが、ここで戊辰戦争が勃発。
幾度も攻められた長州は松山藩を目の敵にしており、攻め込もうとします。
ところが松平家は土佐の山内家と姻戚関係にあり、その他もつながりがあったことから土佐が先手を打って松山藩を「土州預」とし、長州藩を入れなかったとのこと。但し松平姓は廃止し、久松姓としたとのことです。

展示では、幕末の動乱で土佐藩が進駐したとしか描いていなかったので、土佐は占領軍に見えましたが、見方を変えると恩人でもあったのですね。そりゃあ、秋山真之が上京する時に「伊予松山藩の名を高らしめよ」とも言われますね。
また、「新聞『日本』と子規」の展示室では、飾ってある新聞『日本』を手渡ししてくれて読ませてくれました。後で係員さんに怒られていましたが[E:coldsweats01]
そこの記事には

中国という国はだらしがない。古来から歴史を振り返ってみてみれば、いろいろな異民族に侵略されているが、未だに「中華」と称して、体面ばかり高く取り繕っている。こういったことに対して庸懲しなければいけない。でも我が新聞社としては、中国をほしいままにしようとすることは反対だ。

みたいなことが一面にどーんと書いてありました。
また、イギリスのタイムス紙が掲載した物で、日露戦争開戦時に

「以前日本は三国干渉に応じて、寛大な姿勢を示したが、その結果ロシアの南下を招いた。今日本は国力も蓄え、以前のような善意による失敗がないようにするはずだ」

なんていう記事もありました。
まだ読み終わっていないので書評は書いていませんが、「日露戦争と新聞」を読んでも、当時の感覚というのは今の世の中と違う部分も多々あります。ここを理解しないで歴史を論じても、本質は衝けないんだろうなあと改めて思いました。
さて、殆ど資料を読むことも出来ないまま、萬翠荘へ。
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これは旧藩主の松平定昭の跡継ぎの久松定謨が建てたフランスルネサンス調の建物で、別邸として建てられました。西洋建築では左右対称で作る場合が多いですが、日本では左右非対称が多く、この建物も左右非対称になっています。夏休み前の仕事で紹介した家の建築家もそういえばそんなことをお話ししていました。フランス風にしていたのは、彼のフランス留学期間が長かったから。坂の上の雲をお読みになっている方なら気付くかも知れませんが、秋山好古が付き従った方がこの久松定謨さんだったのです。

まあ、ここまでは一般的に書いてあったのですが、ここから先はこのボランティアガイドさんのお話が冴えます。

この建物が出来てすぐに、当時摂政宮だった昭和天皇がこちらにいらっしゃいます。公式HPにも「裕仁親王(後の昭和天皇)の松山訪問に合わせ、完成を急がせたとも伝えられております。」と書かれています。というより、それが目的でこの建物を建てたのだと。なぜか?当時摂政宮は「宮中某重大事件」というものに巻き込まれ、ご自身のご結婚問題がありました。実は久松定謨さんの奥様は昭和天皇のお后のお母様の姉妹。11月22日に裕仁親王がいらっしゃった後、23日は新嘗祭(今でも勤労感謝の日となっていますね)の名目で、1日スケジュールが空いていたそうです。ちょうど微妙な時期に、微妙な関係の所でのご訪問。定かかどうかはわかりませんが、ロマンチックなお話しを・・・。

なんてことを資料を交えながらご説明下さいました。なるほど。また秋山好古が陸軍大将になったのに久松定謨は陸軍中将止まりだったというのも長州から疎んじられていた・・・、なんて話しを聞くと大正という時期はまだまだ幕末の匂いを色濃く残していたんだなあと思います。
そんな話しをお聞きしていたこともあり、予定が大分ずれて、結局坂の上の雲ミュージアムで資料は全く読めませんでした。またいつか行かねば。
そして夜は日本最古の温泉とも言われる、道後温泉本館に。聖徳太子も朝鮮の人と一緒に温泉に入りに来たそうです。
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建物もご覧の通り古く、冷房はありません。神の湯、霊の湯とあり、入館料によって差があります。今回は2階の霊の湯に入ることに。こちらだと貸しタオル、浴衣、お茶、せんべいが付きます。さて入ろうとしたら、館の人に「昭和天皇も入られた「又新殿」をご案内しますということで、こちらのご説明を聞くことに。松山は昭和天皇のゆかりの土地でもあったのですね。
そして霊の湯に戻り、熱いお湯につかったあと2階のこじんまりとした広間に。
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湯上がりだけに冷房無しはちょっと暑かったですが、じきに慣れてきて、扇風機の風が心地良く感じるようになりました。
ここで出てきたお茶です。ちょっとぬるめで美味しかったです。
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まあ、こんな感じに過ごした3日目でした。


「坂の上の雲旅行3日目 -萬翠荘と道後温泉」に6件のコメントがあります

  1. 来月の私塾ではブルーノ・タウトの
    桂離宮の美、機能性について
    プレゼしたあと、
    日本の伝統建築に造詣の深い方と議論します。
    タウトは京都だけでなく、白川郷から北陸、
    東北まで民家に至るまで観て回っています。
    カント哲学と日本建築、
    ヒトラーに追われて日本に亡命したことが、
    日本建築の虜になったとは・・・
    ドラッカーが最初に日本にひかれたのも
    浮世絵から・・・
    それが経営学まで行き着くのですから・・・

  2. お帰りなさいませ、松山旅行を満喫なさったようですね。
    しかも中学野球選手たちに出くわすとは!
    香川は何度も行ったことがありますが、愛媛はマイントピア別子(銅山)あたりまでで、松山市には行ったことがありません。
    伊丹十三さんの映画は全部見たので、機会があったら行ってみたいです。
    管理人さんの楽しそうなご様子を読んでいるうちに、ゆったりとした国内旅行もしてみたくなりました。
    何しろいつもドタバタしていて、特に昨日などは子供が朝6時から夜中の12時まで宿題に追われており、まさに修羅場でした。
    ここまで計画性のない子だとは思いませんでした!
    もっとも私のところにも「宿題提出間に合いそうにありません。」と昨夜10時過ぎに連絡が来て、「とにかくやったところまででも出すように。」と促しておきました。
    自分自身は宿題はギリギリという思い出はないのですが、子供を持つことにより、他者に寛容になることができます(笑)

  3. しかし野球部の子・・・
    試験はともかくも
    宿題する時間があるのでしょうか?

  4. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    各国の文明に優劣は無く、ただそれぞれ個性があるのみだと思います。その上で、日本建築にも十分な個性があり、ここに誇りを持つべきだとも思います。
    この旅行では自ずと明治期の人びとの話を読むことが多かったのですが、明治期の人びとは江戸時代からの流れがあり、自らのルーツを江戸期に育まれた文化に置いているため、芯の部分がぶれないですよね。それに比べて神国日本、大和魂、肇国の精神などにルーツを求めようとした昭和初期は・・・。
    こちらの萬翠荘の建築家も西洋建築の技法を採り入れつつ、日本建築の良さを入れようと努力されていました。その隣の坂の上の雲ミュージアムは安藤忠雄さんのいわゆる打ちっ放しにこだわった手法を採り入れており、建築的にもこの空間は面白かったです。もっと見てみたかったなあと言うのが率直な感想でした。

  5. フレフレ少女さん
    コメントありがとうございます。
    いやあ、行く前はよくわかっていなかったのですが、伊予松山はいいところでしたよ!是非一度伺ってみてはいかがでしょうか?国内旅行でもまだまだ知らないところが多く、色々行ってみたくなります。
    自分は逆に前日にゆったりと過ごしたことがないくらい、切羽詰まらないと宿題をやらないタイプだったので、お子様にシンパシーを感じます[E:happy01]
    電話してきた彼も電話してきただけ、とてもかわいく感じるものですね。
    以前のどこかの政治家ではありませんが「寛容と忍耐」というのは、人と接する上で大事ですよね[E:confident]

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