掲示板とブログ

みなさん、こんばんは!
途中までコメント欄で書いていた文章ですが、よくよく考えたら日頃よく感じていることなので、記事として独立して書いてみることにしました。コメントではなくなったので、少し加筆もしてみます。
最近、web上でのマナーと表現の自由というのが取りざたされています。近くではお隣韓国で有名な女優さんがネットでの書き込みに気を病み、自殺してしまい、それをきっかけにネット上での表現を規制しようという動きが見られます。

チェ・ジンシルさん自殺で悪質な書き込みが再び矢面に

振り返って、私が大好きな慶應野球部の応援掲示板は、管理者の方の絶妙とも言える手綱さばきと、参加される方々の温かい応援の気持ちから、大きく荒れることもなく、愛する気持ちに溢れた書き込みが多く見られます。
しかし、この前「実名で選手を批評するのはいかがなものか?まだ高校生なのに。」というような話が出ました。
自分はこの問題は、「インターネット」とひとくくりで考えるのではなく、「公共の場」と「私的な場」との区別を付けることから始まるのではないかと思います。
掲示板という場所は書き込みされる方が繁盛すれば繁盛するほど多様になり、また読む人も多様になります。そう考えると、こういった応援の掲示板というのは慶應義塾高校野球部の上田監督が仰っていた通り、ふらっと立ち寄る日だまりの木陰のような場所なのでしょう。すなわち、どういった内容の文章が掲示されているか意識せずについ見てしまう場所だと思うのです。それであればやはり各々が自制心を持ちながら、マナーを守り、読む相手に不快感を抱かせることは極力避けることが肝要なのだと思います。満員電車の中でいきなり熱く大きな声で討論を始めても、周りの人は迷惑なだけですよね。つまり掲示板は公共の場だと思うのです。
それに比べてブログは、すでに読みに来るということである程度の雰囲気を覚悟して来られる場所だから、自分の意見をもっとストレートに表現して良い場所なのだと。だからこそ、多種多様な表現がそこには存在するのだと。もちろん公序良俗に反してしまってはいけないでしょうが、自由度は格段にあると思うのです。まあ、家の中では恥ずかしい夫婦げんかも思いっきり出来る訳です(^^ゞつまりブログや個人のホームページというのは私的な場だと思うのです。
であれば、掲示板では例えそれが正しかったり意味あるものだったとしても、相手に対する配慮を忘れずマナーを守ることが大事ですよね。
なので自分も「掲示板で実名を上げて批評する」ことの愚を感じた訳です。
そのお陰で休眠状態だったこのブログを再び動かし、こうやって長文を書き込むようになってしまった訳です[E:coldsweats01]
まあこの意見が絶対正しいかどうかはわかりませんが、自分としてはこのような解釈でいこうと思っています。
インターネット上での表現の話も、かように公的・私的の区別を付けないといけないのでしょうね。ただ規制するでも表現の自由と叫ぶでもなくて。

「掲示板とブログ」に4件のコメントがあります

  1. げんき です、こんばんは!
    覚悟して見に来ました!?
    今朝のニュースでGoogleのストリートビューについての各国の判断・対応と、確か表現自由の視点からの反駁っという課題が報じられてました。
    この機能は作る側にも使う側にもまさに公と私のハザマという感じで節度が要求されますよね〜
    ちょっと例が飛躍しすぎかな^^;
    きっと心の教育の積み重ねが大事なんですね…

  2. げんきさん
    うわっ、早っ(笑)。
    ストリートビューは確かに凄すぎる機能で、どのように考えればいいか難しいね。
    それにしても心の教育って難しいよね。自分すらまだ心が全くなっていないっていうのに・・・。

  3. 「自分はいかなる偏見からも自由な自由人であると信じると、不断に自分の思考や行動を点検したり吟味したりしないため、自分に巣食う偏見から自由になれない。あるものを神聖化してしまうことを仏神化というが、それを不断に警戒することも必要である。戦前なら天皇、戦後なら民主主義。福沢を戦時中に読み始めたのは、自分のなかにあるその傾向を不断に点検するためだった」
    東大紛争で自分の大学で講義できなかった丸山真男の
    「福沢諭吉と私」という講演を三田で聴いたとき、
    この言葉に印象づけられました。
    対象に対する無批判の迎合、称賛、
    対象に対する無責任な中傷、非難、
    このふたつに至らぬよう発言するためには、自分が「自由人」であるという幻想からまず自由でなければならない。
    独立自尊さんの場合、このことを肌身でわかっておられると感じ、
    安心して投稿させていただけます。
    観戦記、楽しみにしています。

  4. 文武両道さん
    とても反省させられる文章を書き込んでいただき、ありがとうございます。
    「自分が「自由人」であるという幻想からまず自由でなければならない。」
    まさにこの精神を持つことが出来るかが大事だと思いますが、人間は残念ながら主観的にしか物事を見ることが出来ない弱さがあります。
    (私はあなたと違って客観的に~って人もいらっしゃいましたが)
    しかし自分の信念も持たないと、自分という人間の自我が確立できない。
    言葉では「信念を保ちつつ、常に柔軟に物事に接し、是々非々の態度で自らをより高めんと欲す」みたいなところでしょうが、自分はまだまだその領域にはとてもとても・・・。
    なので、あのように書き込んでいただくと、何かとてつもなく自分に対して買いかぶりすぎていらっしゃるのではないかと思い、逆に空恐ろしくなってしまいます・・・。(一部冗談の表現も入っています)
    まあ、でも悪く言われているわけではないので、少しでも早くその領域を覗くことが出来るくらいまではなりたいなあと思います。
    人生、日々修練ですね!
    では、今後ともよろしくお願いします。

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