なぜ人々は、マスコミから離れるのか(塩野七生)を読んで -文藝春秋十月号



本屋さんに行ったら、塩野七生さんの「日本人へ リーダー篇 (文春新書)
」がベストセラーとして紹介されていました。
この「日本人へ」は、文藝春秋の冒頭に掲載されている短文をまとめたもとですが、確かにこれはいつもいろいろと考えさせられる内容が多いです。
そして今月号の「なぜ人々は、マスコミから離れるのか」はいつも自分も思っていることをおっしゃっていて、とても共感しました。
その内容の一部をご紹介します。

日本でも、新聞や雑誌の経営が困難になっているという。ここイタリアでも同じで、(中略)、購読者は離れる一方。
この理由を、イタリアでも、世の中のIT化とリーマン・ショック以降の広告の減少にあると言う人は多い。だが、本当にそうであろうか。責任は受け手だけにあって、発信する側にはないのだろうか。

と、まずは問題提起をした上で、自分も読まなくなったとした上で、

テーマの取り上げかたが、卑しく下品に変わったからである。政治ニュースならば、政局については騒々しいくらいに論ずるのに、政治を真正面から取り上げた記事はほとんど見かけなくなった。(中略)コメンテーターとしてテレビに始終顔を出す政治評論家も学者も、重要なことはさし措いて瑣末なことしか論じないという点では変わりない。低俗化したしたほうが、購読者は増え視聴率は上がると考えているのであろうか。

と論断。その上で、

ところが、この考え方こそが、人々を離してしまったのだ。なぜなら人間は自分個人にならば卑しく下品なところがあると知っていても、そのようなことばかりを浴びせかけられる状態がつづくと、遅かれ早かれアレルギーを起こすものなのである。
(中略)
マスコミは、政権をとるまでは持ち上げておきながら、政権をとるや手の平を返したように、あることないことに批判を浴びせる。いや、批判ではなく非難だ。行かず後家の意地悪、とでも言いたいくらいに。
(中略)
このネガティブ・キャンペーンの結果はどうなったか。
ベルルスコーニ派か反ベルルスコーニ派かには関係無く、全員の人相が卑しく下品に変わったのである。より卑しく下品になったのは、防戦のあまりに硬直化してしまった、ベルルスコーニ首相であるのはもちろんである。
そしてもう一つの結果は、こうまでしてもイタリアのテレビ・ニュースを見る人は減るばかりで・・・(中略)
つまり、誰もトクしなかったのである。

として、

なぜなら、危機から抜け出すために努力を惜しまないつもりでいた人まで、失望させてしまったからだった。
問題は、「何を取り上げるか」よりも、「どう取り上げるか」なのである。

と喝破。そしてマスコミの根源的問題にも言及します。

新聞記事や雑誌の論文やテレビでの討論は、公正で中立で客観的でなければならない、ということになっている。だが、この三原則を完璧にクリアーするのは不可能に近い。
なぜなら、何を取り上げるかよりも、「どう取り上げるか」には、取り上げる側の問題意識に加えて、その人の性格までが露わになってしまうからである。
(中略)
公正・中立・客観性だけを思っていると、それに縛られてしまって、一体全体何を知り何を書きたかったのか、という、根元的な疑問を忘れてしまうのだ。その結果、日本をどうするつもりか、という、根元的なことを知りたいと願っている読者や視聴者を離してしまうことになる。つまり、足下の砂が崩れつつあるのに、自己満足にふけるのを止めないことこそが、人々のマスコミ離れの真因ではないかと思うのだ。
政府となれば誰が率いていようと反対し、権力は、何であろうと悪と極めつけ、政治には無関係の私生活までほじくり出してはスキャンダルとわめき立てる。これこそ行かず後家の意地悪で、なぜなら、自分は手にしたことはない権力を持っている人に対しての、姑息で浅はかで程度の低い羨望と嫉妬にすぎない。

そして、「初心に戻って振り返ってみては」と締められています。
まさに日頃マスコミの論調に対して感じていたことです。今回の代表選についても、親小沢・反小沢のくくりでの報道ばかり。終わって人事の話になってもまだ続いています。そして、それに反応するような人たちのコメントを掲載し、またもや対立を煽るだけ。そうではなく、日本をどのようにすべきだと思うのか、今のマスコミも遠慮無く発言すればいいのだと思います。明治の日本の新聞の方がよっぽど「日本はかくあるべし!」と主張していました。変に中立を装ってただ政治をけなすよりも「社会の木鐸」になると思います。
そういえばニューズウィークの6月頃の記事でもこんなことが掲載されていました。
日本を殺すスキャンダル狂い
営利企業であるマスコミの矛盾が色濃く出ているように思います。が、ただ単に大衆迎合しなければニュースは見られないわけでは無いと思います。実際、テレビ朝日系列の「そうだったのか!池上彰の学べるニュース」は手堅い視聴率を上げているそうですし、もっともっと我々の知的欲求を満たしてくれるニュースが増えるといいですね。


「なぜ人々は、マスコミから離れるのか(塩野七生)を読んで -文藝春秋十月号」に4件のコメントがあります

  1. 私は日刊ゲンダイが嫌いです。
    とにかく政権を徹底的に叩く。
    あれだけ小沢を叩いていたのに、
    代表選で菅を叩く。
    塩野さんが凄いのは世論に迎合しないことです。
    それがまたジャーナリズムの人気を得るのですから
    皮肉です。
    野球からジャーナリズムまで、
    このブログはお勧め!

  2. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    「政権を叩く」。これはある種の信念としてまあわかるとしても、以前言っていたことをひっくり返して、180度変わった論調で攻めているのをみると、首を傾げたくなりますよね。
    そういえば明治天皇の詠まれた歌の中で
    みな人の みるにひぶみに 世の中の
    あとなしごとは 書かずもあらなむ
    (誰もが読む新聞(にいぶみ)には、世の中のことについてはウソは書かないようにしてほしいものだ)
    というのがあるそうです。明治も平成も本当に変わらない物ですね。やっぱり新聞は売れないとにっちもさっちもいかないですしね・・・。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください