平和と軍隊 その1


なんだか余り盛り上がらない選挙期間が過ぎ、もう今週末には投票日となりました。
そんな盛り上がらない話題の中、ちょっと話題になっているのが「国防軍」論争。
これからご紹介する文章は、仕事でも大変お世話になっている建築家の方の一人で、K先生とおっしゃいます。こう言うと大変恐縮ですが、この分野に於いて支持する方向性は自分とK先生は多分違うような気がします。でも、この文章そのものは大変に本質を突いた文章だと思いますし、一人一人がこういったことを考えながら投票することが大事なのだと思います。お灸を据えるとか、ただ有名人だからとか、どうせ政治家は自分のことしか考えていないと諦観するのではなく、自分のこととして考えなくてはいけないことだと思います。考えはおのおの違って当然。しかし、こういうことを考慮した上で考えるということは、等しく必要な事では無いかと思っております。
まずは、K先生の書かれたこの文章のみを全文ご紹介します。これを踏まえて自分が思うことは明日にでも書こうと思っています。

僕は1979年から84年までイギリスにいました。今から思えばそのわずか数年の間に英国史に残る出来事が沢山起きた。サッチャー政権の誕生、チャールズとダイアナの婚約結婚、そしてフォークランド紛争。。。僕の家族が住んでいたPlymouthはイギリス第二の軍港。妹が通う学校では在校生の父親が戦死しました。まさか自分が戦争当事国にいて、しかも戦地に赴く人々を身近に感じることになるなんて、想像もしていませんでした。
アルゼンチン沖にある小さな島々からなる英国領フォークランド諸島。僅かな英国人が居住していた島をアルゼンチン軍が電撃的に占領した。本当にあっという間の出来事でした。そして、これまた間髪を入れずに英国海軍が艦隊を率いて遥か南半球の小島に向けて出港したのです。その後の展開は皆さんもご存知の通り。両国1000人近い(だったと思います)戦死者を出しながら、イギリスの勝利で終戦したのです。
この戦争について、なにがしかのジャッジを加えることは私には出来ません。しかし、身にしみて感じたのは、「国家とは戦争をする機関である」ということです。しかも、開戦の決断はいとも簡単にあっさりと行われます。何故なら戦うか否かを迷っている暇はほとんどの場合無いからです。戦争とは詰まる所やるかやられるか。フォークランドであればアルゼンチンの実行支配が成立してしまったら終わりです。これは断言出来ますが、戦争は突然始まるのです。この国でしばしば耳にする「国民的議論」などする暇は一秒たりともありません。
フォークランド紛争から遡ること3年、総選挙でサッチャー率いる保守党が労働党を大差で破りサッチャー政権が誕生しました。当時現地のパブリックスクールに通っていた僕が驚いたのは、中高生たちの政治に対する当事者意識の高さでした。まず各クラスで保守党支持派と労働党支持派の代表がホームルームで選挙演説を繰り返す。そして、実際の投票日の前日だったと記憶していますが、全校生徒が校内の広場に集まって最後の演説会をした後、英国国籍の無い僕には投票権を与えないという厳格さを持って(笑)投票、開票と進み保守党の勝利が皆の前で報告されました。
今僕たちは戦争を始める権限を持つ人を選ぼうとしています。繰り返しになりますが、ダム一つを造る造らないでスッタモンダする国家も、開戦の判断は一瞬で遂行されます。こんなはずじゃなかったと思ったときはもう遅い。少なくともそこを理解した上で投票に臨むべきでしょう。イギリス(すくなくとも当時の)では、中高生が真剣に政治の議論を繰り返していた。そうやって政治家を吟味する訓練を繰り返していた。だから、サッチャー政権が戦争に向かっても誰も驚かなかった。サッチャーの政治的信条はもちろん、それによって国家が潜在的に有するダイナミズム突如発動されることがあり得ることもを国民は充分承知していたはずです。
当時のイギリスとアルゼンチンの関係や、両国を取り巻く国際情勢は、現在の日本と中国には全く当てはまりません。フォークランドで起きた戦いが、かの島で起きるとはなかなか想像出来ない。でも、起きるときはあっさり起きます。臨界点をウッカリ越えてしまったら、簡単には止まりません。原発と同じ。それだけは理解して投票所へ向かって欲しいと切に思います。


“平和と軍隊 その1” への4件のフィードバック

  1. 「国防軍」という言葉に異様に反応するマスコミには少しがっかりしていますが、それはさておき今日の選挙です。私は若者の選択が今後の日本の方向を示すと考えています。中国漁船衝突の時に思い起こしたのはやはりフォークランド紛争でした。その後未曾有の震災と原発事故を経た今、管理人さんのこの問題提起には興味津々です。「その2」を楽しみにしています。

  2. 連投になってしまいますが何卒ご容赦ください。「正論一月号」を読み「ああそういうことだったのか」の思いを強く持ちました。尖閣国有化に当たっての野田・石原会談とその後の経緯がかの国政府の恫喝が遠因だったとは・・・。
    記事が指摘するように当時原子力発電所への攻撃を示唆されていたとすれば、元外務官僚がテレビで口々に唱える尖閣棚上げ論も同意はしないが合点できます。新首相訪米の結果如何では早晩我々国民の覚悟が問われることになるかもしれませんね。塾員政治家のブログに投稿してみることにします。

  3. 地震学(理学)者は、日本周辺ではMが8.3/4以上の地震は起らないと
    明言してきました。実際にはMが9(エネルギーで3倍近く)の地震が起こり
    建設(工学)系は辛うじて(小被害で)振動には持ち堪えましたが、津波にやられ
    ました。
    理学系は懲りて、発言が全て保守的となり、何万年以上は動いていないと言う
    活断層の定義もさらに厳しくなっています。建設系例えば建築での高層建築は、
    計算上破壊せよ! と言われれば、起こりえる範囲の地震波形を使い壊して見せる
    ことは出来ます。しかし,其の波形は現象上や確率上起り難い事なので、敢えて実際に
    高層建築を建てています。理学的安全性を求めれば、全ての構造物は壊れる可能性が
    あり、人間は壊れても逃げられるテント生活を余儀なくされるでしょう。確率的に
    生命損失の高い自動車を地震学者や地質学者が利用しているのは、多分個々の被害は
    限られ大災害にならないからでしょうが、人命の損失の総計は災害時を超えています。

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