事故調査はドラマの脚本か?

昨日公表された民間事故調の福島原発事故の報告書、いろいろとニュースで取り上げられていましたね。総じて言えば下記の記事のような内容でした。

民間事故調、「しがらみなし」 官邸や東電の責任ばっさり (From Sankeibiz)


 東京電力福島第1原発の事故原因を、民間の立場で独自に検証してきた「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」が27日、報告書をまとめた。政官業とは一線を画した立場からの報告は、菅直人前首相の行動を「混乱や摩擦のもとになった」と批判する一方、東電の事前対策の不備を「人災」と断罪。他の事故調が出した報告書とは異なり、当事者責任に深く踏み込み、「第三の事故調」の存在感をアピールする内容だ。(原子力取材班)
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自分はここまでの一連の流れを見ていて、どうしてもわからないことがあります。
それは「今からあの時がやり直せたとして、何が一番の最善手だったか?」という答えを誰も出していないように見えることです。
報告書の原本を読んだわけでは無いのでうかつなことは言えませんが、報道で見る限り「どういった方法を採るべき」という話しでは無く、「誰のこういった行動は問題だった」ということばかり。人の批判ばかりしている最近の日本の世相そのものといった感じ。
別にその人がいい人であろうと、わがままであろうと別にどっちでもいいんです。より効果的な動きを取ることが出来れば。
事故が起こったらまずは、結果論ではあるけど、こうするべきだったという方策を打ち出すのは、絶対に必要な事だと思います。例えばうちの業界でも、労災事故が起これば当然にそういった原因、改善策を打ち出す訳です。それが今回の事故では一向に見えてこない。
何だか今回の報道も、「あの時のドラマの脚本はこうだった」といった類のものに見えて仕方が無いのです。それでは「事故を教訓」に出来ないのでは?
・震災発生直後、原発の状況を示す計器が壊れたのであれば、どうすれば良かったのか?
・いつベントを決断すべきだったか?
・ベントが困難な状況とわかるにはどんな要件が必要だったか?
・海水注入はどのような段階で決断すれば良かったか?
・こうするためにはどのような組織体制・命令系統を作るべきか
などの提言こそが大事なのでは?と思うのです。
より実質的な調査と提言を、期待したいものです。

「事故調査はドラマの脚本か?」に4件のコメントがあります

  1. 企業から経団連に出向していたとき日米構造協議が始まり、
    米国商務省のナンバー2と議論したことがあります。
    そのときまだ日本の方針は決まっていませんでした。
    ところが翌年、その英文がSFCの論文試験で使われた・・・
    高校生ですから専門的な知識は問わない。
    模範解答がないからこそ自分で日本代表になったつもりで考える。
    その思考プロセスを見るのだそうです。
    今社会人相手の私塾をやっていますが、受講者は東大やMITの
    理系卒です。彼らは文系については高卒並みから出発していますが、
    理系であるゆえごまかしがありません。
    というわけで理系の主将鳩山と菅は理系の思考ではないと言っています。
    環境問題や原発の対応に余りの情緒主義で・・
    政治家が情緒過多であることに鳩山から橋下まで危惧を覚えます。
    そして国民が情緒になびくことに・・・

  2. ずっと慶應野球で主将を入力していたので首相になりませんでした・・・
    こんなケアレスミスが原発で怒っていなかったか、
    人の批判ではなく事実の検証こそ大事、
    管理人さんのおっしゃることに理系の塾生も「その通り」と言っています。

  3. 今世界的にエンジニアが不足している。東北復興が進まないのは官民ともにエンジニアが不足しているから。反原発が東電を貶めればエンジニアは離職し、エンジニアを目指す若者もいなくなる。金融工学がもてはやされ理工学部の優秀な若者が世界的に専門外をめざしたことから始まって、企業のリストラ、そして予期せぬ事態の責任をすべてエンジニアに負わせる。夢を奪われリスクを負うエンジニアは成り手がない。原因究明にはエンジニアの頭脳が不可欠なのに。

  4. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    今は余りにも数学的観念を敬遠するというか、下手するとバカにしすぎだと思います。
    自分もそうなので人のことは言えないのですが、「数学は苦手で、中学からさっぱりで」なんて話しばかりテレビで聞かされ、「微分積分が出来たところで人生の役に立つはずもない」なんて言葉も一般的になっています。
    そうではなく、論理的思考とは一体どんなことか、今一度考えて見る必要があります。証明問題なんかもまさにそうで、一つ一つの論理の積み重ねから解が導き出されるわけです。この思考方法が大事なのに。
    この思考方法を採ると、とかく面倒くさいし根気が要る。だから、これをしなくなる人が多くなっているのかも知れません。弁護士的な発想だと、理論構成がどうかというより、論争にいかに勝つかという話しですから敢えて無視する話しもたくさんあります。そして自分の論理に都合の良いものを取捨選択して、採用していきます。今はこちらの方面の考え方ばかりになってはいないでしょうか?
    本当におっしゃるように、事故解明の今必要なのはジャーナリストでも弁護士でもなく、「エンジニア」だと思います。

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