「ソ連が満洲に侵攻した夏」を読んで

読んでいてここまで辛くなる本というのはなかなかありませんでした。

太平洋戦争末期、日ソ中立条約から始まり、連合国で唯一対日戦争に参戦していないソ連に、日本は滑稽なくらいに米英との仲介をすがろうとしていたところの描写から始まります。
しかし例えば日ソ中立条約の不延長を通告したり、刻々と運び込まれる軍需物資、人員といった、ソ連の開戦意図を伝える風雲急を告げる情勢・情報は関東軍にも伝わります。
でも関東軍は「スターリンは日本国民の恨みを永久にかうような馬鹿なマネはしない」という理由にもなっていない理由で、また対独戦の兵士達が東方に来るのはまだまだ時間がかかるという甘い読みで、緊迫感ある準備等もしていませんでした。
というか信じたくなかったのでしょう。本当はソ連が参戦してくる可能性は多分にあることはわかっていて、そうなってしまったらもう終わりだということもわかっていて、だからこそ信じたくなかったのでしょう。
その頃スターリンは1945年の初頭まではじらすだけじらして、ルーズベルトから対日戦の果実をたくさん取ろうとしますが、ルーズベルトの病死後トルーマンとはうまくいかず、またアメリカが原子爆弾の開発に成功した(張り巡らせたスパイ網が殆ど瞬時にスターリンに知らせたそうです)こともありソ連の参戦を強く求めなくなったこともあって、果実を取るためにも急ピッチで開戦準備を進めます。
現地指揮官からはしきりにそんな拙速は難しいという意見具申もありましたが、耳を貸さず8月15日付近での参戦を目指します。
そんな時に日本は近衛元首相を始めとする全権団を結成し、ソ連に講和の仲介を頼みに行こうとしていたのですから、お人好しというか国際情勢に全く通じていないというか・・・。
しかも偶発的に戦闘が勃発するものの、その結果が逆にソ連はまだまだ本気でないと関東軍に判断させることになり、侵攻当日の8月9日には今後のために司令官達が持ち場を離れ新京(今の長春)で図上演習をやりにいっていたという間の悪さ・・・。(そういえばノルマンディ上陸作戦の時も、同じようなお話しが。もしかしたら諜報活動の結果だったのかも知れませんね)
その結果組織だった作戦がたてられることなく、さっさと関東軍総司令部は守りにくい新京から後退し、前線に現地部隊と、そして開拓団の民間人が取り残されます。
ここからの話しは本当に読んでいて辛かったです。
民間人より、兵士達より早く避難する高級軍人。
戦争の停戦の国際法上の取り決めがわかっておらず、国家の全権を担う人間が来ない中で停戦交渉をしようとし、いたずらに被害が増していく。
そして何よりも悲惨、哀れなのが、守るべき関東軍が退却してしまい取り残された開拓団の民間人たち。もとから壮年男子は根こそぎ招集されていたため、いわゆる女子供と老人ばかり。
そこに略奪も暴行も強姦も許されているソ連兵が襲いかかります。
鉛筆がポキポキと折られるように戦車に轢き殺される子供たち。
手当たり次第ソ連兵に捕まり、強姦される女性達(これは東ドイツ、ベルリンでも行われた光景です)。
まさに言葉の通り身ぐるみはがれてしまう略奪。
全く守るべき軍も警察もいない中、やられ放題になってしまった民間人達の苦悩を思うと・・・。
書いていても辛いです・・・。
そういえば太平洋戦争開戦の時の引き金となったハル・ノートは要求をいきなり満州国の放棄にまで言及したことが、問題とされました。
そこまでして守ろうとした満州を、戦争末期には放棄し、そして一緒に引き連れてきた開拓団をまさに棄民しました。
もし、民間人を守るために関東軍が奮闘していたら、まだ読後感は違ったのかも知れませんが、この余りの事態に言葉を失ってしまうのです。
勿論ソ連軍に対しても思うところは多くありますが、それよりもまずは、やはりどこかで危険がわかっていたにも関わらず、その情勢に目をつぶり、あまつさえ危機が勃発したら我先にと逃げ出してしまった高級軍人や官僚たちに対してはなにをか言わんやといったところです。
でもこれは我々の日常にもよくある光景です。多分このままじゃいけないんだろう、でも取り敢えずみたいな。
立場も時代も違うからこそ非難出来るとはいえ、実際に自分がその場にいた時、有効な手は打てるのだろうか・・・。
そう思うと、この本の教訓は
1)危機を察知した時、根拠のない楽観は決してせず、出来うる限りの対策をすべき
2)兎にも角にも戦争で負けてはならない
ということのように思えます。
読んでいて、ここまで気分が重くなる本も久しぶりでした・・・。

「「ソ連が満洲に侵攻した夏」を読んで」に10件のコメントがあります

  1. 私の中高時代はソ連は日本の知識人にとって理想でした。
    中学時代、五味川純平の「人間の条件」がベストセラーとなって、
    俳優座の仲代、加藤剛が映画、テレビで
    ソ連の満州進撃の悲惨を描いたとき、多くの知識人に衝撃を与えました。
    その後、山崎豊子の「不毛地帯」
    不思議なことに、ソ連の暴虐は日本ではほとんど語られることなく
    革新、進歩派によって無死されてきたように思います。
    その後、「収容所群島」といういわばソ連内部の告発が出て
    ようやく、革新、進歩派も認めざるをえなくなった・・・
    そもそもソ連を仮想敵国の1位に置き、
    最強の関東軍を配置し、満鉄調査部というシンクタンクによって
    ソ連を情報戦でも丸裸にした日本が、なぜ?
    まさにおっしゃるように、究極の楽観論が、
    現実を見させなかったとしか、思えません。
    それにしても極度の多忙のなか、管理人さんの読書には、脱帽!

  2. ソ連(現在のロシア)とは書類上は今も日本とは戦争状態のはずです。
    当時の関東軍は精鋭部隊を結集された最強軍のはずでしたが、終戦
    近くには精鋭部隊をほとんど南方戦線に持っていかれ、召集兵、予備役
    の舞台ばかりでした。真っ先に逃げた軍人もいたのは事実ですが、ソ連
    軍の暴虐振りに怒りに震え反撃した一部の日本軍兵士もいたことを記さ
    せて下さい。もちろん勝てませんが、損害はソ連の方が多かったはずです。
    当時、日本とソ連は「日ソ不可侵条約」を結んでいましたが、負けると惨め
    なもので国際裁判でも問われる事はありません。
    ご指摘のようにあまりにも悲惨極まりない出来事です。
    民間人を虐殺したのはアメリカ同じだと思います。広島・長崎の原爆、東京大空襲、アメリカでは戦争を早く終わらせた上に人的被害を減らせたと正当化して教育してますね。
    チェ・ゲバラが広島の原爆記念館を見て「なぜ、日本人はアメリカに抗議しないんだ。」と言った話はだいぶ後になって知りました。
    オーストラリアのカウラ収容所での出来事はご存知ですか?これも悲惨です。
    平和な日本、多々問題はあるにしても、拉致問題も進展どころか、解決しないまま。考えさせられる事も多いです。
    神宮で六大学を見ているときなどはつくづく平和である事を実感します。

  3. 初めて投稿を先日させて戴きました。驚きました。so-on様のブログで先般題名に興味を引かれ、内容を拝読し、書き込ませて戴きました。
    コメント欄の見方もあまり気にしておりませんでしたので・・・・(苦笑)
    「さもありなん。」と感じ入った次第です。文武両道様と管理人様また見識のある方と交流できるのは本当に有難い事です。正直驚きました。

  4. 管理人さんは独立自尊さんです。
    その折は、独立自尊さん、三角ベースさんに
    励ましのお言葉を頂きましたこと
    ありがたかったです。
    今後ともよろしくお願いします。

  5. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    余りに長く放置してしまっているので、どこからご返信しようか迷ったのですが、まずはこちらから。
    自分の学生時代の頃はすでにソビエトの矛盾といった形でのニュースが主流であり、その後ペレストロイカ、ソ連崩壊と進むので、知識階級が素直にソ連を礼賛していた空気はわかりません。でもそうだったんだろうと思わされることはなんどもあります。
    どうしても受け入れにくいのは「党の指導性」といった論理。そこには絶対的優位を築こうとする思考を感じるのですが、それは無謬性にも繋がるので、人間としてそれはあり得ないだろうと思うのです。人間なんて間違い、誤算だらけであり、その中をどうやって信念を持ち、そして有意義に生きるかということが命題なんだと思っているので。だからこそ、そうである場所では、健全な議論は必要だと思うのです。
    話しが横道に逸れましたが、ソ連がしばらくの間そのような地位でいることが出来たのは、コミンテルンの存在も大きかったのでしょうね。だからこそ、日本に於いても話題にならないようにうまく工作も出来たのではないでしょうか。
    自分は恥ずかしながらそう考えたことがなかったのですが、言われてみれば確かに満鉄調査部はそれこそ「最強のシンクタンク」と言っていい組織でしたね。無敵関東軍もノモンハンで手痛い失敗をくらいますが、相手にとっても苦しかったようで、ジェーコフ元帥もその時の戦いが一番苦しかったと言っていたくらいの戦闘意欲だったようです。なのに、辻政信は・・・。
    あまりに呆気なかった8月9日からの戦闘過程。しかし、その呆気なさのお陰で北海道が無事だったとか、余りに早く日本軍が諦めたのでスターリンが怒ったとか色々な余話も出てきています。
    その中でも特に印象的だったのは「事前の研究で、ソ連が侵攻した時、宣戦布告は行わない」というところ。宣戦布告をおこなわかったからこそ、賠償義務も発生しなかった。そう考えるとその判断が正しかったのだなあと思うと共に、ところで一連の流れを見ると、実は関東軍内部に細胞が・・・、なんても考えてしまいます。
    まあ、他の大多数の高級軍人にとっては想像する未来が余りにも絶望的なので、敢えて「究極の楽観論を採っていた」のではとも思いますが・・・。

  6. 三角ベースさん
    お初のコメント、ありがとうございます!まさかこちらで、しかもこの話題で[E:coldsweats01]お会いするとは思ってもみませんでした。三角ベースさんもこういったジャンルにご興味があるのですね!
    さて、まず事実関係の整理を致しますと
    日ソ間で締結されたのは「不可侵」ではなく、「中立」条約。つまり局外中立をお互いに誓う形の条約であった。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%82%BD%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84
    日ソ共同宣言により、日ソ間の戦争状態は終結している。下記の第1項をご参照下さい。
    http://www.hoppou.go.jp/library/document/data/19561019.html
    まあそれはさておき、おっしゃるように精鋭部隊と堅固に固めた要塞、そして自給自足も出来る体制作りが進んでいた関東軍でしたが、太平洋戦争が進むに連れて大本営からの督促もあり、どんどん現役兵を出していたそうです。以前の関東軍と変わり、独断専行をさせないように三宅坂はいろいろと手を打っていたようですし。
    でも現場の兵士達の戦闘意欲は旺盛で、9日からの戦闘でも随所で特筆すべき奮戦をされています。
    この記事で書いたのは「高級」軍人、すなわち司令官であったり参謀であったりの方々です。よく言われる「日本軍の兵士と下士官のレベルは大変高いが、指揮官以降はからきしダメ」を地でいったような状況だったのですね。
    この本の象徴的な場面の一つが、住民も何も避難する前に司令官達が脱出列車をこしらえ、家族を連れてさっさと出発しようとしていると耳にした、学徒兵たちが機関銃を持ち出し駅に詰問しにいくという場面です。しかしここでも老獪な彼らは「重大な作戦行動のため、後方に部隊を移すのだ」と一喝し、学徒兵があっけにとられているうちにさっさと平壌に向かったのだとか。
    それと比べ例えば虎頭要塞での奮戦振りは、涙無しには語れないくらいの激しさだったとか。実際にここでソ連軍は数倍の兵力と火力だったにも関わらず、文字通り最後の一兵まで戦い抜いたそうです。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%8E%E9%A0%AD%E8%A6%81%E5%A1%9E
    おっしゃるように、戦争に正義も悪もないと思います。あるのは勝利か敗北か。ソ連軍が戦争犯罪に問われなかったのも勝利したから。アメリカ軍のカーチス・ルメイが自分でも言っているように戦犯にならなかったのは勝ち組にいたから。良い悪いではなく、そういうものだとしか言いようがありませんよね。
    他にも通洲事件だとか、残虐事件はどこの国でも事欠きません。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6
    でも、勿論日本も南京はともかく、中国の各都市に無差別爆撃は少なくともしていますし、本当にどっちもどっちとしか言いようがないように思えるのです。銃弾で死ぬのも爆弾で死ぬのも焼夷弾で死ぬのも、どれもイヤですよね。
    つまり、この記事の最後にも書きましたが、
    1)危機を察知した時、根拠のない楽観は決してせず、出来うる限りの対策をすべき
    2)兎にも角にも戦争で負けてはならない
    なのだと思います。そう考えた時、普天間問題でなぜ台湾有事の際の国土防衛の方策、北朝鮮暴発の時の国土防衛の方策の話しが政策決定者側から殆ど、少なくとも国民に対しては為されないのかが、いらだたしくて仕方ありません。全く先の戦争から学んでいないと思えるのです。
    ということで(?)、今後ともどうぞ宜しくお願いします。

  7. 父親が私と同じ大本営情報参謀だったという東大名誉教授。
    仮想敵国はアメリカでなくソ連。
    その日本陸軍の想定のもとに組織、情報を
    対ソ戦だけに絞った努力はいったい何だったのか?
    忸怩たる思いを抱いておられたとのこと。
    私も企業の情報参謀であったので、よくわかりますが、
    情報を集め、分析することを情報参謀に求めるトップが、
    客観的な情報に従うより自分の個人的な願望、楽観論で
    決断してしまうこと。
    東條は、情報参謀の警告を「机上の空論である」と言ったという。
    今の民主党も官僚の提言を全く聴かず、
    希望的観測だけで政策を決めていて、官僚はやる気をなくしている、
    とは、東大卒の現役官僚。
    今、官僚を辞めて、独立起業する官から民への頭脳流出が起きている。
    東大を卒業しても官僚にならない東大生が増えている。
    政策能力の疲弊は10年後の日本の外交、産業力を三流国にするだろう。
    既に国家公務員上級試験を受ける東大生がかなり減っている。
    勤務を脱け出してきた彼、
    西行を語る花見でとりあげられたのが、憂国の憤懣!

  8. ご挨拶もせず大変失礼致しました。申し上げます。
    ご指摘有り難うございます。「1956年10月19日 モスクワで署名」この日までは
    戦争状態だったんですね。
    基本的にロシアは信用していないので(苦笑)。北方四島も未だ進展なし。
    「中立」でしたか、記憶違いか他と混同してしまったようで申し訳ありません。
    やはり見識のある御仁と思ったのは間違いないようで嬉しい限りです。
    (1)、(2)のご意見ごもっともだと思います。又、溜飲が下がるようなコメント
    を管理人様、文武両道様から投稿されることを楽しみに、今後とも何卒宜しく
    御願いいたします。
    PS
    我が家では、私のコメントも皆様のコメントもオープンにして意見の交換、
    考えの違い、教育方針の相違をしています。たまに押し切られますが・・・・。

  9. 異見卓見
    これが信条で、
    私塾でもこれで通しています。
    文系ではなく理系の人が多いため、
    白紙の状態で、
    思いがけぬヒントももらえます。
    もちろん、このブログでのやりとりも
    紹介しています。
    野球でも三角ベースさんの
    異見卓見を期待しています。
    こちらでは安心して議論できます。

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