「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第3回 ”熱狂”はこうして作られた」を見て

今日第4回が放送されるこのシリーズですが、その前に第3回の感想を書こうと思います。
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ただ、今年の始めに、よく球場等でお世話になるAOKさんから「太平洋戦争と新聞」という本を紹介されていて、

読んでいたのですが、放送内容もこの本の内容に似ていたので、結構この本のダイジェスト版のようにも感じ、少々既定路線の論調に合わせようとする部分も感じました。
相対的な流れとしては
昭和の初期、まだそこまで軍の統制がきつくない時代であった。しかし戦争が起こると、自分の夫は、子供はどうなったか?といったことを気にする人が増え、新聞の部数拡張に大いに寄与することとなる。満州事変でその傾向が色濃く出た。(本ではある記者が自嘲気味に「毎日新聞後援、関東軍主催、満州事変」と言っていたエピソードが掲載)さらには在郷軍人とかの不買運動もあり、新聞は迎合的扇動的論調へ突き進んでいく。そうやって自分たちが作り出したうねりに、自らが飲み込まれてしまった。もはやそこに批判を加えることは経営的困難を招くことになり、木鐸よりは組織防衛に入った。さらには新メディアであったラジオも、ナチスドイツの宣伝省を参考に熱狂を生み出す装置となり、その大きなうねりに誰も抗らえなくなった。
象徴的に出ていたのは、開戦間際の12月1日、連絡会議に向かう車の中で交わされた東条首相との会話です。
「最近投書は何をぐずぐずしているんだといったものが多く来ています」
「東条は弱腰だと言っているんだなあ・・・」
といった感じです。これだけだと余りに言論は情けないなあというだけで終わってしまうのですが、上記で紹介した本ではその中でも抵抗していたところの紹介もありました。
たとえば地方紙の信濃毎日新聞の桐生悠々が書いた「関東防空大演習を嗤(わら)う」の弾圧については触れられていました。これは昭和8年に実施された空襲が来たときの防空大演習について、桐生悠々が「木造密集の家屋が立ち並ぶ帝都の上空に一機でも入れれば敗北である。東京上空で迎え撃つのではなく、断じて敵機を領土内に入れるな」という今から見れば至極ごもっともの論説に対して、在郷軍人が「嗤うとは何事だ!」とし謝罪文の掲載と桐生悠々の退社を要求。話し合いもらちがあかず、結局その通りの結末となったというものです。
でもその前、五一五事件(この時凶弾に倒れた犬養首相は塾員ですね)に対して、動機の純粋さに同情する論調ばかりが目立つ大手各紙に対し、九州の地方紙であった福岡日日新聞の菊竹六鼓が真正面から事件への批判、大手新聞への批判を展開したことは触れられていませんでした。彼は社説で六日連続で論じます。最初のタイトルは「首相兇手に斃る」で「陸海軍人の不逞なる一団に襲われたる犬養首相」「その七十八歳の老首相を捉え、ムザムザと虐殺をあえてせる行為、実に憎むべき」とバッサリ断じています。そして次の日は「あえて国民の覚悟を促す」とし、「昨年来、軍人間に政治を論じ革命をうんぬんするものあり、事態容易ならずとしばしば耳にせる」「もし軍隊と軍人の間に政治を論じ時事を語りて(中略)国軍まず自ら崩壊することは必然である」と軍部ファッショにこそ問題だとはっきり指摘。更に他の新聞が軍部を恐れ、沈黙し、問題点をずらして論じる中で、軍部ファッショへの怒りがさらにエスカレート。「当面の重大問題」では張本人の荒木陸相、陸軍省を名指しで糾弾。更に一番言論が必要とされる時に節を曲げ、沈黙した他の新聞へも仮借なき批判を「騒擾事件と輿論」で加えるなど、懸命に吠えました。それに対して激しい抗議が新聞社に寄せられましたが、菊竹は「国家のことを想っとるのが、あなた方軍人たちだけと考えるなら大まちがいだ。国を想う気持ちはあんた方に一歩も劣りはせん」と激しくやりあい、永江副社長も「正しい主張のために、我が社にもしものことがあったにしてもそれはむしろ光栄だ」「(このままでは会社がつぶれると泣きついてきた販売に対して)バカなことを言ってはいかん。日本がつぶれるかどうかの問題だ」と毅然とした態度を貫き、そして乗り切ったそうです。
また福澤先生以来の伝統を誇っていた「時事新報」も二二六事件の際の社説で孤軍奮闘します。この事件に対して他の新聞が触れられずに逡巡している中、時事新報も「社説を一日休もう」としたところ当時の近藤社説部長が「時事の社説は時の重要問題を恐れて避けないのが独立自尊の伝統である。社説部長の職にある限り、私は決定に従うことは出来ない。自分は即刻、現職を辞して退職する」と主張。これが通り、まずは国民の冷静沈着をたたえ
当局の収拾を促すものの、やがて強い調子で軍部。反乱軍を指弾。更に陸軍の下克上の風潮を非難し、返す刀で新聞の勇気のなさも批判します。「民意の代弁機関にして威武に屈せざる気概を示していたならば、或は余ほど違った現象が現れたかも知れない」とし、”言論の責任を分担する我が輩も、(中略)慚愧に堪えない”と自己批判するなど、縦横無尽に斬りまくったそうです。
更には、そもそもの戦争のメディアミックスを取り上げるのであれば「爆弾三勇士」の話しを入れた方が良かったかも知れません。美談として取り上げ、商売として活用したこの事例は、マスコミとビジネスのバランスについて考えさせられますから。そしてそれは「百人斬り」とその後のBC級戦犯の悲劇にも繋がりますから。
マスコミが情けなかった、というだけではなく、こういう抵抗をしていた人たちもいたのにどうしてそれが主流にならなかったのかとか、商売となったのは自分の親族だけではなく、戦争そのものをショーアップしたことから始まっていることに言及しても良かったように思えました。
次回の放送でも感じたことですが、やはり安易に流されるのではなく、一人一人が自分の考えをしっかり持って、問題を矮小化して考えるのではなく、本質に迫った考え方をすることが大事なのだと思います。そう、つまり「独立自尊」の精神がいつの時代にも必要とされていると思うのです。なので「マスコミが情けなかった」ではなく、「どうやれば国民ひとりひとりが独立自尊の人となれるのか、なれたのか」と考えられる構成にした方が良かったのかなあと感じました。その点で、「太平洋戦争と新聞」は読んでよくよく考えさせられました。お時間があれば是非ご一読をお薦めします。AOKさん、素晴らしい本を紹介して下さいまして、どうもありがとうございました!

「「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第3回 ”熱狂”はこうして作られた」を見て」に3件のコメントがあります

  1. 今の政局を作り出したのは、
    政策より政局を嘆く新聞、テレビが
    営業政策上、「面白くした」
    としか思えない。
    何んと、今と似ていることか。

  2. 1945年3月10日
    東京大空襲の日
    管理人さんのブログとの縁
    を感じます。

  3. 以下はアリストテレスの「政治学」を現代に読み替えたものです。
    民主制は、衆愚制になりやすい。
    民衆を完全に満足させることができないために、政権はどんどん取り替えられる。
    大勢の人の意見は必ずしも正しいということではないのにも関わらず、それが是認されるという現実があるので、民主制は衆愚制になる大きな可能性が含まれている。マスメディアというテレビの報道では、世論調査を行いますが、世論だから正しいというわけではない。実際、振り返れば、世論が正しくない結論をだしていた。なんてことは普通にあることだ。「世論は一切根拠にはならないってことだ」たしかに、大勢の人の意見は参考意見にはなりますが、それは議論ないし、話し合いがされた結果によるものではなく、個人がどのように感じるかという主観をアンケートとして集計したにすぎないという事実がある。
    民主制ワイマールが圧倒的世論によってヒトラーの台頭を許したのも、東条が世論に押されて開戦に踏み切ったのも・・・
    そして冷静に対応をと呼び掛けるマスコミの火に油を注ぐ頻繁な世論調査。

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