原発事故を通じて思うこと

東日本大震災による津波被害から大災害となった福島第1原子力発電所。
これを機会に原子力発電の是非について色々論じられています。
そして政府と言えば、東京電力への無限責任をずっと言い続けるのみ。
そして、多くの声も、「マグニチュード9も津波も想定できたのであって、東電はけしからん。税金を使うなど以ての外で、東電が最後まで責任を負うべきだ。」といったものが多いようです。
しかし、これまたよく言われることではありますが、原子力発電はそもそも国策ではなかったのか?という疑問がついてまわります。
自分も原子力発電は国策であったのではと思いますが、その国策とは「逼迫している電力事情の解消」のためだけとは思っていません。
そのきっかけの一つがこの報道でした。

中国軍のロボット提供断る=福島原発事故で日本政府-香港紙(From 時事通信
 【香港時事】香港紙サウス・チャイナ・モーニング・ポストは16日、中国軍が福島第1原発事故に関連して、原子力関係の事故に対応するロボットの提供を日本政府に申し出たが、断られたと伝えた。このロボットを開発したプロジェクトの責任者を務める東南大学(江蘇省南京市)の専門家が明らかにした。
 中国側は福島第1原発事故の発生後、ロボットを操作する南京軍区核緊急対応部隊のチームを待機させていた。ロボットは原子力施設で放射能漏れの場所を特定したり、修理したりする能力があるという。
 この専門家は「家電製品展示会などに登場する日本の人間型ロボットは福島第1原発のような状況では1分も活動できないだろう」と述べた。
 中国は先に海軍医療船や軍の医療チームを日本に派遣しようとしたが、いずれも実現していない。ポスト紙は「日本政府は中国軍から支援を受けたくないのだ」と指摘している。

なんで、中国の援助を受けたくないのか?アメリカ、フランスの援助は受けるのに。自分が考えるにそれはそこに軍事的な機密事項があるので仮想敵国である中国の援助を受けられないのではと思ったのです。そう考えると、日本政府が自ら表に立たず、とは言え電源三法を作って強力に支援していたのは、国防的軍事的な理由が隠されているのではと思えるのです。もっと言えば、核技術の蓄積のために民間を隠れ蓑にして進めようとしたのでは?ということ。
そもそも「日本における原子力発電は、1954年3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。」(From wikipedia)とのこと。
この「1954年」という年は、冷戦まっただ中の時期であり、アメリカに続きソ連が1949年に、イギリスが1952年に核実験に成功している時期です。平和が日本国憲法で守られるのならいいのですが、実際的にはパワーオブバランスで決まるしかないと思います。
そういった環境下で、今の情勢では無理でも、いつか必要とされる時が来てから蓄積するのではなく、今のうちから準備をしておこう・・・、そう考えて原子力発電が始まったのでは?と思うのです。例えるのも何ですが、北朝鮮もずっと一連の核開発を「原子力発電」と言っていましたしね。彼らの言っていたことが正しければ、核爆弾を作る前に発電所を作っていないとおかしいのですが。
そして隣国の中国が1964年に核開発に成功すると、いよいよ核技術の蓄積は喫緊の課題となったはずです。
しかしその頃すでにある程度の蓄積もなされていた日本は、「その気になればいつでも核兵器は作ることが出来る」と周辺国に思わせることに成功していました。
それは日本にとっておそらく重大な岐路となっていたアメリカと中国の国交回復の際のキッシンジャーと周恩来との会談内容からも見て取れます。
会談内容はこちら
これは、高度な国防戦略だと思います。アメリカにも中国にもここまで脅威と思わせているのですから。日本の原子力発電にはこういった意味合いもあったと思うのです。
それに対して市民団体が主導する反原発運動というものがあります。この運動の不思議なところはロシア、中国の核開発に対して積極的に反対する姿を余り見ないということ。これも上記の文脈から考えるとさもありなんと。つまり、日本にそういった力を持って欲しくない近隣諸国としては、平和運動に名を借りて弱体化を図りたいからそうしているのでは?とも思うのです。
もちろん今となっては、償却も終わり、燃料代は殆どかからない30年以上経った原子力発電所は単純にお金を生み出すものになっていて、温暖化対策の切り札、国策としての輸出振興の切り札みたいに扱われ、そういった国防的な意義も忘れ去られているのかもしれません。しかし、ちょっと前には現政権も日本のパッケージ型インフラ輸出の切り札として積極的に取り組んでいたような気もします。
政策が固まった経緯 – 日本政府のパッケージ型インフラ輸出政策のまとめ(中)
数少ない成長戦略として持ち上げていたのに、今となってはこの扱い。何度かつぶやきで批判的に捉えていましたが、こういったことを考えると、政府がこれだけ責任を東京電力になすりつけ、自らの責任を認めない姿勢に終始しているのが理解できないのです。
あと、今回の事故は人災だと思いますが、それは震災後電源停止から水素爆発が起こるまでのオペレーションに問題があったと思うからです。この時に実際は何をすべきだったか?それを検証する報道が余り無いように思います。リスクは少なくすることは出来ますが、0にすることは出来ません。だからこそ、リスクが現実となった時、どのような行動を取るべきかをもっと国民全体で考える姿勢が必要だと思うのです。
かなり想像が入っているお話しではありますが、原発事故に関する報道に接するたびに、こんなことを思っていました。

「原発事故を通じて思うこと」に14件のコメントがあります

  1. いくらなんでも土下座までさせるのは
    行き過ぎです。
    私塾の塾生のなかに支店を原発周辺で
    もっている人がいますが、
    この地域の人、自治体とも裕福で
    しょっちゅうイベントをやっていたそうです。
    東電の知人もこの地域で勤務していたとき、
    まるで外国かと思った、と言っていました。
    原発特需を謳歌していたことは
    殆ど報道されませんが、
    一部、朝日の投書欄に、
    「この地域の自治体がもらったお金を
    積み立てて危機対策に当てていなかった
    敬意を明らかにする必要がある」
    との指摘もあります。

  2. 外国というのは華やかなニューヨークみたいな
    豊かな外国
    経緯です。

  3. 時の政府と国策推進企業とのやりとり、政府発表を次々に覆して行く事実と報道機関の報道姿勢。最後は世界中に浸透した地名。水素爆発以降の推移を見ているとどうしてもあの水俣病を思い出してしまいます。あの頃の政府も当初は「大したことではない」という姿勢を続け、事実が明らかになるに連れてチッソに全責任を負わせようとしたように記憶しています。恐らく時の政権と国策企業との関係は・・・。「結局は命を縮めるしかない周辺住民」という構図に楔を打ち込む日本に早くしなければなりませんね。

  4. [北京時事]
    中国外務省の洪磊・副報道局長は14日の定例会見で、脱原発を選択したイタリア国民投票の結果について「多くの国にとって、原発は依然としてエネルギー不足や地球温暖化に対応するための重要な選択肢の一つだ」と述べ、引き続き原発推進の立場を取る方針を示した。 
    民主主義でない中国だけが超現実的という皮肉。
    いよいよ6月19日に原発、地震の約束の勉強会。
    事前資料が送られてきますが、今回ばかりは
    絶対に外部に洩れないように!
    心に留めておいてください、ということ。

  5. 1。地震学者間で東北地域でのM=9.0の地震の発生は無いと考えていた。
    2。貞観地震の津波域は今回の地震の津波域とほぼ同じである。
    3。貞観地震については充分研究してあり,今年『4月』に発表予定であった。
    4。土木学会原子力部会では、過去に経験した最大事象を設計基準としている。
    従って、地震学での以前の予想値(M=8.5)から得られる津波予想高さより遥かに小さい値で防潮堤が設計されていた。
    今回の災害の責任は、地震学者達が示した予想最大値を、「何故其れが起こり得る
    最大値か?」との疑問も持たずに信用し採用したエンジニアにあると考えています。
    経済重視は必要なエンジニアですが、高価な原子炉に対し防潮堤の値段など知れたもの
    なのです。陸上で原子炉を囲っても充分だったでしょう。唯、残念な事に,実際に事象が
    起ってからそれが良く解りました。

  6. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    まさに仰るとおりで、なぜこういった議論にならないのか不思議にすら思うほどです。
    ちなみに自分が今原発に対して思うのは
    1)そもそも今回の事故は津波による電源喪失だけが原因となっているのか
    (そうであれば)
    2)今回の津波レベルで電源を保持することは困難なこととか?それとも対策可能か?
    3)その場合、コストはどれくらい想定されるのか?
    (そうでなければ)
    2)まずは正確な情報の開示を。地震そのもので電源が壊れたり、メルトダウンにつながるような物理的損壊が生じてはいないか?
    3)その対策にはどのようなことが考えられるか?
    (いずれにせよ)
    4)冷却不能に陥った時、取り得る最善手段はどういったことがあるか?
    といった論議をして貰えないかなあと思います。
    中東情勢の悪化→原油の安定供給の危機
    南シナ海を含む中国の膨張→安全なシーレーンの危機や、中国の大量の原油買い付けに伴う原油の安定供給の危機
    ロシアの強気→実際に東欧諸国にやっていたが、天然ガスの安定供給の危機
    ダム→民主党は脱ダム路線でした
    といった具合で、原発は恐ろしいモノで思考停止してしまっているように感じます。自然エネルギーの開発はすべきですが、日本がエネルギーの輸入国である以上どうあるべきかをもっと冷静に議論することこそが今は求められていると思うのです。

  7. 空気は世界も日本も反原発。
    山本何とか、文太、弁護士会、主婦・・・
    挙げてそれしかない正義・・・
    一方、企業はホンダを初め西日本、はては海外へ
    夏の過度な節電で熱中症の心配・・・
    専門家は批判を恐れて反省と沈黙。
    政治家は風と空気ばかり気にして・・・
    国会を延長するのも選挙をするのも
    莫大なお金がかかる
    マスコミも国民も
    何かあるとすぎに信を問えというが、
    安倍さん以降の首相おろしが何も生まなかったこと
    反省すべき!

  8. 民主党は次の選挙で反原発の山本太郎氏を担ぐ。
    海江田氏は原発の稼働をお願いする。
    首相は独断で浜岡停止にした。
    マックスヴェーバー、ヘーゲル、マキャベリが
    何度も警告した
    「政治家は結果責任が問われる」
    整合性のない人気取り、世論迎合はやめてほしい。

  9. 和歌の浦に東洋一のエレベーターがある。
    あれは生活上それほど大切な機械ではない。
    開化が進むにつれてこういう贅沢なものが増えてくる。
    できるだけ労力を節約したい。
    昔の人間にくらべて今の人間はどのくらい幸福になっているのか。
    人力車が自転車に負ける、自転車が自動車に負ける、
    通俗の言葉で言えば人間贅沢になる。
    それで娯楽のほうに活力を注いで幸せか。
    開化のパラドックスがある。
    「現代日本の開化」(夏目漱石)の要約
    明日の勉強会のプレゼは
    ここから・・・

  10. 19日は重苦しい空気。
    報告者の危機意識は月レベルではなく
    週レベル
    来週の水曜が・・・というレベル。
    果たして政治家は過去の検証、未来の構想を
    選挙に有利に使うという発想が許されるのか?
    簡潔に言えば、批判と反省を凍結し、
    マスコミや世論を無視して
    東電に無制限の資金と技術を投入すること。
    開戦時も終戦時も情報を共有した者は、
    ほぼ同じ認識をもった。
    しかし行動に出られないまま
    予想通りの悲劇に見舞われた。

  11. 今日の朝日の朝刊で輸銀出身の内閣参与が
    「東電国営化論」を説いています。
    相変わらずの朝日は
    「東電の経営責任がうやむやになる」
    東電は今のままでは債務超過を恐れて
    必要な投資をしません。
    それがすべて国民の不利益となってきます。
    みんなで飲みに行って、誰かが立て替えて、
    後で清算する、ということは日常やっている。
    まずやるべきことをやる。
    放射能汚染、電力供給の方法・・・
    直近に危機が迫っているときに、
    誰の責任、誰がカネを払う、夢物語の代替エネ論議の
    愚!

  12. 東大の社会学教授であった見田宗介が講師であったころ、なぜ、安保反対闘争があれほど盛り上がったのに、嵐のように過ぎ去ったあと何も生まなかったのか、
    その答えとして以下のように分析している。
    安保反対を唱えるだけで彼らにテーゼと正論を自ら構築する意欲がなかったから。
    歴史形成の主導力となるのは結局、たとえどんなに鋭いものでも、異論やアンチテーゼではなくて、ヴィジョンとプログラムとをもったテーゼであり正論である。変革の思想がつねに状況に対するアンチテーゼである以上、アンチテーゼそのものが一般に無意味なのではない。テーゼへの志向をもたないアンチテーゼが空しいのである。自己目的化した否定の思想が空しいのである。みずからの正論を形成していくことこそが大切なのだ。苦労してテーゼや正論を練り上げることよりも、異論やアンチテーゼによって足元をすくった方が遥かに安易であるのみならず、一般にテーゼよりもアンチテーゼの方が、正論よりも異論の方が、フレッシュでオリジナルに見える。即ち、流行商品としての資格を備えているわけである。今日の状況の中ではむしろ、華やかな異論の花火を次々に打ち上げることは容易でありながら、地味な正論をじっくり練り上げる作業こそ、真に困難な、また必要な作業なのではないだろうか。否定系の思想、アンチの思想は、流行思想として足元をすくわれてしまう。今日の状況では、特に確固たるヴィジョンとプロセスをもったテーゼを練り上げる作業こそが要請される。
    現況の原発問題も現状に対する批判ばかりで真正面からの提言がない。今や自民党まで野党的アンチになり下がり提案する者はいない。提案すれば上げ足をとられる。黙って出てきたものを批判するほうが楽でカッコいい。上田さんのテレビのコメンテーターが嫌いという気持ちに同感していたら私の学生時代の本を思い出して・・・「現代日本の精神構造」は60年代よりもっと酷い・・・

  13. 地下ダムとは、日本では南西諸島のように地層が石灰層で地表に水が溜まりにくい離島などにおいて、不透水層まで遮水壁で地下ダムをつくることにより、壁の内側に水を貯め、飲み水や農業用水に利用するものを言います。宮古島、沖縄本島、喜界島など、雨が降っても地層に水が貯えられず、すぐに抜けてしまう場所に有効。「ダム」といっても、コンクリートのごつい壁を想像されるかもしれませんが、ほとんど強度を必要としないので、コンクリートの薄い壁、土とコンクリートを混ぜ合わせてつくる柱の壁(SMW)、などで、水を止める機能を発揮すれば何でもよくなります。
    今回の場合、放射能物質を含んだ地下水を海に流出することを食い止めることが目的となっているので、それほどすごいものを作る必要はないと思われます。ただし、周辺の地層(特に不透水層の深さ)、地下ダムをつくるべき場所、放射線量の状況、などの条件によって工事の内容も大きく変わりますが、1000億は多く見すぎているように感覚的に思われます。また、止めるだけでなく、止めた水をどのように処理するかを考えておかなければ、いずれ溢れて地上にしみだしてくることになります。
    さて、この地下ダムの必要性は専門家にゆだねますが、本当に必要であれば、東電に押し付けるのではなく、まずは国が造ってしまうべきで、金については作りながらでも決めてしまえばと思われます。
    日本人はこれだけはっきりした歴史的証拠があるのに、同じ過ちを繰り返してしまうのでしょうか。

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