電車の中でガマン出来ないことって何?

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休日のお片付けの合間にかるーくコネタマでも。
今回のお題は「電車の中でガマン出来ないことって何?」とのこと。
自分にとっては、「目の前にお年寄りが立っているのに、自分が座席に座っている」といった状況です。
この何とも言えないむずがゆさがダメなんですね。あと、シルバーシートに座るってのも同義語ですね。
とは言え、この「お年寄り」という定義が難しいです。特に推定75歳前後の方って一番迷います。変にお年寄り扱いされると嫌な方もいらっしゃるでしょうし。でも丁寧に丁寧にお話しすると、そんなに変なことにもならないですね。
やっぱり席を譲るにしても「譲ってやったんだ。いいことをしたぜ~。」なんて思っていてはダメで、真心をもってお譲りするという気持ちが大事なんだと思います。自分も気をつけねば。

「電車の中でガマン出来ないことって何?」に8件のコメントがあります

  1. たくさんありますね!
    シルバーシートに平気で座っている若者。
    シルバーシートで携帯を使用する老若男女。
    音漏れするほどの音量で音楽を聴くばか者。
    混んでいても足を組む。
    子供が窓にすがりついて外を見ていても靴をを履かせたまま。
    抱っこしている時も同様、気鬱を履かせてまま左右の方にぶつかる事に気を配らない。
    先日、横に修学旅行の中学生二人が座りました。多分、嬉しいの
    で仕方ないとは思ったんですが、あまりにも腕がぶつかるので、注意したんですね。本当に素直に聞いてくれました。
    ところが、その後年配の方が乗ってこられたので、私はいつも席を譲る時に聞くようにしているんです。「お掛けになりませんか?」と。「どうぞ!」っていうとプライドのある方もいるの断られたりしますから。
    一所に中学生も譲ったんです。僕は「君達は修学旅行で疲れているからいいんだよ!」と制止たのですが「新幹線の中で寝てきましたから」と健気ですよね。
    私が指摘したいのは、席を譲った事に私にお礼を言ってほしいとは常に思っていません。でも中学生には感謝の言葉がほしかったなと思いました。譲った3人とも一言も言わずに下りていきました。正直寂しかったですね。教育ってなんなんだろう?
    中学生が席を譲る事がどういうことなのか体験できるいい機会だったのに。
    おそらく、一言中学生にあれば、彼らもいい勉強になると思うのですけどね。今の世の中の現状でしょうか。老いも若きも。

  2. まー最近は、こんな事件も起きたりして(バスですが)
    http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100709/crm1007090054001-n1.htm
    優先席。最近は存在の意義が話題になったりもしてました。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%AA%E5%85%88%E5%B8%AD
    若者が座ってはいけないとは、私は思いません。当然満席で、対象の方々が立っていた場合は違いますが。
    逆に、恐らく登山帰りと思われる格好をしている年配の方には絶対に譲りません。あんた、何のために登山に行ったの?と思うからです。
    さて、これから電車に乗って神宮に向かいます。
    余談・駅のホームのエレベーターに平然と乗っている奴は許せませんね。

  3. 声高に携帯で話しする人。
    若者より中堅企業の営業部長さんくらいにお見受けする方。
    延々我が物顔で話し続ける。
    私は電車の中でやむを得ず通話をする際は、
    開口一番に、自分が電車内にいることを告げ、
    会話を最小限にもっていきます。
    「あと〇分して電車降りたらかけ直すから」といって
    Okの返事をもらえなかったことはありません。

  4. 三角ベースさん
    コメントありがとうございます。
    いやあ、考えさせられる内容ですね。マナーと一言で言ってしまいますが、結局は他人の気持ちに対する想像力なんだと思います。自分より体力が無く、電車内で立っているだけでも辛い人、座ろうとしたら靴の泥がついていたら・・・。
    そして、例示していただいた修学旅行生の件もそうだと思います。譲ってもらったとき一言「ありがとう」と言うだけで、その生徒さんはどう思うのか。勝手に想像しますが、普段は通学の電車もローカル線なのでガランとしていてそもそも席を譲るっていう必要がなかったところに住んでいたので、初めて譲ったときにそんなステキな体験をしていたら・・・。一期一会ですね。
    自分もまだまだなので、これからもそういうことを無意識のうちに意識できるようになっていきたいものです。

  5. 黄色と黒は勇気のしるし♪さん
    コメントありがとうございます。
    いやあ、これまたすごい事件ですね。よく覚えていらっしゃったなあと感心します。
    マナーは人としてわきまえるべきだと思いますが、自分のマナーはどこかに置いて人にマナーを強要するのは、そもそもその人がマナーの意味をわかっていないのでは?と考えてしまいますね。
    自分が弱者の立場に立つことを意識するというのは、かわいそうな立場に立つことではなく、特権的な立場に位置することなんだということを、もっと自覚できればと思うのです。分野が違いますが、中国が歴史カードを出す時はまさにこれですよね。
    そうではなく、自分は独立した存在(誰にも頼らず、自立しているという意味)であると規定し、相手に対して思いやりをもって何か力になれることがないかを考える。これもまた、自らを高め尊べることに繋がると思うのです。
    自分が辛いとき、疲れているとき、大変なときこそ、真価が問われるのだと思います。そう考えると、本当に自分はまだまだなので、鍛錬を積んでいかないといけないなあと書いていて改めて思いました。

  6. 神宮通いさん
    コメントありがとうございます。
    携帯電話で声高で話す人は大分減ってきましたし、また社会でもそれに対する認識が高まりましたよね。前は大声で話している人も多かったですが。やっぱり若い人の方が、携帯とのつきあい方に慣れているんでしょうね。
    自分も電話がかかってきて、しかも複数回呼び出されたら「電車に乗っているので折り返します」と言っていますが、みなさん普通に従ってくれますよね。

  7. 世の中そんな綺麗事ばっかりで済むはずがないやろ?ストレス社会が年々増長しつづけてる昨今やさかい同様のいざこざは今以上に起こりうる。ゆえに撲滅など考えられんし、悲しいかなそれが平成ニッポンの現状なんやと思うで。。。

  8. 自己中でいこう~!!さん
    コメントありがとうございます。
    結局、他人のことや大きく社会というくくりでいくら言っても仕方ないと思います。大事なことは自分がどうしたいかだと思います。
    「綺麗事」という言葉が悪いわけでもなく、ご自身がそれを意味ないと思ってやらないのか、それとも自分はこうありたいと思って行動するのかだと思います。
    つまり「自己」を中心にするにも、自己がどうありたいのかを自分で規定出来なければ、そもそも「自己」たり得ないと思うのです。
    小さな一歩かも知れませんが、自分を生かしてくれている社会に対して、自分が何をなし得るか考えてみるのもたまにはいいと思うのです。
    では、今後ともよろしくお願いします。

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