「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第4回 開戦・リーダーたちの迷走」を見て

ちょうどこの番組を見た次の日に東日本大震災が発生しました。それから感想を書くのを失念していましたが、今改めてこの回も含め見てみると、この「日本人はなぜ戦争に向かったのか」はこの震災後の動きにも大きな示唆を与えているように感じます。
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今回はリーダーたちがそれぞれ対米戦に対して悲観的な見通しを持っていたにも関わらず、なぜ国策が決まったかということを、大本営政府連絡会議を通して説明しています。
この大本営政府連絡会議は、参謀総長、軍令部総長、陸軍大臣、海軍大臣で構成されていたが、1941年7月21日以降は内閣総理大臣、外務大臣、企画院総裁が常任の構成員に加わり、以後は大蔵大臣やその他の国務大臣、参謀次長、軍令部次長などが必要に応じて臨席したものです。
その前にも五相会議と言って首相、陸相、海相、外相、蔵相が集まって重要国策の方針を話し合っていましたが、どちらにしてもたとえば首相が最終的な決定権を持っているとかのコンセンサスの無いものであり、必然的に各部門の利益を主張するにとどまる場合が殆どになってしまいます。
そして、その主張は相反するものとなるため、いつも結論は総花的。よく言えば選択肢を多く残す結論ですが、悪く言えば何も決めていない先送りばかりの会議となっていました。
特に開戦決定の時に盛んに言われている言葉が「会戦の決意をする決意をここでは決め、期限を区切った」という言葉。まさに言葉が踊っている様子が感じられる言葉です。
このシリーズは当事者の証言テープが多く出てくるのが特徴ですが、総じて感じられるのが他者のせいにしている言葉が多いこと。

陸軍軍務局長武藤章「内閣書記官長(現在の官房長官)から海軍の方に戦は無理だと言うように言ってもらえないか?日米開戦だけはなんとしても避けねばならんのだ。」
海軍軍務局柴勝男「それはずるいじゃないか。それを決めるのは首相の近衛さんだ。」
企画院総裁鈴木貞一「夜分に突然海軍の及川(当時海軍大臣)と豊田(当時外務大臣)がやってきた。何を言い出すかと思えば、開戦決定の御前会議の前に天皇陛下に奏上して、我が国力では戦争は絶対無理だと言ってもらえないかとのこと。それは出来ませんと言ったんだ。」
内大臣木戸幸一「(近衛首相とルーズベルト大統領の直接対談の調整時、アメリカ側から日本としての総意を持ってきてくれと言われ)それじゃダメなんだ。撤兵案ですったもんだするに決まっている。むこうには腹芸とかがわかっていない。で、あれはお流れになったんだ。」
「(東条英機を首相に奏上したことについて)政治家なんていうのはとっくにどっかにいなくなっている。その点むろん政治家ではなく、器もあまり大きな人ではないけど、もう東条に任すしかなかったんだ」

東日本震災後に各方面が話す言葉と、やけに似ていませんか・・・?
日本は海に囲まれた国で、侵略者というものが隣り合わせにいるような状態でもなかったため、コンセンサスを重視し、突出したリーダーを好まない傾向にあるためか、リーダーの一番大事な仕事を決断ではなく調整と捉えてしまっているところがあるように見えます。
特に組織の人事が硬直化していると、全体的な判断ではなく、その部門の論理からしか判断できなくなってしまうのでしょう。
たとえば、上記で紹介した開戦間際のタイミングで、ではなぜ海軍は対米戦は無理だ!と主張しなかったのか?を考えてみましょう。
海軍は軍備的にも資源的にも米国と戦をするのは無理である→ではここ数年海軍費を増加し、軍備を増強していたのは何のためか?(日中戦争で増え続ける陸軍の予算に対抗して海軍も増やしていました)→だったら予算の割り当ては今後は減らす→大体陸軍は中国で苦戦を続けているというのに、海軍のなんと腰抜けなものよ!→組織としてじり貧になりそうだ
みたいな流れもあったのではないでしょうか。
他の組織で見ても、要は「貧乏くじは引きたくないけど、この状況はまずい」と言っているということなのでしょう。
部門同士で利益が相反するのは当然です。だからこそ、リーダーが覚悟を持って決断すべきで、まわりも一旦下された決断には従うといったことが必要なのです。
これを批判したり、慨嘆するのは簡単です。では、実際に自分の立場に置き換えてみた時、おのおのそういった傾向に流されてはいないか?と思うのです。
よくテレビで声高に今回の東京電力の対応、菅政権の対応について批判している人たちを見ます。では、実際にその人たちはそういったことには一切流されないと思っているのでしょうか?今批判されている菅さんだって、もし野党だったら今の人たちと同じようなことを言って批判しているんだろうなあと思ってしまいます。自分だって会社の中でこれと同じようなことが無いかと言えば嘘になります。まだまだ若輩者で大した経験もしていませんが、他の組織を見ても、多かれ少なかれこういったことは感じることがあります。声高に言っている人たちも、内に帰れば自分が批判していたようなことをしていることもあるのではないですか・・・?
つまり、我々はどうしてそうなってしまうのか?ということについて思索を加えず、対策を考えるわけでもなく、ただそこで起こっている現象に対して批判をするだけに陥りやすいと、近代史を紐解くたびに感じます。もっと我々の特性とそれに対する対応策は考えるべきだと思うのです。
明治維新後であれば西郷従道が陸軍大臣をやった後に海軍大臣を務めたり、参謀総長に付いていた山県有朋は首相経験者であったりしました。戦後しばらく続いた首相は、たとえば田中角栄にしても郵政大臣でテレビ放送を本格的に離陸させたり、大蔵大臣で証券不況に対して日銀特融で乗り切ったりと様々な部門で活躍しています。やはり一つの組織に染まるのではなく。多種多様な部門を率いて経験を積んだ人たちが、リーダーになるべきで、そうなるような政治家の仕組み、官僚の仕組みを作るべきではないかと思います。
政治家については与野党関係なく、若いうちには国会の各委員に就任し、行政の経験を積むべきでしょう。党利党略の駒になっていたのではもったいないです。
官僚も各省庁ごとの採用ではなく、高級官僚なら高級官僚として日本国に採用されるようにし、省益から離れた発想が出来るようになってもらいたい。
もちろん日々の仕事に対しても、決断に至る過程はどうあるべきか、その根拠は何に求めるべきか、そして決断した後はどう行動すべきかを常に自問自答すべきだと思います。
今回のシリーズは、東日本大震災という大災害に対しても大きな示唆を与えてくれるモノだと思います。外交、巨大組織(東京電力、各省庁)、報道、決断。どれをとっても参考になることばかりです。よくお隣の国が言う「歴史を鏡として」。まさに、この歴史を鏡として今後の我々の行動への指針とするべきだと思うのです。
今回の感想は、東条英機の腹心で、「黙れ!」で有名な佐藤賢了の証言で締めたいと思います。

「もしかしたら万が一にも我が目的が達成されることもあるかもしれない。そういったあやふやな期待に基づいて方針が決められていった。」
「独裁的な日本の政治では無かった。だから戦争を回避できなかった。こうした日本人の弱さ、ことに国家を支配する首脳、東条さんをはじめ我々の自主独往の気力が足りなかった事がこの戦争に入った最大の理由だと思う。」

「「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第4回 開戦・リーダーたちの迷走」を見て」に6件のコメントがあります

  1. 米英と戦争をし、大東亜共栄圏を確立する。植民地支配をなくすというのが目的であったはずです。その為に勝利の見えないない戦争に突入しました。
    仮に、万が一勝利したとしてもその先には何があったのでしょう。
    その後、アジアの盟主として日本はなにができたのでしょう。
    ご指摘の通り、今も昔もリーダーに求められるものは
    変わらないと思います。
    今回の震災で、危機管理の能力、対応の遅さ、安全への慣れ、危機感の無さが露呈したと思います。
    一部の村だけが、先人の教えを守って助かったのは幸いです。NEWSで見ましたが、たくさん石碑があり、先人の教えがあるにもかかわらず、見向きもしない、教育の在り方にも問題が・・・・。
    「今までは・・・。」「絶対・・・。」は通用しないことがなぜ理解できないのでしょうか。

  2. 社長は部門長に
    「部門最適ではなく全社最適で考えろ」
    しかし部門最適で部門の業績を伸ばした者が
    出世するのが現実。
    部門交流を度々しますが、
    異動した部門の利益代表にならなければ
    異動した人も浮き上がります。
    まるでブラックユーモア
    人事部の課長が現場の責任者となり、
    現場の責任者が人事部の課長になって・・・
    隣の席でふたりの会話を聞いていると、
    ふたりが同じ会話をしている!
    ことは簡単ではありません。

  3. 高橋是清は唯一、そうでない人であった。
    彼は自ら動いていりいろな仕事をした。
    日銀で工事の現場監督までやった。
    特許権のことまでやった。
    多種多様な仕事をして部門利益でなく
    全体利益の見えた唯一の人かも知れない。
    多くの官僚も知っているが、
    見事に瞬時に部門代表になっている。
    そうでないと出世できないから。

  4. 連休も夢の如くに過ぎ去りました。目を覚ます為に、日本人激励の短文を引用します。
    Must keep self-confidence. Look forward and work hard. Japanese people have potential.
    Due to global warming, disasters like this may come more often.
    You must think. Examine your way of life.
    Look at the new reality and act within the new reality.
    Look at your life and the new situation.
    His Holiness The Dalai Lama
     
    原子力発電は国策であった。
    御意見に賛同致します。
    日本の軍事予算は世界第9位の高さですが、要するに人件費が高いだけで軍事的な実力はありません。
    原子爆弾を造れる技術力と米国密着が、日本の現在の軍事力です。
    原子爆弾保有が、低い国防予算で国を護る唯一の方法である事は、北鮮の例を見るまでもなく、日本においてすら終戦直後から言われておりました。
    日本では、
    各国の疑惑の目と反対の中で苦労して積み重ねて来た原子力利用でした。『原爆製造の能力はあるが、造らない』のが、日本の価値です。
     
    現在原発開発を目指す国例えばイランも、口では平和利用のみと言っていますが、本心は核武装です。
    トリュウム利用の原発は、
    燃料も豊富で安全で将来性は高いのですが,
    原爆製造に全く結び付かない事から、各国での開発が全然進んで居りません。
     
    大震災が神風となり存命している菅内閣ですが、此の非常時頑張って貰わねばなりません。
    それにしても、『俺の力で浜岡原発を停止させた』とまたしてもパフォーマンスがギラギラですが、もっときめ細かく考えて貰わないと困ります。
     
    この際,議員定数を半分にして議員も痛みを甘んじて受けるから国民もこれこれしかじかを我慢して頑張ってくれと言うような政策は取れないものでしょうか?

  5. いつもながらの見識、流石ですね。昔も今も、正に仰る通りだと思います。震災から早くも二ヶ月を迎えますが原発事故についてはまだまだこれからで、避難民の方々の辛抱強さが報われる時が早く訪れることを祈るばかりです。政治制度、官僚機構、国民の惰眠。どれもが金属疲労を起こしている時に起こった大震災です。中国、ロシア、韓国政府の動きを不気味に感じてはいますが、それはそれとして「災い転じて・・・」の結果をなんとしても掴み取りたいですね。

  6. 基地問題も対中国、韓国、ロシア問題も原発エネルギー問題も自民党の置き土産だった。
    自民党は野党根性剥き出しで民主党を攻めまくっているが、自分の過去を反省し、解決につながる提案をすべきだ。
    政治は自民党がダメだったから民主党に期待した、しかし民主党もダメだった、という流れの上にあります。今のままでは自民党に戻ってしまいますが、それでよいのか。過去の過ちの清算は終わっておらず、まだ体質が変化したとは思われない自民党に戻って、それで日本は前進できるのか。

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