珍しくこんな記事を見ました

韓国の新聞は日本語版のウェブを出しているので、結構見ていますが、こと日本関係になると冷静さを欠くきらいがあり、なるほどこんな風に感じているんだなあといつも思って読んでいました。それが今回、朝鮮日報でこんな記事が。


【コラム】旅順の203高地で見たもの 
(From chosun online)
 「韓国からのツアー客10人のうち5-6人は、ここは韓国と関係がある場所でもないのになんで連れてくるんだといいますよ」
 昨年11月、遼寧省旅順で日露戦争の激戦地、203高地を訪れた際、朝鮮族のガイドが漏らした言葉だ。
 旅順港を見下ろす203高地は、日本がロシアと韓半島(朝鮮半島)の支配権を争った日露戦争で最大の激戦地だ。1904年夏、乃木希典大将率いる日本の第三軍は、ロシア艦隊の本拠地だった旅順港を包囲。6万人近い戦死者を出した末、翌年の1905年1月にここを占領した。乃木大将の息子、乃木保典もこの戦いで戦死した。203高地の乃木保典が戦死した場所には記念碑が立っている。
 旅順に続き、現在の瀋陽で繰り広げられた奉天会戦、日本海海戦(韓国での呼称は対馬海戦)で勝利した日本は、同年9月5日に米ポーツマスで朝鮮を「指導、保護および管理する権利」をロシア政府から認められた。日本が韓国を植民地として併呑(へいどん)できるように許可証を与えた条約だった。それなのに、韓国人観光客は亡国という国恥につながった現場で関心を見せずに帰っていくという。
 韓国が100年前に国を失ったのは、日本の侵略のせいだった。しかし、1902年の日英同盟、1905年の桂・タフト協定、1907年のハーグ万国平和会議の現場を取材して感じたのは、韓日強制併合が日本だけの力ではなく、国際社会の了解によって成されたという事実だ。
 ポーツマス条約の仲裁に入ったセオドア・ルーズベルト米大統領は「韓国は極度に無気力で、最低限の抵抗に及ぶ能力もない。名ばかりの要塞(ようさい)、軍艦、軍隊を保有しているが、考慮する価値もない。韓国は攻撃を自ら招くことになる」と評した。1894年から97年にかけ、韓国を4回旅行した英国人イザベラ・ビショップは、当時の官僚階級を「国の財政を食い尽くし、わいろを受け取ること以外にやることがない」として、「寄生虫」呼ばわりした。平民階級の存在理由については、「吸血鬼に血を供給する役割だ」とまで語った。国際社会が日本の朝鮮支配に目をつぶった理由は、朝鮮自体の無能と腐敗によるところが大きかった。
 独立を維持する力を自ら整えることなく、列強に頼ろうとばかりしていた高宗(朝鮮第26代国王)の「権力バランス外交」もあざけりと不信を招いただけだった。英国人記者マッケンジーが日露戦争直前の1904年2月に高宗の側近、李容翊(イ・ヨンイク)を取材し、「韓国が自らを救うためには、改革が必要だ」と述べると、李は「韓国は安全だ。韓国の独立は米国と欧州によって保障されているからだ」と答えたという。東アジアが緊迫の度を増していた時代に国際秩序を誤って理解し、外部勢力に依存した代償として受け取った請求書は「亡国」だった。
 100年前のことを思い出したのは、今後の韓国の統一と発展が国際社会の理解と協力によってのみ可能だからだ。100年前に日本はそうした点で韓国をはるかに上回っていた。国際社会の信頼は容易には得られない。亡国の現場に来ても、ほかの場所に行って遊びたいと考えるような人間が国際社会の信頼を得ることは難しい。100年前にわれわれの祖先もそれで滅んだのだ。
金基哲(キム・ギチョル)文化部次長待遇

ちょっと金さんの今後の立場が心配になったりもしますが、こういったことを言えるようになってきたのも、やはり自信が付いてきたからだと思うのです。つまりいい意味で日本を対等の存在として見ることが出来るようになってきたのだと思います。「貧すれば鈍する」の反対ですね。やはり「一身独立して国独立す」なんだと思います。
そう思うと共に、
「独立を維持する力を自ら整えることなく、列強に頼ろうとばかりしていた高宗(朝鮮第26代国王)の「権力バランス外交」もあざけりと不信を招いただけだった。英国人記者マッケンジーが日露戦争直前の1904年2月に高宗の側近、李容翊(イ・ヨンイク)を取材し、「韓国が自らを救うためには、改革が必要だ」と述べると、李は「韓国は安全だ。韓国の独立は米国と欧州によって保障されているからだ」と答えたという。東アジアが緊迫の度を増していた時代に国際秩序を誤って理解し、外部勢力に依存した代償として受け取った請求書は「亡国」だった。」
が今の日本に当てはまらないとは、断言出来ないような気にもなってくるのです。防衛費削減、在日米軍への扱い、片方の候補が言っている在日米軍のあり方、対米外交のあり方、対中外交のあり方を見ていると。そう言えば前総理がおっしゃっていた友愛の海はどこら辺にあるのでしょうかね?

「珍しくこんな記事を見ました」に2件のコメントがあります

  1. 「近現代史を教えない」という戦後教育の弊害を受けてきた世代のひとりとして考えさせられる内容でした。勉強になりました。ありがとうございます。
    加藤陽子氏が栄光学園の生徒達への講義内容を纏めた「それでも日本人は・・・」の読後に感じた感覚に似ているような気がします。それとも「坂の上の雲」の中にある昭和の軍人を痛烈に皮肉った一文を目にしたときに覚えた感覚でしょうか?
    ともあれ、猛暑の秋の大会が始まりましたね。今日はこれから等々力に行こうと思っています。

  2. kktfさん
    コメントありがとうございます。
    浅学な自分が大先輩であるkktfさんに「勉強になりました」とおっしゃっていただくと、大変恐縮してしまいます[E:coldsweats01]
    司馬遼太郎さんは確か歴史を「鳥瞰」する意義を説いていらしたかと思います。よく隣国が「歴史を鑑として」と言います。その言葉には賛成なのですが、意味合いは違います。彼らは加害者被害者の観点から言っています。これは道義的な上下関係を続けさせようとすることに他なりません。つまり外交カードとして使っています。そうではなく人間同士の起こす本質的な部分をつまみ出し、自分たちの未来のために役立てることが大事なのだと思います。その点で、この記事は珍しく加害者被害者の観点ではなく、エッセンスを取り出そうとしていたので、ご紹介してみました。

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