そもそも食糧自給率って?〜TPPに関連して

親知らずの手術から1日が経過しました。
左側の歯で噛む分にはご飯も大丈夫ですが、右側にまぎれこむとこれがまあ痛いこと。改めて普通にご飯を美味しく食べることが出来ることへのありがたさを感じます。お百姓さんに感謝せねば。
さて、そんなお百姓さんを痛めつけるとして大反対されているTPPに、今日野田総理大臣が交渉参加を表明しました。
そんな時によく出てくる言葉が「このままでは日本の農業が壊滅してしまう」といった類の物。
そして食糧自給率が40%近くで、穀物自給率に至っては28%(2007年)となっているところで、更に自給率が低くなれば、食糧安保の観点から見ても由々しき事態である!といった論調。
さて、ここで出てくる食糧自給率ってそもそもどういった計算式だかご存知でしょうか?
この食糧自給率とはカロリーベースで計算されています。ちなみにカロリーベースで計算しているのは日本だけという奇妙さ。このカロリーベースの計算は下記の通り。
国民1人1日当たりの国内生産カロリー÷国民1人1日当たりの供給カロリー(これは、国産供給カロリー+輸入供給カロリー+ロス廃棄カロリーの合計)
なのです。生活を維持するのに必要な食料の量ではなく、輸入分やロス分も含め国民に供給されるカロリー全部を分母にしています。これでは国民が餓死しようが輸入が0であれば食糧自給率は100%になるという代物。ちょっと長くなりますが、wikiでの問題点の提示の部分を掲載します。

食料自給率の問題点 (From WIKIPEDIA)
雑誌「農業経営者」によれば[1]、カロリーベースで見た日本の食料自給率の低さが問題とされ、多くの国民の心配事となっているがこの自給率推計には以下の多くの問題点があるとする[19]。
まずカロリーベース総合食料自給率は分母が国民に供給されている食料の全熱量合計であり、分子が国産で賄われた熱量で計算される。国民が健康を維持する上で必要なカロリーではなく輸入も含め国民に供給されている食料の全熱量合計であるため、国内の農業生産が変わらなくても輸入が減ると自動的に自給率が上昇することとなる。輸入が途絶えると終戦直後のような食糧難となり多くの日本人が栄養失調や餓死することになるが、自給率は計算上100%となる[19]。
また分子の計算は畜産物については、国産であっても飼料を自給している部分しかカロリーベースの自給率には算入しないこととしている。しかし、畜産に飼料が必要なように穀物野菜果物の生産に肥料が欠かせないのだが、この肥料の自給率は一切考慮されていない。農家の経営を効率化させるために稲作から果実や野菜などに転作した場合、園芸作物は一般にカロリーが低いため農家総収入が増える場合でもカロリー自給率は低下する[19]。
さらに、上記「主要国の食料自給率」でも取り上げたが各国の自給率は日本の農水省が独自に推計したものであり、日本を除く海外諸国はカロリーベース総合食料自給率の計算をしていない。雑誌「農業経営者」がこの計算方法について農水省に取材したところ、「食料安全保障の機密上出せない」との回答があった[19]。
また、分母の「国民1人1日当たりの供給カロリー」とは、国産供給カロリー+輸入供給カロリー(ともに可食部)をもとに日本の人口で除することで算定されているが[20]、現実の食卓では「小売店の店頭にならびながら」「食卓にのぼりながら」廃棄されてしまう食材量(カロリー)が相当数にのぼり廃棄した食品が多ければ多いほど食料自給率が低くなるような仕組みとなっている[19]。
実際、近年、廃棄されている食材は、年間900万tに及び、食料自給率の計算の分母となる供給カロリーは2573kcal(2005年)であるが、日本人が一日に摂取する平均カロリーは1805kcalであり、それ以外の768kcalは食べられることなく廃棄されている。分母を摂取カロリーとして食料自給率を「国民1人1日当たりの国産供給カロリー(1013kcal)÷国民1人1日当たりの供給カロリー」として計算しなおすと日本の食料自給率は56%[21]であり、果たして日本の食料自給率が国際的に本当に低いのか疑問が残る[1]。
経済学者の野口悠紀雄は[22]、食料自給率の向上と言う政策は経済学的には無意味である上、そもそも現代日本農業 では原油 が絶対的に必要であり、エネルギー自給率が4%しかないのに、カロリーベースの自給率に政策的な意味など持ち得ないとする。そしてこの政策は高い関税率を正当化するための詭弁であり、それにまんまと乗せられている人は、「誠に愚か」と酷評している。
食料の安定供給と食料自給率との関係にも疑問が提示されている。たとえば2008年度中に食糧暴動のあった国と、穀物自給率(カロリーベースの食料自給率は農水省が自己の政策に都合のいい結果が出る国についてしか算出していない)との関係はほぼ無関係である[23]。また日本の歴史においては飢饉にもっとも弱いのは、天候不順に直撃された自給性の強い農村であり、都市部や、農村部でも商品作物に依存する村では、金を持っているので食料には困らないという研究がある[24]。現代にあっても飢饉にさらされるのは主として農民であって、より広い地域からの食糧調達が可能な都市民はそれほどでもない。この論によれば食料自給率を高めるのは食料の安定供給にはむしろ逆効果であるという結論が得られる。

かように問題がある数値なのです。更に普通に考えてカロリーベースの場合、八百屋さんに並んでいる野菜はかなり不利ですよね。低カロリーですから。穀物、肉、乳製品などいかにも輸入が強そうなものはカロリー高いですし。更に発表されていない他国のカロリーベースをどうやって計算したかと農水省に聞くと「食糧安保上の観点から答えられない」とは・・・。
日本の農家が大変だとか、地方の農家が疲弊しているという論は正しいと思いますが、それは外国から安いものがたくさん輸入されているからでは無く、既得権益にがんじがらめになっているからという側面が強いと思います。例に挙げれば農地法。土が一定割合以上無いと農地と認められないとか、転用に対する厳しい制限とか、現状を変えるには大変な労力が必要になっています。その上若い労働力がなかなか農業に定着せず、労働者の高齢化が進み、更には小規模の農地が大多数が故の構造的問題ではないでしょうか?
つまり農業という産業をどのように力づけていけばいいかを考えて居るのでは無く、今ある農業の既得権益を脅かされないように、自給率を敢えて低く見せ、そしてTPPにも強硬に反対しているように見えてしまうのです。
今の政治は余りにも支持団体の意向を気にするが余りに、合理的な判断を一向に下せないでいるように見えてなりません。選挙に落ちたらただの人という、余りにも経済的・身分的に不安定な状況が、国の行く末を考える前に自分の生活といった矮小化された行動に繋がっているように見えてならないのです。
こうなると一層のこと、代議士になるためには一定の試験を通ることが必要で、その試験に受かれば生活に困ることは無いようにした上で、政策論争を磨くようにするといった具合にならないものかとすら思ってしまいます。昔貴族が政治に携わっていたのもわかる気がします。自分の日々の暮らしに困っていると、どうしてもしがらみを気にせざるを得ませんからね。とは言え余り世間から超越してしまい民の心がわからなくなってしまっても、政治は成り立たないでしょう。なんとも難しいものですね。

「そもそも食糧自給率って?〜TPPに関連して」に9件のコメントがあります

  1. 親知らず、私も右上下抜きました。1度は大変でした。
    歯科医が、2本もある人は珍しい。進化してない証拠。今の若い人は出ません、と失礼なコメント。
    息子は若いのに1本でてやっぱり大変な目に!
    いろいろな項目でコメントプラス記事、やはり刺激になります。
    来春は神宮まで待てません。オープン戦から楽しみです。
    塾野球部オールドOBによれば、都市対抗優勝チームと練習試合、自信喪失
    来春は大学チームとオープン戦をお願いします。
    もしアメリカ遠征する年なら、やめて国内でじっくりやったほうがいい。
    私も同感です。
    中日スポーツのコラムでも江藤さんの持論は、焦らず体力強化、基礎練習。

  2. 痛い思いをして改めて気づくことって多いですね。早く日常を取り戻せるようお祈りいたします。
    カロリーベースでの数字とは知りませんでした。勉強になります。TPPについては「なぜ今このタイミングで・・・」という点で対中国戦略の一環としてのアメリカ政府の意向と我が国外務省の現状に落胆していたのですが、やはり今回の大騒ぎの最大の罪もマスコミの報道姿勢にあるようですね。
    ギリシアに続いてはイタリア問題の動向、朝鮮半島や台湾海峡情勢もあり、巡り巡ってハル・ノートに辿り着くことのないよう願うばかりです。

  3. 被選挙権のために試験を課す。
    …誰がどういう内容で試験を実施するのか?ということを考えた場合、弊害の方が大きいように思います。
    裏返しの問題として、有権者の側にもまともな判断能力が必要だから試験をしたらどうか?という、半ばヤケクソのような意見を聞いたこともあります。試験というものがニュートラルなものだと思っている方が多いのかなぁと思います。試験というのは、「やる側の人間」がいるということを忘れてはいけません。どういう相手に「資格」を与えたいかという「やる側の人間」の意図抜きには、試験というものはありえないのです。
    確かにかつての制限選挙には批判が多いわけですが、男性のみというのはさておき、納税額でラインを引くということは、(国家に対する負担の見返りとしての参政権ということなのでしょうが)一応社会人として定収入を得るだけの能力を持っていることをもって社会的な判断能力ありと認めているとも言えるわけですよね(資産家のボンクラ息子はどんなに無能力でもはじかれないことになりますが…)。
    勿論、収入のみが判断能力を表すとは言えないところが問題なわけですが、それでは別にどういうモノサシをもってくるかということになると、うまい理屈がつかずに結局制限は年齢のみ、ということになってしまうのでしょう。
    逆に制限をかけるというのは、締め出される人々が生じることになるわけですから…非常に難しいでしょうね。
    結局、福澤先生が『学問ノスヽメ』で目指されたように、地道に(自分も含めて)国民全体の底上げを図るしかないのでしょう。民主主義は最悪の政治形態だが他のどの政治形態よりマシであるという所以ですね。

  4. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    聞いてみると結構親知らずで苦労している人は多いですよね。あれから2週間経ち、大分歯の方は落ち着いてきました。
    塾野球部は確かに夏にレベルの高いところと戦い、壁を乗り越えると言うよりは、今まで疑いなく振り切っていたバットに迷いが生じたような形となってしまいましたね。自信喪失とでも言うような。かと言ってそうやって厚い壁を乗り越えた時こそ本物の自信になるとも言えるので、この辺のさじ加減、そして目指すものによっていろいろと変わってくるのでしょうね。今度の4年生はそれこそ個性溢れる学年なので、どんどん壁に立ち向かっていきそうな感じがします。まずは冬の鍛錬がどれほどのものかにかかってくるのでしょう。
    TPPについては、序論みたいなものを書いて放置してしまっていますね。相変わらずいかんなあと反省しております。一つ言えることはこれは飽くまで「交渉」なので、本来はどう交渉すべきかを論じるべきなのに、それぞれの立場での交渉先行き予測によっていろいろな意見が述べられていることに自分は強烈な違和感を感じています。

  5. kktfさん
    コメントありがとうございます。
    最後の一文、「巡り巡ってハル・ノートに辿り着くことのないよう願うばかり」という文に大変共感しました。
    あの時、寸前まではもう少し対日融和的な文章だったのに、その内容を聞いた中華民国の蒋介石以下が猛烈に巻き返しの交渉を行い、戦後ソ連のスパイとされた人物も加わり、あの内容になったと言われています。
    これもつまりは交渉ですよね。昭和初期は中国に対して行っていた態度、行為は別にして、単純に交渉という観点から見ると、明らかに日本外交は中国外交に遅れをとっていたと思います。ちなみに昭和の初期はナチスドイツは日本ではなく中国を支援していたんですよね。その後アメリカに変わる。この辺、さすが中華民族と思います。
    今回のTPPも今後の世界の行く末、経済状況の行く末(いつの時代も戦乱は経済混乱から生まれています)をどう見通して、どう交渉するかです。今のところ日本の歴史の中で国民がある程度冷静に交渉を政府に委託し(反対意見があるのは当たり前。問題は支える側が自分の利益を主張していないという点で)、政府も又その任に応えるべく覚悟をもって取り組んだと思えるのはサンフランシスコ講和条約くらいですかね。
    国内の強硬論、または弱腰論(?)に引き摺られ、国としてまとまりの無い中うまくない交渉を行い、平成のハルノートとならないよう、国民各層の見識が問われているのだと思います。または鎖国でもして、国外市場に頼らない経済体制を作るかでしょうね。

  6. あごらさん
    コメントありがとうございます。
    試験という言葉には語弊があったかも知れません。確かに試験が第一目的であれば、それは政治家の質を一定以上保つという意味合いになります。しかしそこには恣意的な内容が入ってしまい、出題者側の意図によって政治が左右されてしまうということが問題だと感じます。
    それとは別に選ぶ有権者の質にも問題有りと言うことで、試験やら納税額やらの問題も出てきますが、これとて根本的な問題解決にはなり得ない。
    だからこそ、福澤先生は国民全体の底上げを図るしか無いとおっしゃったとのご指摘、全くその通りだと思います。
    その上でですが、昔は選挙に落ちた、というか国の要職につかなかったところで大きな問題ではないと思える人たちが政治に携わっていたこともあります。例えば幕藩体制での老中職とか。自分の領地がありましたから。どうしても自分の生活がかかってしまうと高邁な理念も飛んでいってしまうのが世の常です。官僚組織の中、会社組織の中、医局の中などで本当はこうする方が正しいと思っても、左遷され給料が減っては家族が養えないと思うと、口をつぐんでしまう。よくある光景です。でも前記の方々は余程でないと職を失うことはありませんが、政治家はそれが職業であると、落ちたらあっという間に無職。これでは自分の信念を貫くより、有権者に阿(おもね)ることを優先するというのもむべなるかなと思ってしまいます。であれば、まず政治家の身分の安定を図り、その上で思う存分に国政に従事して欲しいと思ってしまうのです。例えばプロ野球のように1軍2軍制度を作り、政党毎の総保有人数の定数を作り、政党に所属できれば取り敢えずの生活は出来るようにする、なんていうのもあるのかなあ・・・。なかなか制度を考えると難しいですね。
    では、今後とも宜しくお願いします。

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