夏に行くなら、あなたは海派? 山派?

コネタマ参加中: 夏に行くなら、あなたは海派? 山派?【ココログ選手権】


PCに向かいて、まずはコネタマを。
今回のお題は「夏に行くなら、あなたは海派? 山派?」とのこと。
私は山派です。
なぜなら、・・・。
おかしいなあ、塾生皆泳のはずなのに・・・。
普通部の時は臨海学校に参加し、大学の時は強制的にシーズンスポーツが水泳だったのに・・・。
そっか!今は塾員なので関係無くなったのかな?
山はいいですよね。涼しいし、空気も美味しいし。
まあ、こういうのを「負け惜しみ」と普通は言うのでしょう[E:sweat01]

「夏に行くなら、あなたは海派? 山派?」に8件のコメントがあります

  1. あれ?理由が違いますよ。アルプスというでかい山があるじゃないですか!春と[E:cherryblossom]夏に[E:sun][E:sign03] ただ、この山[E:fuji]浜風という海風も体感でき、日焼けしちゃいます[E:bleah]確か今年の春、昨年の春夏みなさん登りませんでした[E:sign02][E:scissors]来年登れるよう、土曜からお願いしますだ[E:paper]

  2. 夏になると、僕は登山道が崩れて通行止めにならない限り或る山に登ってます。
    山中も年々様子が変わり、齢を重ねていると感じることがあります。登る人間も老い、草木に岩肌、沢の岩場の苔までも様子が変わっていくんですね。
    人間の経済活動のお陰で、登山口までのアクセスは長年の中で格段に向上しています。でもそれを維持するのはとても費用と労力が掛かるもの、だと感じます。いつまで維持できるかなぁ・・・
    儲かる山ならいつまでも賑わい、予算もつくでしょうが。儲からなくても、いつまでも静かな山であって欲しいのです。

  3. 黄色と黒は勇気のしるし♪さん
    コメントありがとうございます。
    おい!黄色と黒は勇気のしるし♪さんに座布団やっといてくれ!(円楽師匠風に)
    なるほど、思いつきませんでした。確かにアルプスに登って、山びこを堪能しないと。
    まあ、ある意味行けただけでも大変な贈り物なので、また行けることを楽しみに、スタンドで声援を送りたいと思います[E:happy01]

  4. げんきさん
    コメントありがとうございます。
    そういった山があるということは、とても羨ましいですね!ついでにフィールドノートも書くといいですよ[E:wink]
    なんてことはさておき、確かに自然の維持というのは予想外に費用がかかりますよね。日本の森林も伐採のし過ぎが問題ではなく、間伐材を今は伐採出来ないが故に、山が荒れてしまうそうです。
    まあ自然だけに、なるように任せるしかできないのですが、ちょっとした気配りは忘れないようにしないといけないのでしょうね。

  5. げんきさんみたく現役ではありませんが、以前に書いたように、中学時代は登山部(ワンダーフォーゲル部)に所属してましたので、山にも愛着があります。夏の合宿はまじめにアルプス。他の時季には丹沢、雲取山、奥多摩、秩父等。寝袋や飯盒等を入った何十キロの登山用のリュックを背負い、一歩一歩登っていく。はっきり言って苦しい事の方が多かったですが、あの頂上に着いて三角点を踏んだ時の快感はないですね。また、その時に飲むビール…いや当時はポカリは旨かった[E:shine]このころから、ウエストより太もものサイズが上回るようになり、ズボンを買う際は大変です[E:down]

  6. 黄色と黒は勇気のしるし♪さん
    コメントありがとうございます。
    「どうして山に登るのか。それはそこに山があるからさ。」
    って有名な台詞があったような気がしますが、誰の言葉か思い出せずに困っている管理人です[E:sweat01]
    寝袋や飯盒を持っての登山とは、すごく本格的ですね。って部活だから当たり前なのでしょうか?自分も社会人になってから先輩に連れられて奥多摩の山にターフとかも担がされて行ったことがあります。本当に辛いことの方が多いですが、途中でヤマメを釣って、その場でそこら辺に落ちている枝で火を起こして焼いて食べたらすごく美味しかったとか、頂上の爽快さとかいろいろと素晴らしい記憶があります。
    ただ生来の面倒くさがりなのもので、どうしても最近は・・・。

  7. あごらさん
    コメントありがとうございます。
    なるほど!エベレストの登頂を目指したジョージ・マロリーの言葉として伝わっていたものなんですね!
    ご紹介頂いたWIKIも大変興味深く読ませて頂きました。事実を探求したい反面、こうあってほしいという願望も投影される。なかなか難しいものですね。最後のこの文章には、いちいち頷いていました。
    マロリーの息子ジョン・マロリーは三歳で父親を失ったが、「僕にとって登頂とは生きて帰ってくることです。もし父さんが帰ってこなければ決してやりとげたとはいえないのです」と、あまりに有名な父を伝説としてしか知らない寂しさを語っている。ヒラリー卿も同じような意見を持っていて「もし山に登っても、下山中に命を落としたら何もならない。登頂とは登ってまた生きて帰ってくることまでを含むのだ」と語っている。最後にイギリス人登山家でヒマラヤに詳しいクリス・ボニントン(Chris Bonington)は「もし彼らがセカンドステップにとりついていたとしたら、彼らは頂上近くまで行っただろう。そこまで行けばクライマーはみな同じ気持ちになる。だから、二人が頂上にいったとしても何ら不都合は感じない。私としてはむしろ二人が頂上までいったと信じたい。これは夢があるし、人々の心を突き動かす考えだと思う。事実はどうあれ、このことは永遠に不可知のままで良いのではないか。」

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