テニアン島

今日の夜のFNN NEWS JAPANを見ていたら、こんなニュースが流れていました。記事の内容は共同通信ですが。

普天間:米自治領テニアン市長 受け入れに前向き姿勢表明(From 毎日 jp)
 米自治領・北マリアナ諸島テニアンのデラクルス市長は10日、共同通信の電話取材に対し、在日米軍再編に伴いテニアンに米軍部隊を受け入れたいとの意向を示した。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)についても「移設先になりうる」とし、受け入れに前向きな姿勢を表明した。
 日本政府の沖縄基地問題検討委員会は10日、在沖縄海兵隊が移転を予定している米領グアムを視察。一部議員はテニアンに立ち寄り、北マリアナ諸島のフィティアル知事とも会合。米軍受け入れに積極的なテニアンが、普天間の移設先候補になるか、検討するとみられる。
 テニアンは観光地サイパンの南5キロにある島で、現行の再編計画では海兵隊の訓練地となる。デラクルス市長は取材に「島の土地を米軍に貸しているが、有効利用されていない。受け入れ能力は十分にある」と説明。軍部隊や施設がテニアンに移転すれば、経済効果を期待できると語った。
 米軍側にも受け入れの意向を既に伝えたという。

まあこの内容まではいいのですが、その後にテレビではすごいコメントが。

政府高官は「テニアンってどこだ?~(後略)」

核兵器の廃絶を目指している政権が恐ろしいことを・・・。ちなみに、上記のニュースは最後はこう締めています。

テニアンは太平洋戦争で激戦地となり、米軍による占領後は広島と長崎に原爆を投下した爆撃機が出撃した。

誰かれと言わず、やはり近現代史の教育は今一度見直すべきだと思います。
そういえば文藝春秋の今月号で立花隆さんが寄稿していますが、その中で東大の彼のゼミの学生さん達に聞いたアンケートの中で
「僕の有史は平成1年から始まる。でも、僕たちのなかで昭和と縄文はいっしょくたです。ヘルメットを被って安田講堂にいた人たちと、太平洋戦争で戦った人たちは一緒くたです。(表記はそのままです)」
という言葉がありました。自分にとっても驚愕の内容でした。文章の構成も含め。
戦争に反対だとか、天皇制がどうだとか、マルクス史観だとかなんだとかは別にして、今の世の中に連なる大きなものはちょっと前の出来事であり、それは断絶しているのではなく、ずっと連なっているものです。でも学校で教えているのはせいぜい明治までというのは、自分の時もそうでしたし、今も同じらしいですね。
確か自分が塾高の3年生の頃、選択科目というのがあって、その中でど真ん中の科目がありました。それは確か「昭和史(もしかしたら現代史かも)」。ちょうどあれは平成2年ですから、まさに昭和が歴史になりたての頃だったんですね。その授業は、時間をさかのぼる形で授業が進められました。後にも先にもノートを取らなくても絶対大丈夫だと思った授業はあれだけでした。とてもわかりやすくて面白かったです。
例えばそんな風にして今という時代はどうやって形作られてきたのかをもっと教えてあげて欲しいです。
少なくとも政府関係者から「テニアン島ってどこ?」って言葉は聞きたくなかったです。きっと彼はエノラ・ゲイとか、キスカ島・アッツ島なんていう言葉も知らないんでしょうね・・・。

「テニアン島」に2件のコメントがあります

  1. アンケートで言うこと、解るような気がします。
    第二次大戦後の体制・反体制、右も左も極端な方向に走るとその集団の最後は戦前の陸軍の様相を呈してくる。若い人は知らないと思いますが、連合赤軍のリンチ殺人事件などはその典型でした。
    司馬遼太郎は現在の日本のルーツとして遡るのはせいぜい鎌倉時代くらいまでで、平安時代以前は外国の歴史程度の認識と言っていました。(ひねくれ者の私は必ずしも「坂の上の雲」に代表される司馬史観に賛同はしていません。幕末・明治期に関しては大佛次郎の「天皇の世紀」→ドナルド・キーン「明治天皇」に共感を覚えます。)
    受ける側にしてみれば暗記科目である歴史は退屈な授業でしょうが、しっかり伝えることが重要であることは事実だと思います。大分前のNHKの番組で現役大学生に昭和20年代の日本の日常風景の映像を見せた際、彼らはそれを日本ではなく東南アジアのどこかの記録だと認識していたこと知って愕然とした記憶があります。

  2. Flamand@擬藤岡屋日記さん
    コメントありがとうございます。
    さて、「第二次大戦後の体制・反体制、右も左も極端な方向に走るとその集団の最後は戦前の陸軍の様相を呈してくる。」は正にその通りだと思います。
    このお話しを他のブログでご紹介頂いた方がいらっしゃって、そこから見つけたのが、ジョージ・オーウェルの「動物農場」。理論が先行し、それに社会を合わせていこうとすると得てしてこういったことが起こりますよね。
    昭和20年の話し、さもありなんですね。それこそ昭和初期以前なんて、石器時代とまでは言いませんが、まったく近代文明なぞなかったかのように思っている人も多いですよね。福澤先生の著作を読む度に、識者の持っている言論の自由度は当時の方が高かったのでは?とすら思います。今は自分の所属する場所への配慮が大きすぎて、その人の所属を見れば多分こんなことを言うんだろうなあというのが想像出来ますよね。
    今日のニュースで菅さんがインフレターゲットもどきのことを発言していたのを見てたまげていました。竹中さんがそう言っていた時、反対していたのに・・・。
    ちょっと脱線しましたが、戦前は全て前近代的な悪の時代と単純化してしまったところから、この変な歴史の分断が起こっている気がするのです。勿論善の時代でもなく、そんな単純化するのではなく歴史を見通していって欲しいものですね。

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