日本の周辺環境と考えること

リンク: 露空軍がその気になれば日本を20分で消滅できる=露軍事専門家 – 速報:@niftyニュース.
のっけからこんな刺激的な記事ですみません。
まあ軍人というのはとかく強気に言い放つのは昔からの常ですから、言葉通りに受け取るのはどうかと言えるかも知れませんが、昔と違うところは、そういった言葉が伝わる人数が格段に多いと言うことです。しかもこのロシアの元軍人さんのコメントを掲載したのは中国の新聞。つまりはそういうことです。
あと韓国、北朝鮮も日本に対して過度の警戒感を持っているのは、韓国の新聞等を読むとひしひしと感じます。 良くも悪くも周辺の国々はそのように考え、そしていわゆるその国の大衆は、その国の軍部が公言する強気な言葉を聞き、そういった気分になってきてしまうものです。
戦前の日本もそうでした。中国など一撃で屈服させられるという考え、暴支庸懲に代表される感覚なんかは今や立場を変え、まったく反対になってしまったかのようです。「日本は戦争犯罪を未だ反省していない」「だから、懲らしめるべきだ(暴日庸懲?)」なんてならないとも限りません。
古来、「平時において乱を忘れず、乱世において平時を忘れず」とは言ったものです。平和だから安心するのでは無く、平和だからこそ備えを万全にすべきだと古人は言っていました。それを今の日本は忘れてしまったかのようです。防衛問題として俎上に上がるのは、昔は違憲論争、今は沖縄普天間問題。確かにそれも大事かも知れませんが、もっと国の防衛のあり方を、違った立場から論じあうようになるべきです。
この前の記事の時の議論を一つかいつまんでご紹介します。あやふやな記憶で書いているので、誰が言ったかはかなり怪しいですが、趣旨はこんな感じです。
「この前の震災時に明らかになった防衛上の問題点は何ですか?」
「隊員の輸送問題です。」
「今度の予算で、どのような対策を?」
「輸送ヘリを増やします。」
「それだけですか?」
「問題はそれだけでなく、艦艇の問題がありました。」
「そうですよね。輸送艦が3隻あるうち、1隻は外洋航海中、1隻はドッグに入っていて、1隻しか動ける船が無かったことで、なかなか被災地に部隊を輸送できなかったのですよね。結果民間のフェリーを利用して運びました。しかも民間徴用を当てにするのもどうかと思いますが、今回の民主党の高速道路無料化でフェリー航路が大打撃を受けて、路線が減ってしまっている。なので民間の輸送船も少ない。」
「災害だったらやがて事態は収束するからまだいいです。でも軍事的な危機はどんどんエスカレートするものです。そういった事態の時に、迅速に部隊を移動させられないのは大変大きな問題です。でも船はドッグに入ることも必要だし、外洋航海で訓練することも必要。であれば、輸送艦を増やすことを考えた方がいいのでは無いでしょうか?」
なるほどと思います。で、では緊急時に動かさないといけない隊員数は最低どれくらいで、それを動かすための移動手段は何を用い、それはどれくらいの量が必要かを考える、こういったことの積み重ねこそが大事だと思うのです。観念では無く、実際の運用です。こういったことを、少なくとも国家に携わる人たちは考えていかないといけないと思うのです。
とは言え、冒頭のようなことを言っている方もやっぱりどうかなと思います。そうやって相手に警戒感を与えるのは、結果的に自分たちのためにもならないと思うんですよね。相手だって警戒もすれば対策も取るようになるわけですから。尖閣の時もそうでしたが、やっぱりこういったところが実際に戦場を駆け巡ってきた人たち(つまり周恩来とか鄧小平とか伊藤博文とか山縣有朋とか)と、概念だけ持っているものの実際の戦場経験の少ない人たち(今の中国の指導層とか昭和初期の指導層とか)との違いなのかなあと。歴史は何のかんの言って繰り返すように思えます。

「日本の周辺環境と考えること」に4件のコメントがあります

  1. 「歴史は繰り返す」ですか。繰り返してもらいたくない歴史が70年ほど前にありましたね。戦前の浜口内閣の二の舞は勘弁してほしいような気がしています。それでも流れは・・・?管理人さんの大阪の風雲児評に興味をそそられます。確か同世代でしたよね。

  2. kktfさん
    コメントありがとうございます。
    浜口内閣とはつまり井上準之助蔵相の金解禁のことですよね。その後高橋是清が蔵相を継ぎ、積極財政で好景気を導くも軍事予算で軍部と対立し、ついには青年将校の兇弾に斃れる・・・といった流れ。今回の消費税の増税は一義的には年金財政の対策と言うことでしょうが、怖いのは借金の多さから日本の国債の信用が暴落して、やがてデフォルトを起こすことを恐れ、財政の健全化を目指すということなんだと思います。井上蔵相のは今で言うグローバルスタンダードに乗り遅れないようにするためという側面があったので、どちらかと言うと橋本政権の時の金融ビッグバンの方が近いのかも知れませんね。
    同じ音でも橋下市長のお話が出ました。まずは彼を「ハシズム」と名付け、ファシズムに結びつけようとする流れは自分には違和感を感じています。彼はアジテーターではあってもファシストでは無いと思うのです。ファシズムというと
    ・ロマンチックで神秘的な側面を詰め込んだ、集会やシンボルなどの美学の構造
    ・政治的な関連性の軍隊化や、党の民兵のスタイルや目標となった、巨大な動員
    ・暴力の肯定的な視点と使用
    ・男性原理の極端な強調
    ・若者への賞賛
    ・権威主義的でカリスマ的な個人による命令のスタイル
    が挙げられますが、この中で該当するものは正直見当たりません。
    彼の「ぼったくりバー」とか「平松市長はうんぬん」とか「破産会社の社員ですよ」とかの表現は好きになれませんが、かと言って国際競争力のある人材の育成だとか、国と地方の権限委譲の問題とか、財政の健全化とかの方向性も共感できることもあります。
    寧ろ問題だと思うのは彼の人気にこびへつらって利用とする既存の政治家達や、「ハシズム」のレッテル貼りで批判する人たちです。
    前者に対してはそもそも政治家としての信念は?と聞きたいし、やっぱり政治家という職業は選挙に当選することが仕事だと思っているのではと思います。
    ただそれ以上に問題なのは後者。大体が政治家に対しての反論になっていないのに、反論した気になっている政治家、評論家達です。なぜ、あれだけ好戦的な敵に対して真っ向から論戦を挑まないのでしょうか?左翼系の人が教育条例案に対して反論していたのは見たことがあります。これもとんでもの類に見えましたが、まだまし。ただ彼の人気、弁舌を恐れて遠巻きに批判している姿は見ていて情けなく感じます。朝まで生テレビで討論をした際に「政治家じゃ無いのに対案を求められても・・・」とぼやいていた学者さんもいましたが、政治家は実行・実績が全てですから対案の無い反論に意味はないでしょう。
    彼の提言はドラスティックな変化を求めていることもあり、いろいろと論理破綻しているような部分も感じます。そこに対して今までの自分の歩みに誇りを持って、しっかりと反論する人がいないことに、今の日本の民主的政治状況の貧困を感じてしまうのです。なので、彼がどうこうというより、彼が出てきたことによって見える政治風景、言論風景にがっかりしているというのが、正直な感想になります。
    拙い意見で恐縮ですが、これからもどうぞよろしくお願いします。

  3. 流石の見解感服しました。ありがとうございます。以前管理人さんが取り上げていらした部門最適という観点で、私は橋下氏の今後に注目したいと思っています。

  4. kktfさん
    コメント、恐れ入ります。
    おっしゃるように橋下市長はどうも部門最適の論で、話しを組み立てていくところがありますよね。この後の記事の文武両道さんへの返信でも書いたのですが、いわゆる「弁護士的発想」で話しが進んでいくように思います。だからこそ、敵が必要でもあるのでしょう。
    敵がいることによってモチベーションが上がり。成果を上げることも多々あるかとは思いますが、やはり「エンジニア」的な発想で論理を組み立て、「大局」を見て行動してほしいですね。

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