【多事争論】やはり、今の中国はしたたかではない?

ノーベル賞で日本人の方が2人も受賞されたりで、今年もまた随分と盛り上がっていますね。
そんな中、平和賞についてはちょっとした騒動に・・・。
まずは
中国、劉暁波氏のノーベル賞候補に不快感(9/28 From YOMIURI ONLINE)
といった形で、割と露骨にノーベル賞選考委員会に圧力をかけ、
いざ今日、

ノーベル平和賞、中国で服役中の劉暁波氏に(10/8 From YOMIURI ONLINE)

と決まるとお得意の海外テレビニュース一時停止から始まり、ノーベル賞の選考委員会に中国外務省がHP上で「こういう人物に平和賞を授与したのは平和賞に対する冒涜(ぼうとく)だ」として強く非難し、更に、
中国政府、ノルウェー大使呼び出し抗議(10/8 From YOMIURI ONLINE)
とどこかで見たことをやっています。深夜じゃないだけましなんでしょうか?
この行動を見た時、果たして賢明な行動を取っているように見えるのでしょうか?いや、普通に見れば「自分に都合の悪いことは、何であれ断固拒否し、抗議するような、利己主義の国」となるでしょう。
それがわからなくなるくらい、今の中国は自信を深めるが故に内向きになっているように見えるのです。
中国の人民日報の日本語版がwebにありますが、興味深い論説が2本ありました。


「一衣帯水」を妄信してはいけない
(From 人民網日本語版)
 「一衣帯水」は良く中日関係を表わすのに使われる言葉である。釣魚島の衝突事件自身は数人をめぐる「小さな出来事」のようにだが、実は重要な事を意味している。この事件は中日両国の関係に深刻な変化が起きていることの予兆である。中国は行動に移す前に、しっかりと見定めなくてはいけない。日本と中国は文化も歴史も行動基準も全く違う国であるということを。
 「一衣帯水」の記憶は中日両国がとても親しく、どこか似たもの同士であると思わせがちだが、そこには根本的な違いがあることを忘れてはいけない。
 では、一体どんな違いがあるのか。
 まず、日本特有の文化はずっと変わりなく受け継がれてきたということである。中国が日本に与えた影響は大きいが、日本文化は決して中国文化をそのまま写した複製品ではない。孟子の頃から中国では、「恥を知る」や「恥を知ることこそ最大の美徳」であると言ってきた。偉人は自分の欠点に勇敢に立ち向かい、自分が間違っていれば素直に認め、改めよと教えているのだ。一方、日本の文化は「恥の文化」と言われている。確かに日本文化論の古典「菊と刀」で言われている「恥」には「間違いに対しての後悔」という意味合いもある。しかし、もっとも強調されている事は、「恥」のもとは「間違い」ではなく「間違いが公になって面子がつぶれること」にある。中日は「恥」という字が違うだけでなく、その意味合いにも大きな相違がある。このような価値観の隔たりは中日関係の中にもはっきりと現れている。
 また、日本文化は「生存競争の中で環境に適応できる個体だけが生き残れる」というダーウィンの自然選択説のような西洋思想の影響も大いに受けている。このような西洋思想と日本の伝統が融合し、各界のエリートたちが感化されただけでなく、日本の国際舞台での行動にも計り知れない効果を及ぼしている。また、日本は身分の違いがはっきり定まった伝統的な階級社会である。このような上下関係は日本文化の隅々にまで浸透している。日本の漫画「るろうに剣心」でこのような場面があった。敵側のリーダーは失敗し、負けが決まった時に自爆と言う道を選んだ。彼はその理由として「この場に居る全ての人が死ねば、我々が負けた事を知るものは誰ひとり居なくなる」と言った。このように、敗戦後に日本政府が戦争の歴史や責任問題に対して行なった一切の処理は、日本文化がそうさせたのだと理解する事が出来る。
 以上からも分かるように、日本は中国文化の影響は受けているが、全体的に見れば、両国の文化体系は全く違うものであり、国際社会の中での行動基準も理念もそれぞれ独自のビジョンを持っている。中国が繁栄し実力をどんどんつけている傍らで、日本は経済が停滞しどんどん転落している。中国が「弱肉強食」の法則に従い、この好都合な時に「歴史問題」を使って日本に追い討ちをかけ、面目をつぶしに来ることを日本はびくびくしながら待っているのだ。日本文化との違いをはっきり心に刻み、今後は全く違う考え方を持って中日関係の基礎を作り上げていく必要がある。

今までの「日本人民は我々中国人民と同じく日本軍国主義者の被害者であり~」みたいな論調は影を潜め、「日本文化は恥を知られるのを嫌いもみ消すのが特徴」といった驚くべき論理展開をし、「中国が繁栄し実力をどんどんつけている傍らで、日本は経済が停滞しどんどん転落している。中国が「弱肉強食」の法則に従い、この好都合な時に「歴史問題」を使って日本に追い討ちをかけ、面目をつぶしに来ることを日本はびくびくしながら待っている」と書いています。改めて言いますが中国の公式見解とも言うべき人民日報にこういったことが書かれています。「シナ人は能力に欠け」みたいなことを言っていた戦前の日本にそっくりです。
さらに今の民主党政権について、簡単に言えば経験不足で我々の相手に足る存在ではないとして、

中国は日本側についてクルクル「回る」ことはできない(From人民網日本語版)
 「環球時報」の報道によると、日本政府は、中秋節以後中国人船長を釈放することを発表したが、中日関係はすでに10日まえの状態ではなくなった。この出来事が中日両国に残る記憶は長期間に拭い去りにくいものである。 
 この出来事は中日両国の間で、インターネットの時代に発生しためったにない係争である。この出来事はことごとく中日の世論に暴露され、両国政府の決定は両国社会の大勢の情緒も加わわり、それゆえに、今回の出来事は中国社会と日本社会のトータルな対抗のようにも見える。 
 しかし、事実は以上記の表象と大幅な差異がある。すべての国が民意を口実に隣国との対抗を引き起こすのは、きわめて無責任なことである。今回、日本政府が中日関係を踏みにじる、やり方がこのように軽率で、彼らは最低限の国を治める経験がある政治家とではまったくないようである。 
 中国漁船拿捕事件を通じて、近隣の日本と付き合う時には、中国はとりわけ注意が必要だということがわかる。今の日本政府と付き合うには、中国が特に気をつけなければならない。菅直人首相と前原誠司外相の中国に対する姿勢がなに「派」に属するかに関わらず、彼らのアジア太平洋の全般的情勢に対する判断は正しくはなく、中日の共通利益を守る気迫に欠けている。選挙のプレッシャーのため、かれらの大部分の政治行為は推し量りがたい近視的なやり方となっている。 
 このような日本政府について、絶えず「突発事態に対処する」ことは、中国にとってとても疲れることである。だから、今回、中国はあまりはやくクルクル回ることができず、事のなりゆきの指揮棒を日本に手渡すことになった。われわれは、「この5年間に6回も政府が入れ変わった政府で、対中政策が変わりやすいことが日本にとってほとんど免れえない」と強調するものである。 
 中国側が先般、明らかに中日間の省・部クラス以上の交流を一時停止することは、少なくともしばらくの時間を堅持するべきである。中国社会の日本への観光に対する制裁も一時期堅持すべきである。国を治める経験に欠ける現在の日本政府がこの出来事を通じて、中国が軽率に対決できる国ではなくことをはっきりさせなければならない。また日本社会が、次のようなこと「中日間は必ず道理を述べなければならず、意地になって争ってはならない、ということを知ってもらわなければならない」なぜなら13億の中国人が日本民族を圧倒すると考えたことはなく、しかしわれわれも1億の日本人の気性に圧倒される理由がないことははっきりしている。 
 中国がこのようにするのは一部分の日本人に刺激を与えることはわかっているが、しかし今回の出来事のエスカレーショは、完全に日本側からもたらされたもので、このような刺激は日本社会がどうにも耐えなければならない。一定の刺激を受けたに、日本社会がまじめに中国社会の状態をじっくり見て取ることができ、中国人民が「独裁政権」からおとなしく管理されている木ではないことを信じることになろう。 
 中国は決して、日本と様々な是非曲直と面倒なことにしがみつく考えはないが、しかし、このような考えがないため、今回はある程度堅持するべきである。日本の右翼たちのわめき立てを恐れる必要はなく、西方の世論の辛辣な風刺を恐れる必要もなく、中日関係に新たな予想のことが出てくることを懸念することもない。これまでの何度かの摩擦が、「天が崩れ落ちてくるのではない」ことを証明している。中国からの対抗措置が平和的で、中国社会がいかなるとき冷静さを保ちさえすれば、われわれは中日関係のすべての波風ひいては悪化を耐えることができる。 
 中国社会は改革開放に忙しく、「反日」の要もまったくない。また、そんな気持ちもない。しかし、日本側がややもすれば「反中」に走ることを避けるため、日本に対して一段時期の冷淡さを保つことが大いに必要だ。

とくさしています。あれだけ中国にすり寄っていた民主党の鳩山元首相やら小沢元幹事長やらは「最低限の統治能力にも欠ける」と言われてどう思うんでしょうかね?「シナ政府に統治能力は無く」とか「爾後国民政府を対手とせず」とか「暴支膺懲」とかを思い出します。
これらの論説を平然と日本語訳して公開している人たちが「したたか」だと見えますか?本当に見れば見るほど日本の日露戦争後の歩みを見ているかのようなことを、今中国がしているように思えます。繰り返し書きますが「自信を深めるがゆえに内向きになっている」ように思うのです。であれば、落としどころをしっかりと見て、水が方円に収まるかのように事態を持っていくような芸当は出来ない国だと見た方がいいと思うのです。つまり中国は「したたかではない」「自分たちの利益を最優先して考える」と認識することが大事だと思うのです。
そういった国が隣国にある日本としては、どうやって自主独立の国となるべきか、政治・経済・外交・軍事・文化等の面からしっかりと考える必要があるわけです。上の2本の中国政府・中国共産党の公式紙である人民日報の論説を読んで何も思わない日本人もいないでしょうし。問題は、普通にニュースに接している限りではこの手のことは殆ど報道されず、「中国政府も反日運動に苦慮している」みたいなことばかりしか聞こえてこないことですが・・・。

「【多事争論】やはり、今の中国はしたたかではない?」に4件のコメントがあります

  1. 小沢さんや鳩山さんに感想を伺いたいものです。
    前原さんは高坂さんの弟子で卒論が「中国の現代化」ですから、
    中国としては難敵と警戒感を強めているのかも知れません。

  2. 今の中国と今の日本、確かにご指摘の通りだと思います。最近の報道ぶりにはつくづく複眼的にものを見ることの重要性を感じます。ノーベル平和賞を巡る報道も注意深く見て行く必要がありそうですね。そこで、我々大和民族は歴史に大いに学ぶことにしましょう。大袈裟かもしれませんが、時代は今曲がり角に差し掛かりつつあるようですから。

  3. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    融和的なコメントをするから、和平が成し遂げられるとも限りません。
    強硬な意見を言うから、和平が成り立たないとも言えません。
    例えばイスラエルとアラブが綱渡り状態で和平に進んだ時期がありましたが、それを主導したイスラエル側の指導者は超強行派だったリクードのシャロン氏でした。
    対中国でも、国交回復に反対の論陣を張っていた福田赳夫氏が首相の時に、日中平和友好条約が締結されました。
    しかし、単なる強行派がより事態を悪化させることも多々ありました。松岡洋右氏なんかもそうでしたね。
    前原さんが単なる強行派として発言しているのか、それとも大局観があって発言しているのか、それによって行く末も変わってくるのでしょうね。
    今回の事件が、真の対等な日中友好につながればいいのですが(今は歴史カード、資源カード、市場カードなどが使われていてとても対等とは言えない関係だと思っています)。

  4. kktfさん
    コメントありがとうございます。
    本当に仰るとおりに、「複眼的にものを見ることの重要性」が問われていると思いますし、「歴史に大いに学ぶ」ことが必要だと思います。そんなことを考えているときに「学問のすすめ」とか「文明論の概略」とかを読むと、まさに我々の前に灯された篝火(かがりび)のように思えます。我らが塾祖の偉大さを卒業して10年以上経って感じるとは思いもしていませんでした。
    これからも色々とご教示いただければ幸いです。今後ともよろしくお願いします。

文武両道 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください