「誰も戦争を教えてくれなかった」を読んで

最近、本を読んでも何もその後していないことが多いので、ちょっと備忘録的に書いて行こうかと思います。

「誰も戦争を教えてくれなかった」(古市憲寿著)
28歳の社会学者の方が書いた本です。自分より随分若い人でもこういう本を書くようになったんだなあと変なところに感慨を覚えました。
勿論、内容も面白かったので読んだのです。というのも視点が斬新だなと。
題名のように戦争とは何かとかの説明では無く、各国にある戦争に関わる博物館をめぐり、その国ごとの戦争に対する考え方、イメージが反映されたものが、博物館に表現されるということを彼の視点から書いている本です。彼はそれを

「博物館が戦争の何を伝え、何を伝えないかには、固有の歴史や葛藤がある。」
「戦争博物館というのは、すぐれて政治的な場所である。なぜならば、戦争が国家間で行われる外交手段の一つであるように、そこで起こったことの認定もまた、一つの外交であるからだ。特に国家が運営に関わる戦争博物館では、その国家が戦争をどのように認定しているかがわかりやすく可視化される。」

と表現し、自分のその言葉に首肯しました。
アメリカ、ポーランド、ドイツ、イタリア、中国、韓国、そして日本の博物館を訪れた感想などが描かれていて、その考え方に又考えさせられます。
例えばアメリカのアリゾナ・メモリアルは「爽やかで勝利を祝う楽しい場所」と表現し、中国の南京大虐殺記念館では「日本の残虐さを伝え、中国の寛大さをアピールし、最後には平和の大切さを強調する」と表現していて、確かに各国の捉え方を端的に言い表しているように思えます。
そして、特に日本のに対しての

「右翼にも左翼にも怒られないように、とにかくとにかく無難に戦争を描こうという姿勢は嫌というほど伝わってきた」
「国家が戦争のことを語ることができない日本という国を象徴するような展示だ」

という言葉は確かにと思います。日本にとって神学論争となりやすい「戦争」というものを的確に表現しているように思えます。
でもそのような姿勢では、寧ろ国際化どころかより内向きになってしまうのではないかとも思うのです。つまりはその話題で各国の人と会話が出来なくなるからです。
日本や世界の近現代をどのように評価し、どのように伝えるべきか。我々に課された大きな課題だと改めて思わされた本でした。

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