「NHKスペシャル 終戦 なぜ早く決められなかったのか」を見て

この番組は2012年の8月15日に放送されていたそうなのですが、なぜか全く見た覚えがありません。その時、一体、何やっていたんだか・・・。

もうすでに8年経っているのでスクープであるとも言えないのでしょうが、初めて聞いた身からすればやはりスクープと感じることが複数あります。

1)イギリスの公文書館に保管されていた日本からの傍受電報記録の中に、日本の各国の駐在武官から本国宛に
昭和20年5月24日 スイス・ベルン駐在海軍武官より「ヤルタ会談にて、ソ連は対日参戦を約束した」
昭和20年7月2日 ポルトガル・リスボン駐在陸軍武官「ソ連の対日参戦はあと数週間の問題」
と打電されていた。

→今まで、日本は昭和20年にソ連を通じての和平工作を模索していたが、8月9日唐突に中立条約の破棄と宣戦布告を受けたとなっていたので、事前に情報を掴んでいたのであれば、どうしてこんな流れになっていたのかとなります。

番組中では昭和20年4月頃より破滅的な戦局を鑑み、腹を割って話すために昭和20年5月11日に側近も排し、極秘で鈴木貫太郎首相、東郷茂徳外相、阿南惟幾陸相(陸軍の行政上のトップ)、梅津美治郎参謀総長(陸軍の作戦上のトップ)、米内光政海軍大臣(海軍の行政上のトップ)、豊田副武軍令部総長(海軍の作戦上のトップ)で戦争の終結についての道筋を話し合おうとしたことも紹介されています。

ここでソ連参戦情報が共有されていればとありましたが、電報は5月24日なので、この時点ではまだ知らないと言えるのでは?(ここら辺はNHKの情報操作というか番組演出を感じます)
とは言え、内々ではもう和平するしかないと思っていたエピソードも紹介されながら、陸軍としてはアメリカ軍に一撃・大戦果を挙げてアメリカが動揺したところで、少しでも有利な条件で講和に持ち込むという線の発言になってしまったとのこと。その上で、対ソ交渉を通じて事態を打開しようとのコンセンサスも出来、ソ連にどのような条件を出すか、つまり譲歩するかで話し合われます。満州から兵を引き揚げ中立国化する、日清戦争前くらいまで?いや日露戦争前くらいまでくらいといっただったようです。ヤルタ、そして北海道の北半分をも占領しようと目論んでいたスターリンの意図を知っている現代からすれば、それでも随分甘い認識となるのですが、思い切った条件を出す必要性は感じていました。ちなみに5月11日は硫黄島陥落、沖縄は戦況悪化、連日の空襲で本土の主要都市もどんどん破壊されている状況です。

※残念発言その1
松本俊一外務次官(当時、その後日ソ国交回復の際にも活躍した外交官)
「この人(軍人)たちが世界の大勢わかりますか、当時の。外務省以上にわかるわけないですよ。陸海軍でいくら明達の人だってね、外務省だけの情報持っていません。外務省がなぜかなら敵方の放送も全部聞いているんです。分析してるでしょう。日本の今の戦争の何がどうなっているかみんな知っていますよね、外務省は。」

2)昭和20年6月7日、スイスの駐在海軍武官がアメリカ側と極秘に接触を続けていた結果、アメリカに直接意志を伝えるパイプが出来そうとの見通しとの打電有り。
サンフランシスコ会談は失敗、トルーマン・ステチニアスの人気が下がる。米は表面上無条件降伏を叫ぶも内心は速やかに対日戦終了を。
米特使デュラス申し入れ。5/23,25 2回。
1 スイスの環境の有利なること
2 ソ連の干渉無きこと。トルーマン、ステチニアス、グルーと直接連絡重視せられあり。
3 月末話し合いの意図にてもあらばワシントンに連絡す 海軍大将級をスイスに送る意図なきや。もしその考えあればr便(?)は準備する

「直接アメリカと条件を探るチャンスです。この際、このルートを活用すべきです」と米内海相に進言するも、敵の謀略の可能性有りとして、海軍は手を引き、外務省に処理をさせるように指示します。

この時相手側にいたのは、アラン・ダレス。後のCIA長官です。彼はソ連の影響力拡大を不安視しており、ソ連の対日参戦をする前に終わらせるために早めに天皇制維持だけでも伝えても良いのではという考え方があったため、もしかしたら、上手く行くルートだったのかもしれなかったとのことでした。

※残念発言その2
松本俊一外務次官(当時、その後日ソ国交回復の際にも活躍した外交官)
(当時の外務省は対ソ交渉の糸口を掴むために必死になっていたこともあり)「例のアレン・ダレスあたりのね。あんなもの無意味ですから。僕らは情報を持っていたけどそんなものは相手にしたくもない。謀略だと思うよ」

3)昭和20年6月11日 梅津美治郎参謀総長が極秘で昭和天皇に以下の内容を奏上します。「(中国の前線視察の後、参内し)支那派遣軍はようやく一大会戦に耐える兵と装備を残すのみです。以後の戦闘は不可能とご承知願います」

昭和20年6月22日 異例にも昭和天皇自らの招集で、鈴木貫太郎首相、東郷茂徳外相、阿南惟幾陸相(陸軍の行政上のトップ)、梅津美治郎参謀総長(陸軍の作戦上のトップ)、米内光政海軍大臣(海軍の行政上のトップ)、豊田副武軍令部総長(海軍の作戦上のトップ)を集め、戦争指導について話合い、ようやく一撃後で無くとも和平の道を探ること。そのために近衛特使をソ連に派遣しようとまでは確認出来るも、どんな条件を与えるかでは議論が進まず、結局条件を事前に決めるには国内調整が困難だから、向こうに行って決めてきて貰うしかないとなります。それに対して、佐藤尚武駐ソ連大使からは「ソ連側は今更近衛特使が何のために来るのかわからないと受け入れない」という報告が返ってきて、頓挫してしまうのです。(開戦前にもアメリカのルーズベルト大統領と近衛首相が直接会談をして戦争回避をしようという話が出ましたが、同じく条件を決められず伝えられず、相手が訝しみ実現しませんでした。同じことやっています。)

1)2)3)のどのタイミングでももし決断できていれば、原爆投下・ソ連参戦は防ぐことが出来たのかもしれません。それゆえ、悔やんでも悔やみきれない話です。
その上で、この番組の結論は、結局みんな官僚化して、組織内の論理を優先する余り、情報は共有しない、悪い状況を容易に想定出来るも口に出すと責任問題になるから言わないことで、状況を悪化させたのだということでした。

勿論、その面もありますが、もう一つの側面があると思います。それは国内の過激分子の暴発です。実際に、2発の原爆とソ連の対日参戦、更に御聖断が下された後ですら、8月15日未明にクーデター騒動が起こっています。その時よりはまだ、戦力もあり、本土決戦で勝つことが出来る!という状況ですから、指導者たちが敗戦という形での和平に躊躇していたことも理解は出来ます。

でもそれを踏まえて、何が問題かと言えば、日本国民は最高責任者というものに対しての接し方、距離感の取り方や、組織としての意志決定の在り方が、大変不得意だということだと感じます。
それは今の国会での各党の論戦や、それを伝える報道機関の論調からも伝わります。つまり、このお話は昔話では無く、今に通じる日本国としてのウィークポイントをどう考えるかということだと思うのです。

国会での論戦、所属の党と名前を聞けば、大体こんなこと言うんだろうなというのが想像できるし、実際にそうします。
つまり、その党の公式の見解、その党を支えている勢力の意見から離れず、そのことをいかに雄弁に語るかといった論戦に過ぎないように感じます。
でもふとした時に見えるその人個人の見解は、必ずしもそうではない。
なんで個人の良識に照らし合わせて、現在の国の課題について話し合うことが出来ないのか?

またその状況を報道する側も同じです。
与野党は対決していなければならず、与党寄りの意見を述べた野党議員は、中途半端との誹りを受けます。
折角の建設的な議論は報道せず、テレビに映るのはワンフレーズポリティクスのようなプラカードとまくしたてるような発言ばかり。

日本は極論を言えば、室町時代中期よりの下剋上の精神が続いているのではないでしょうか?

ではなく、国の課題を話し合うときには、今まで所属してきた組織から一歩引いて、自分の良識に従った意見により話すことを諒として、むしろそうすることを評価し、後押しする仕組みや社会にしなければいけないと思うのです。なので、まずは官僚が一定以上の職位に到達したら、省の所属から国家公務員という大きな括りの所属にした方が良いと思いますし、国会での個別委員会の構成員にはそれぞれの建設的な役割を与え、何だったら委員会内の発言は匿名で30年くらいの保持期間を設定し、公益にしっかりと尽くせる仕組み作りが必要なのでは?と思うのです。そして責任者の地位に据えた人が決めたことについては、まずは組織として実行する文化を作る必要があると思います。

最後はこの番組で何度も発言が紹介される高木惣吉海軍少将の言葉で締めたいと思います。長文にも関わらずお付き合い頂き、ありがとうございます。

「私が訴えたいのは、腹と公式の会議における発言とそういう表裏が違っていいものかと。一体その国家の運命を背負った人が責任ある人が自分の腹と違ったことを公式のところで発言して、もし間違って自分の腹と違った決定になったらどうするのか。職責がああだとかこうだとか言われるんですよ。それはごもっともなんですよ。だけど平時にはそれでいい。だけどまさに祖国が亡びるかどうかというようなそういう非常事態に臨んでですね、平時の公的な解釈論をやっている時期じゃないじゃないかと。自分は憎まれ者になってもですよ、あるいは平時の慣習を踏み破ってもですね、この際もう少しおやりになっても良いじゃ無いかというのが僕らの考えだった」
(大変ごもっともですが、最高責任者として自分がどう行動出来たかの観点もあればより現代に通じる提言となると思います)

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