週刊東洋経済3月26日号 「検証!大震災」を読んで


週刊東洋経済を読んでいたら、関東大震災直後に当時東洋経済新聞の主筆だった石橋湛山(戦後に首相となる)が書いた社説の一部が紹介されていました。
「わが国は今回の災害により、あらゆる方面に、人為のさらに改良すべきものあるを発見する」と論じ「この経験を科学化せよ」と訴えた。
至言であると感じます。
徒に悲観論や責任論、または根拠のない楽観論を述べるのではなく、「人為のさらに改良すべきもの」を見つけるために「経験を科学化する」ことが必要だと思うのです。
ここしばらくは原子力発電は目の敵にされるでしょう。高度に細分化された生産体制も見直されるのかも知れません。津波対策は合理的なコスト判断と心情的に求める完璧さとの狭間に揺れるかもしれません。
ただ、そこに「正義」とか「心情」を過度に振り回すことなく(もちろん適度な配慮は必要です)、どういったメカニズムで今回の問題が起こったかを科学的に分析し、そして爾後に活かす以外に道はないのです。退化を望むのでなければ。
また、今回の福島原子力発電所事故では、広範囲な影響も相まって、いろいろな意見が飛び交っています。ただその中で、おそらくみんな思っているであろうが口に出しては言えないことを、同じ誌面で佐藤優さんが話していました。

太平洋戦争後の日本の社会システムは、合理主義、生命至上主義、個人主義を基本として作られれている。したがって、職務遂行と生命がてんびんにかけられた場合、生命のほうを尊重するという原則になっている。ただし実際には、生命よりも職務遂行のほうに重みがある、無限責任を負う職業が存在する。自衛官、警察官、消防士、海上保安官、それに外交官は、その職務の性質上、目源責任を負う。東京電力の職員が無限責任を負うことは想定されていない。ただし、今回、多くの国民の生命、健康、財産を守るために、東京電力の原子力専門家は、無限責任を負って職務を遂行することが求められている。

有り体に言えば、お国の為に命を投げ出せと言わざるを得ない人たちが少なからずいるということです。誰が見たって、あの高濃度となってしまっている放射線が飛び交う中、作業を行うことが自分の生命、健康に全く影響が無いわけがないのです。きれいごとではなく、そこにある種の残酷さを伴うものが指示にあることもあり得るのです。裁判員制度でもそうですが、誰だって「君、死んでくれ」と言うのは大変な心理的重圧がかかります。ましてや、今の社会システムです。それを担わなければいけない任命権者は誰か?ということになります。
そういった事態を踏まえて、彼は最初にこう主張します。

このような危機に対処するために、まず重要なのは、菅直人首相に権力を集中することである。政治休戦や大連立では不十分だ。戦いを一時的にやめる政治休戦ではなく、積極的に、見返りを求めず、菅首相を野党が助けることが必要だ。(中略)ここで重要なのは菅直人という固有名詞ではない。日本国民の民主的手続きを経て選び出された最高権力者である、日本国内閣総理大臣(首相)という役職である。首相に完全なフリーハンドを与えることが重要だ。首相は、政争や個人的好悪の感情を超え、国家的見地から与野党、官民を問わず、適切な人材を登用し、危機に対処することが求められている。
状況によっては、日本国家と日本国民を危機から救い出すために、菅首相が超法規的措置をとらなくてはならない状況が生じる。日本政府が東京電力の原子力専門家に対して、国家の為に命を捨てる仕事を依頼しなくてはならない局面も出てきうる。日本国家と日本国民が生き残る為に菅首相が最適の決断をできるような環境を、政治家、マスメディア関係者、国民が三位一体になって整えることが重要だと思う。

全くその通りだと思います。ここで大事なことは、全ての人がそれなりに満足するという選択肢は今の段階であり得ないということ。その不満に足を取られてしまい、大事な決断を速やかに行えないことがこの状況では一番怖いので、菅首相に権力を集中した上で、適切な判断を下せるような環境作りをすることが今一番必要に感じます。
そして、日本人の特性についても触れています。この原発事故でたびたび聞かれる東京電力の情報開示の姿勢に対する批判、それに急かされて不正確な情報を出し更に混乱する姿がありますが、そのことに対して、

本件に関して、政府や東京電力の対応に問題があったことは間違いない。しかし、なぜこのようになったのかについて内在的論理を押さえなくては、的確な対処方針を立てることが出来ない。日本の官僚やエリート会社員の能力は高い。
東京電力の原子力専門家も世界の最高水準を誇っている。ただし、日本のエリートは完璧主義で訓練されているため、責任追及を過度に恐れる傾向がある。日本のエリートはひ弱だと批判することは簡単だ。筆者を含む大多数の日本人がこのようなひ弱さを持っているという現実から出発しなくてはならない。専門家が後で責任を追及されると考えると萎縮してしまい、判断を間違えたり、リスクのある措置をとらなくなることがある。
マスメディアに求められるのは、専門家が萎縮せず専門知識と職業的良心に基づいて、所与の条件下、リスクを伴っても最善の処理を行えるようにする可能性を閉ざさないことだ。危機管理の要諦は、最悪の事態を回避する為にリスクを恐れないことだ。今回の東日本大震災から新社会人が学び取る教訓はたくさんある。

と指摘しています。
こういった時期だけにいろいろな意見があると思います。一番大事なことはいかに事態を収拾するかということ。一種の組織論から論じている佐藤さんの意見は、大変興味深く読ませてもらえました。

「週刊東洋経済3月26日号 「検証!大震災」を読んで」に2件のコメントがあります

  1. 全ての人がそれなりに満足するという選択肢は今の段階であり得ないということ。その不満に足を取られてしまい、大事な決断を速やかに行えないことがこの状況では一番怖い
    今一番やらなければいけないことは、
    原発の収拾。
    枝野さんに
    今後の電力開発計画に見直しはあるか、
    と質問した記者がいた。
    「今やらなければいけないことをやるだけです。」
    枝野さんは毅然として答えた。
    とにかく人海戦術でやるしかない。
    使命感も大事だが、ビスケットと缶詰、
    毛布1枚では、気力も萎える。
    今、もっとも危険な作業をしている人が
    東電関係者だからといって、
    無視していいわけではない。
    旧ソ連では何も知らせず6万人を動員。
    それなのに日本では50人。
    彼らが倒れたら日本は沈没する。

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