「被災地の本当の話をしよう」を読んで


こちらの本のamazonでの紹介はこんな風になっています。

東日本大震災により市街地が壊滅した岩手県陸前高田市。
千人以上が犠牲となり、自身も妻を失った絶望的な状況の中、ゆるぎない信念をもって市民を導いた戸羽太市長が、震災当日の様子から復興へのシナリオまで、被災地の全容を明らかにする。
社会の関心が政局と原発に流れる今、日本復興のために絶対に忘れてはならない被災地の現実を真に理解できる一冊。
ヒゲの隊長・佐藤正久議員との対談も収録。

上記の通り、この本は東日本大震災で甚大な被害を受けた陸前高田市長が市に襲った悲劇、そして自らの妻をも亡くす過酷な状況下でどのように行動したのか、また被災後の関係各所の動きなども交えて記載されています。
ここで紹介されているエピソードでも唖然とするようなことが。

(なかなか瓦礫が処理できないでいる中で)そこで私は陸前高田市に瓦礫処理専門のプラントを作りましょう、という提案を県に出しました。そうすれば自分のところで、自分たちの判断でとにかく現在の何倍もの速さで処理することができるようになります。
ところが返ってきた答えは「いろいろな手続きが必要になるので、仮に建設にOKが出ても、建設開始までに2年は掛かります」というものでした。
こんな緊急事態だというのに、いちいち煩雑な手順を踏まなくてはならないとは!
しかも「とにかく今の法律では無理です」と事務的に却下するばかりで「では、こういう方法はどうでしょうか?」という代案はいっさい出してくれません。
(なかなか日常生活品を買う商業施設ができない状況下で)本当だったらイオンや地元のスーパーを誘致して、大型の複合施設を作りたいところですが、今は使われていない農地を候補地に挙げたら、それは法律で規制されているとのこと。すでに農地に対して補助金を支払っているので、どうしてもそこに店舗を作るのであれば、支払い済みの補助金を返済しろ、というのです。
(忙しい最中、国会議員が来たので玄関に向かうと)「市長、ここで写真を撮ろう」その方は被害状況や復興の進捗などひとことも聞かず、市役所の看板が入るところで私とのツーショット写真を撮ると、そのまま、まっすぐ帰ってしまいました。
(震災直後、ガソリンが大変不足し、家族を捜すための車のガソリンも無い中)さすがにこんな状況が長く続いては耐えられない、とかなり強い調子で国に対してお願いしたところ、なんとかガソリンが届いたのですが・・・、それを自衛隊の方が給油しようとした瞬間、「このガソリンは他の省庁から出ているものだから、自衛隊が給油したらダメだ。運ぶところまでは認めるけど、自衛隊にノズルを触わらせて(ママ)はいけない!」というお達しがあったのです。
国の対応というのは一事が万事、こういった感じで、とにかく融通が利かないのです。

とまあ・・・、かなりなものです。
多分ここで紹介されている方々も、職務に対して忠実で、責任感をもって仕事に取り組まれているのでしょう。ただ、やはりどう見ても、「何か大切なことを忘れてはいないか?」と言いたくなるような話しばかりです。
前の本の感想でも書きましたが、自分が責任を問われない範囲では、誠意を持って取り組もうとするし、実際そうされている方は多いと思います。ただ、自らの責任が問われる、リスクを伴う決断というのは避ける傾向が我々にはあると思います。
昔日本の軍隊を評して、「兵隊は素晴らしいが、指揮官はダメだ」と言われていました。今も「被災者一人一人の規律を持った節度ある態度は素晴らしいが、政治家はダメだ」みたいな論調があります。
そう思います。
ただ、それは個人的資質によるものでは無く、我々の特性では?とも思うのです。
つまり自分が責任を問われることのない立場で、与えられた役割をしっかり果たすという面において、我々はコツコツと、しっかりやり遂げるモラルの高さ、忍耐力の高さ、誠実な部分を持っているのだと思います。
但し、自らの責任を問われる立場に立つと、どうしても腰が引けてしまい、今までの規則に囚われるか、コンセンサスの形成に走ってしまう傾向にあると思います。
決断が必要な時、殆どの場合ではメリットもデメリットもあり、どちらを決断するにしてもそこに合理的な理由はあると思います。そして反対意見の人もまた必ずいて、その人達の反感を買うこともまた、多々あると思います。
でも決めないと、何もしない、出来ない。その結果、ただ事態が悪化する一方に繋がると思うのです。
最初に挙げた我々の良さというのは当然大事にしたいところです。そして、その上でリスクを伴った決断を出来るように個人的な修練、そして教育でもそういった訓練をしていくべきではないかと思うのです。
サッカーの元日本代表監督のイビチャ・オシムさんも下記の本でこう言っていました。

ピッチで指示を待ち続けていたら、試合には負けてしまう。私が望んだのは、対戦相手のことを考え、敵にとって危険な地域に進入していくプレーだ。
リスクを負わないチャレンジはない。そういう日本人に欠けている哲学の部分を埋めたいと考えていた。


そうです。まさに「考えよ!」だと思うのです。今の日本の状況では。
話しを元に戻します。
この本は、しかし、絶望的な話しばかりではありません。そういった状況下で、いかにして立ち上がろうとしているか、戸羽市長の奮闘振りと自らの考えが多々綴られています。
そして最後はこういった文章で締めくくられています。

誰の目から見ても、陸前高田市が復興したと認められる日がやってきたら、私はまた高台に立って、町を眺めることでしょう。空の上にいる妻と一緒に。
「久美、陸前高田の町はお前が暮らしていた時以上に住みやすく見えるか?俺がやってきたことは正しかったか?あの日、助けてやれなくて本当にごめんな。怖かっただろう。これで勘弁してくれるか・・・。」
その日がやってくるまで、前だけを見つめて、市民の方たちと手を取り合って、復興に全力を注いでいきます。

そうなることを自分も切に願います。被災地の実態が垣間見え、そしてわれわれ日本人の特性をも考えさせられる一冊でした。

「「被災地の本当の話をしよう」を読んで」に7件のコメントがあります

  1. 相次いで面白い本のご紹介感謝。
    TPPやオリンパスではテレビコメンテーター
    なぜか官僚OBの大学教授と米国系コンサルタントや米紙日本版編集長の
    お説教ばかり・・・これも責任を負わない立場だからこそ言える道徳論。
    女性ハーバード卒、マッキンキンゼーコンサルタント、産婦人科医・・・
    極めつけが・・・マッキンゼーが乗り込んできて目茶苦茶にされたという話も聞く。

  2. あの日(水素爆発)の事は、本当に聞きづらかったですが、姉にお盆と法事の際に聞きました。きっと辛いんだと思いますが、そういう顔をみせずに話してくれました。地元には何にも情報が入らずにマスクもせずに外にいたんだよ〜って。先日、マスコミ向けに初めて現地に入ったというニュースを見ました。空は何もなかったように真っ青なのに。。。
    半年前は、計画停電でエスカレーターも止まり、節電とか言っていたのに、今では隣に階段があるのに、エスカレーターを歩いて昇って行く人をみると、結局口先だけなんだなぁ〜って思いますよ。なんで、関東の電気の為に、向こうが苦しんでいるのか[E:annoy] まぁ、鉄道会社は自家発電の部分もありますが[E:down]

  3. 玄関で写真だけ…  
    何をしにいったんでしょうね。
    陛下は、地元に負担をかけまいと日帰りであれだけ廻られ、今疲労でご入院されているというのに。。
    ブータン国王ご夫妻も明日、相馬に行かれるそうですね。その中のニュースで、今日はこちらに。
    http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2841132/8095674?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics

  4. 時代の流れにしっかり向き合わなければ、と実感します。マスコミには大騒ぎをする永田町や霞ヶ関の動きばかりではなく、覚悟を持って行動するこのような首長の姿にも光を当てる使命があるのですが、現状は管理人さんご承知のとおりです。当ブログとの出会いに感謝しています。

  5. 海外相手にビジネスをしている私塾の塾生から以下のようなコメント。
    「日本の公務員の執務は、日本国憲法や法律等に規定されております。
    そして、日本人は規則を守るように教わってきております。
    しかし、欧米では契約や規則があると、まず、「いかにそれをやぶるか」を考えます。言い方が悪いですが、これは文章で規定されている中で、何かおかしなところはないか、抜けているところはないか、この法律の中で何ができるか、(そしてどうやれば規則をやぶっても、問題とならないように主張できるか)を考えるのです。ここが日本人との最大の違いではないかと考えております。
    このような日本の公務員を動かすには、こちらも憲法や法律を理解し、どうすれば動けるかをアドバイスしたり考えさせることで、殻を破らせるきっかけになるのではと思うところです。
    しかし、この作業は重労働ですし、楽をすることを覚え慣れてしまった人を動かすのは大変なことです。」
    法学部出身としては、「法を曲げてでも、鶴の一声で」とも言えず・・・

  6. 父の実家が須磨、母が仙台、阪神淡路大震災、東日本大震災(長野も含みます。)両方に行った私からすると、阪神の比ではないほど、津波の恐ろしさを思い知らされました。
    従弟に話を聞くと、夜「助けて~~!!」という声がするが、真っ暗で助けに行けない。夜が明けて海パンはいて(3月の東北の水です。)声がしたほうに行くと、すでに息絶えていた。近くの川に自動車が
    積み重なるように流され、中には溺死した人がいる。聞いていただけで涙が出てくるほどでした。
    今でも、避難所からでても元の生活には戻れなくて苦労している人が大勢います。
    節電の為に、会社でも自宅でも不要なコンセントを抜く、EVは使わない、LEDに変える。夏はクールビズが会社で励行されましたが、私はネクタイをして、シャツクルーで乗り切りました。被災者に比べれば苦労の苦にもなりません。
    今でも、多少は間引きで電球を外したりしてますが、夏できた節電が今できないことはないと思いません。震災前の発電力より現在のほうが発電力の限界が増加したという話は聞きません。
    多くの人が被災地に入り、世界中から応援されていますが、多くの日本人にとっては、ご指摘のように、所詮は、他人事なんですね。悲しいですけど。

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