今回の与謝野氏の入閣に関して思うこと

この前の記事のコメントでkktfさんから頂戴したご質問に対して、記事として取り上げてみようかと思います。
巷では所謂「べき論」で、与謝野さんの就任に対して疑問符を投げかけています。
まあ端的に言うと渡部恒三さんのコメントの通りなんでしょう。

与謝野氏の入閣、渡部氏「卑しい」 (From 日本経済新聞
 民主党の渡部恒三最高顧問は14日のTBS番組の収録で、菅再改造内閣で与謝野馨氏が経済財政相に就任したことに関し「政治家で一番大事なのは信義と節操だ。政権を失ったとたんに自民党を出て、今度民主党で入閣するなんて卑しいし、恥ずかしい」と批判した。
 同時に「(民主党は)参院が足りない。(与謝野氏を)大臣にして参院のものを連れてくるなら意味があるけど、衆議院じゃあね。本当に意味のない人事だった」と酷評。一昨年の衆院選で東京1区で戦った与謝野氏と海江田万里経済産業相がそろって入閣したことには「同じ党で大臣2人になれば選挙民はどう判断すればいいのか。全然間違っている」と語った。

自分は今回の件が倫理的にどうかと言われれば別ですが、政治家としておのれの志を立てるために、なりふり構わぬ行動をすることそのものが、必ずしも糾弾されるとは思いません。それであれば亀井さんだって福島さんだってどうなんだ?という話しだとも思いますし。
但し、私は与謝野さんを政策通と感じられず、今までの行動から、政治家として仕事を成し遂げられるタイプではないと思っているので、ここまで波紋を起こしてこの人事をする価値は無かったのでは?と思っています。
先ず思い出されるのは麻生内閣時代の「間違った信心」発言です。すなわち、
「(規制改革会議に関連して)規制緩和はすべて善という信心がはやったが、間違った信心だ」
「(小泉内閣での政策金融改革は)世界が順調に成長していくという前提の経済学で、世界が同時に不況になることをまったく想定していなかった。間違いだった」
これについては、自分はこの記事と同じ事を感じていました。

糾弾されるべき与謝野大臣の妄言+先週のテーマ「メディア再生のヒント」の補足(From DIAMOND Online)
 経済の混乱が深まる中、与謝野大臣がとんでもない発言を二つもしました。それがいかにおかしなものであるかをどのメディアも報道していないので、私が解説したいと思います。(続きはこちら

続いては、リーマン・ショック時の応対。まさに今回と同じ経済・財政担当大臣だったわけですが、この時は、
「んーまあ、蜂に刺された程度じゃないんですか?」
と発言しています。その後の推移を考えると、先見の明に優れているとは言えません。こちらについてはこの記事が自分の考えに近いです。

猛毒だった蜂の一刺し-後手に回った経済・雇用対策ー (From JAN JAN NEWS)
 「んーまあ、蜂に刺された程度じゃないんですか?」
 昨年9月、リーマン・ショックを受けての与謝野馨経財相の「お言葉」である。麻生太郎首相の、その後の政権運営を見ていると、この「お言葉」が「景気・雇用対策より政局」へと首相をして走らせた大きな要因になったのではないかと思う。そしてそのことが、皮肉にも内閣支持率の低下に拍車を掛けている。(続きはこちら

そしてデフレ・インフレについてはこんなお考えをお持ちのようです。

「日本の経済成長に過剰な幻想を抱かないことです。インフレ率を高く見積もって日本の税収を予想することは決してやってはならない。インフレは弱者に厳しいもので、国民が最も嫌うものがインフレ。ミャンマーのデモも引き金はそれでしょう。物価が上がらず、100円ショップで何でも買えるのはいい話なんですよ。さっき私も買ってきたんですが、このハンドタオル、2枚で99円ですよ。いいでしょう。」 (毎日新聞(夕刊)平成19年10月2日(火)より

それに対してケインズは、企業者と労働者とからなる活動階級と資金の供給側である投資者(債権者)からなる非活動階級の二階級観をもっていて、この様に捉えています。

インフレーションは金利生活者に損失を、デフレーションは失業によって労働者に損失をもたらすものと見ていた(「貨幣改革論」)が、ことにストックの価値を高めるデフレーションは、活動階級の犠牲の下に貨幣愛に囚われた非活動階級に利得を得させるものと捉え、これを緩やかなインフレーションよりも問題の多いものと見ていた。

私はどう見てもケインズ理論の方が正しいと思えるのです。
政策とは日本の優秀な官僚機構でも十二分に作られてくるものだと思います。寧ろ政治家に求められているのは状況に応じた的確な判断と、必要と認めた政策をしっかり実現する実行力なのだと思います。そう考えた時、日本経済のターニングポイントとも言える状況の時、それを司ることが出来るポジションにいて、そしてその判断・言動に首を傾げたくなるようなことが目立っていたので、私としてはそもそも与謝野さんを政策通の政治家として見ることが出来ないのです。
その上で実行力についても大いに疑問を持っています。下記の記事をご覧下さい。

「政策通」与謝野氏の晩節 (From 日本経済新聞
 政界きっての政策通、官僚の信任が最も厚い政治家――。たちあがれ日本を離党した元財務相、与謝野馨を形容する言葉は自民党時代から枚挙にいとまがない。首相、菅直人が与謝野を政権へ誘ったのも、その知恵と評判を買い、変化を印象づける狙いがあったからにほかならない。「残された政治生命のすべてをかけて日本の将来のため、少しでもいい仕事をしたい」と意気込む与謝野に、官僚たちは「いま必要なのは知恵よりパイプだ」と意外に厳しい目を向ける。
 「政策通」と呼ばれるたび、与謝野は「実は議運・国対族でもある」と答える。野党と折衝し、落としどころを探る。この仕事に与謝野を登用したのは元官房長官、梶山静六だ。梶山は派閥が違う与謝野を自民党国対委員長の時には筆頭副委員長に、幹事長の時は衆院議運委員長に、官房長官の時は副長官にと1990年代、重用し続けた。
 議運・国対だけでなく、政策面でも梶山は与謝野の後ろ盾となった。財務省との関係を一段と深めることになった財政構造改革は、首相経験者による「財政構造改革会議」を梶山がお膳立てしてやり、与謝野に腕をふるわせた。与謝野が秘書を務めた元首相、中曽根康弘も与謝野の大きな支えだった。
 元首相、小渕恵三は総裁選を戦った梶山の影響力をそぐ狙いもあって与謝野を通産相に起用し、産業再生を任せた。その後も自民党時代は政調会長、経済財政相、官房長官、財務相と要職を歩み続けた。強力な政権の信任を得たとき、テクノクラートとしての与謝野の力量は最大限に発揮される。財務省と経産省は与謝野が閣僚になるたびに同じ官僚を秘書官に出し、関係強化に腐心した。
 苦手なのは多数派形成だ。郵政民営化取りまとめにあたった小泉政権では、策士で知られる園田博之に郵政改革の責任者を頼み、助けてもらった。たちあがれ日本でも行動をともにした園田は今回、電話に出なくなった与謝野に、人を介して何度も「思いとどまった方がいい」と働き掛けた。その園田とも袂を分かち、与謝野を政略面で支える政治家は見あたらない。
 官僚たちの冷めた見方は、ここに理由がある。政権基盤が不安定ないま、官僚が求めるのは自分たちでもできる政策立案ではなく、与党を掌握して野党と交渉できる政治力だからだ。「あと1、2年の政治家生活と思い定め、もう待てなかったのだろう」と周辺は与謝野の行動を評する。残された時間は少ない。=敬称略

なので、「今回の与謝野氏の入閣にはどのような感想をお持ちですか?」については、倫理的に問題があることもそうだが、それ以上にそもそも与謝野氏がそのような力量を持っている政治家に見えず、ここまで波紋を起こしてこの人事をする価値は無かったのでは?というのが自分の感想です。
なんだか随分と偉そうなことを書いてしまいました[E:sweat01]

「今回の与謝野氏の入閣に関して思うこと」に11件のコメントがあります

  1. 与謝野大臣が適材でないことには同意しますが、
    同時に適材であれば、周囲の批判が予想されても
    内閣に入って仕事をする勇気をもってほしい。
    たとえば平沼氏は拉致問題担当を打診され
    断ったと暴露していますが、
    家族会も櫻井よしこ氏も拉致問題に最も
    強力なカードは平沼氏がもっていると言っており、平沼氏自身も自民党時代、
    意欲と能力を語っていました。
    であるならば渡部氏と同じように「卑しい」と
    与謝野氏を批判するのではなく、
    拉致担当大臣を引き受け、仕事をする気概を
    見せてほしかった。
    外野から批判するのではなく
    仕事ぶりで与野党を超える政策を打ち出せる
    政治家であってほしい。

  2. 小沢さんはフジテレビで、
    いかに対米交渉で自主性を貫いたか自慢していましたが、湾岸戦争のとき最も対米協力に熱心であった幹事長時代についての話はなし。
    小沢さんは公約違反は解散で信を問え、
    とまるで自民党。
    ここまで追い詰めたのは自分の責任
    ばらまき公約と政治とカネという意識なし。
    鳩山さんも菅さん批判に転ずる無責任。
    たとえ解散しても自民党、民主党と
    組織は違えど、国民にどう信を問え、
    と言うもか。
    菅さんは左翼オンリーでのし上がり、
    トップに立つと全体を考えろ、とお説教。
    ならば、自分の民主党時代の攻撃を
    自民党が真似ていることを反省しなければ
    ならない。
    まさに立場によってころころ変わる言説。

  3. 本論とは関係ありませんが、
    近頃、目が弱くなって・・・
    このブルーの地の白抜きは見やすいですね。
    やはり眼にやさしいのでしょうか。

  4. まさか記事として取り上げて下さるとは思ってもいませんでした。光栄です。以前部分最適と全体最適の指摘があったと記憶していたのでこの人事のご感想をお訊ねしたかったのですが、そうですか。部分として捉えても不適ですか。1930年代の教訓を活かさないと、マグマが吹き出てくるかも知れないような気がしてなりません。ある日突然温首相が尖閣に上陸するとか・・・。考え過ぎですかねえ。

  5. 自分の所属する組織の利益を優先するのは、
    帝国陸軍から官僚、企業まで同じです。
    現地軍の司令官が中央に上がってきても
    現地の要求を拒絶できない
    それが戦線拡大に至ったと
    帝国陸軍の組織の問題を指摘していましたが。
    昔、人事部にいたとき
    ポジションが全く入れ替わったとき、
    どう行動するか、観ていましたが、
    人による差は全くありませんでした。
    現場は本社を現場の実態を知らないと批判。
    本社は現場は全体の利益を考えないと批判。
    概ね、事業部制は失敗しました。
    部門利益しか考えない事業部門長を
    つくったからです。
    およそ全体利益を考えて事業部門を犠牲にした
    人が社長に認められたという例もないので・・・
    官僚の社会に問題が起きると、
    それを口実に組織が出来上がり、
    利権がふえるので「問題」を歓迎するそうです。
    元官僚の話では、問題に伴って組織を肥大化させた人が出世するとか・・・

  6. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    まさにおっしゃるように、政治家はその自らの思いを実現してこそであり、たとえば辻本清美さんが社民党を離党しましたが、その意図はわかるような気もするんですよね。批判をすることが目的であれば、一点のみを見つめ、そして他のことを考慮せずに言うことが出来ます。今の前総理大臣なんてまさにそうですね。
    現実はいろいろな要因が絡み合い、誰もが納得する政策などあるわけもない中で、いかにこの国全体を見通して信念を持ち、政治を進めていくかが大事なんだと思います。なので、国民に語りかける能力、自分の考えを訴える能力が必要だと思います。
    今は立場がそっちにいけばそっち、あっちにいけばあっちの政治家ばかりな気がします。民主党、自民党に属する前に、日本国に属していることをもっと意識してもらいたい。
    私見ですが、与謝野さんは各事象には詳しいのでしょうが、いわゆるテクノクラートで、ステーツマンではないと思います。平沼さんはどうしても義父の方が複雑怪奇というより法曹界なのに神がかりすぎていたので、なんだかなじめません。小沢さんはその豪腕ぶりを見たいという気持ちはあるのですが、余りにもぶれのある行動が、結局のところ政局主義にしか見えません。
    兎にも角にも、今そこに政府があるわけで、その政府がうまく日本を導いていけるように、吾々国民が見守るべきで、了は了、否は否としっかり意思を示していくことが大事なんでしょうね。

  7. kktfさん
    コメントありがとうございます。
    確かに1930年代の教訓は、今の日本にとっても示唆に富んだものだと思います。あの時もパクス・ブリタニカが崩れ、大国の座に躍り出たアメリカが大恐慌で疲弊し、世界秩序が混沌とする中、各国のエゴとエゴがぶつかりあった時代でした。今も米ソの2大国時代から、アメリカのスーパーパワー化とその後退、そして新興国の勃興と、やはり国際秩序が混沌としている時代に感じます。
    その中で芥川流に言えば「ぼんやりとした不安」がもたらず閉塞感が、思わぬ方向に転がったり、またゆでカエルのようになってしまうことも往々にしてあります。
    大事なのは一人一人が当事者意識を持って、無責任に放言するのではなく、解決策を判断しようと思うことだと思います。なかなか難しいことですが。
    もし与謝野さんが竹中さんだったとしたら、この人事には大賛成でした。もし、石原伸晃さんだったら、やはり反対でした。
    この国難という時代、「総理になってほしい政治家」というフワフワしたものだけではなく、各大臣についてこの人が仕事をやってくれそうだ!というアンケートを取ってみてくれた方がいいのでしょうね。
    でもそれより、いかに今の内閣が腰を据えて喫緊の課題に取り組むか、それが大事でしょう。ここは臍下丹田に力を込めて、しっかりと取り組んでいって貰いたいですね。
    なので、「1930年代の教訓を活かさないと、マグマが吹き出てくるかも知れないような気がしてなりません。」というお言葉は、自分も全くその通りに感じます。
    いつも素晴らしいコメントを頂戴し、ありがとうございます!

  8. 前回の私塾で「関東大震災と国債」から「消費は美徳」に話が移ったところ、
    「貯蓄は美徳」の世代から質問が・・・
    個人でも国でも借金をしている状態では、『入るを計り,出るを制す」
    のが、当然と思われます。
     今、「日本は国民は貯金しているが、国は借金をしている」状態ですが,国の
    巨大な借金の大部分は国民の貯金から借りているもの である理解しています。
    (国民の貯金には危うい面もありますが。)
     国が借金を無くすには、一方で無駄を省き、他方 税収額を拡大する必要が
    あります。無駄はまだまだ大量にありますが、それはまた別の機会に論じるとして
    税収の拡大は、(例えば、現在の様に年金からどんどん増額をしながら源泉徴収する
    保険税等では無く)国民の所得の増加に因る所得税の自然増が望ましいのは,当然です。
    (何故、高額所得者の税率が近年引き下げられているかは疑問ですが。)
     質問1。しかし、円高に振られて、国内で生産した製品は高過ぎて売れない、そこで生産
    拠点は国外に出て国内は仕事が減り,失業者も増え所得が減る。プラザ合意の当然の結果で、
    これに対して、従来の大量生産大量輸出の製品輸出立国に替わる方式が必要ですが,
    今は、過渡期として、エネルギーや運送費を易くし、自動機械化を進めて高価な人力投入
    を減らし、事業税もゼロに近付けて製品のコストを下げ,輸出得意品目を増やし職を増やす
    必要がありそうです。日本政府は逆の事をしている様にみえますが、先生はどう御考え
    でしょうか?
     質問2。国内経済の活性化のために、『消費は美徳」なのでしょうか?
    日本人個人も貯蓄を確保しないと日本政府の大借金を支え切れず、円高 どころか 円の
    価値の急落現象が起ると思われます。其の為には、個人の無駄な消費は避けるべきなのでは
    無いかと思いますが、先生はどう御考えでしょうか?(勿論必要品を買うのは当然ですが,
    消費税引き上げは貯蓄を減らすばかりか不況を煽る結果になると思って居ます。)
    以上の2点について御答え頂けると有り難いと存じます。
    管理人さんの卓見を伺えたら・・・と投稿しました。

  9. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    お返事が遅くなってしまって申し訳ございません。
    卓見という物は何も無く、愚見でしかございませんが、思うことを書いてみます。
    前提として、日本という国は明治以来過剰な生産能力に悩んできた国だと思います。戦前は国土の割に人口が多いことで当時の生産能力の最たる物である人間が移民という形を取ったり、新たな経済圏を求め中国に進出したりしていました。それが各地で摩擦を呼び、カリフォルニアでは日系移民排斥を生み、中国進出では欧米諸国との利権の衝突、中国における反日感情の高まりを呼び、泥沼の戦争に入り込んでいったように思います。その結果必然的に軍備拡張を図り、その過程の中で戦争の近代化と絡み、重工業が飛躍的に伸び、戦には敗れたが、各地で第二次産業の基盤が出来ていました。生産機械はまずは外国から高価な物を輸入し、ついで国産化を果たす。勤勉で識字率が高くて安い人材が多くいたことから、良質な工業製品を安価で生産することが出来、戦後の世界の旺盛な需要と相まって、高度経済成長を成し遂げたのでしょう。勉強熱心な国民性は徳川家康が戦国の世を終わらせるために武士も農民も学問を奨励したことも遠因になっていると思います。
    この日本の得手としてきた第二次産業が現在苦境に立たされています。いわゆる新興国も同じように一部の人たちでは無く、国民の大多数に教育を施し、勤勉で安価な労働力を多数揃え、生産に必要な機械を外国から導入することで、競争力のある製品を作り出しているのです。
    それに対して今日本は何を目指すべきが問われているのでしょう。
    問題1
    反対のことをしているというより、何もしていないことが結果的に反対のことになってしまっていると思います。
    借金であれ、金融商品であれ、将来に対する期待がその推進力であることは明らかです。今の問題は将来に対する戦略が定まっていないところがこの状況を招いていると思うのです。日本政府が逆のことをしているというよりは、何もしていないと言う方が正しいと思います。その上で経済戦略より分配に目が行きすぎて、将来に対する期待を作り出していないことが一番の問題だと思うのです。戦略とは取捨選択することでもあります。経済産業省、内閣府(旧経済企画庁部門)が有効的に働いていないことが現在の混迷を招いていると思います。どの産業を武器とする国とするのか、その戦略があって初めて事業税だとかエネルギー・運搬費だとかが議論されるのだと考えます。
    問題2
    美徳とは言い切れません。が、貯蓄が美徳とするにはいくつかの条件が出てくると思います。
    国内で消費されている限りは金が回っているだけなので、国際信用が下がるということは考えにくいと思います。貯蓄をするということは、民間金融機関が所謂バンカーとして価値あるところに融資を行い国内産業を伸ばす、国債を買って国の施策に協力し国内市場の発展に寄与するといったことがあって、初めて貯蓄の意義が出てくるのでしょう。以前の郵便貯金なんかだともう少し直接的に国の財政支援になっていましたね。国内経済の活性化に貯蓄が効果的だとするには国の産業政策(乗数効果の高いところに金を投入する)、金融機関の効果的な融資姿勢が必要となってきます。今はどうでしょうか?個人の消費はそれよりはもう少し直截的な行動のため、結果論として発展に寄与する消費となったといった類かなと思います。でも今のように中国製品が溢れている現状だと、発展に寄与しないかもしれませんね。問題1と同じになりますが、国の戦略が明確に定まっているかどうかが、貯蓄が意義あるかそうでないか決めるポイントだと思うのです。ちなみに国債暴落につながるかどうかは、国債の海外保有率と財政赤字の度合いだと思います。この数字はもっと注視していったほうが良いと思います。
    そう考えていくと、各省庁がどうこうよりは、やはり政治の決断が大きなファクターだと思います。
    今の政治家を見ていると、国家をどうしたいというよりは、政治家というものを一つの職業として捉え、失業しないように頑張っているように感じます。こうである限り選挙民に対して、耳の痛いことは言えないですよね。政治家をどう育てるか、このことに国民は頭を捻る必要があるように感じるのです。
    なんだかまとまりのない文章になってしまい、申し訳ございません。

  10. 本当に卓見です。
    実は3回戦でお見かけしたのですが、お声をかけませんでした。
    敢えて「よかった」と思います。
    きっとお仕事に差し支えるぐらい時間をとらせたと思います。
    今、悪夢を見て、冷や汗をかいて目覚めました。
    また「言いすぎ」で上司から、「もうおまえの面倒はみない」と引導を渡される場面。
    今は管理人さんから言われているような・・・・錯覚にも。
    「言いすぎ」のおかげで「いいお答え」をいただき感謝しています。
    野球のことも含めて・・・

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