或る思い出

あれは母方の祖父が亡くなって数年経った頃のことだった。
炬燵にいた僕に、祖母が亡き祖父の若かりし頃の写真を持って来た。
「ほら〜、おじいちゃん恰好良いでしょう」
祖父は実際彫りの深い整った顔をしていた。日本人離れしたというか、外人みたいな顔をしていた。
兵隊に行った時、近衛連隊を勧められたそうだ。当時の近衛兵は言ってみれば容姿端麗な兵隊ばかりを集めていたそうで、祖父もその基準にかかったとか。ただ、浦和の農家の次男坊だった祖父は言葉の滑舌が悪く、それもあってかその話もやがて無くなったとか。まあ、そういったのに誘われるくらいの容姿だったのである。
「いやあ、本当だね〜。おじいちゃん、恰好良いね」
僕はそう答え、しばらくその写真に見入っていた。
すると祖母がそろっと写真を一枚出した。
祖母の若かりし頃の写真である。
そして、こう一言。
「おばあちゃんも若い頃はきれいだったのよ」
なるほど、それが言いたかったことだったのか!普段は見ることの無かった一面が窺え、随分と可愛らしいなあと思ったことを、ふと思い出した。
そんなかわいらしい祖母が亡くなってから、今日(2/11)でもう9年になる。

「或る思い出」に5件のコメントがあります

  1. 1枚の写真、軍刀を垂直に床に立て参謀本部での父の写真。
    このあと、南方視察に立川飛行場から極秘に発つ。
    米軍の情報力すさまじく台湾上空で攻撃され撃墜、谷間に落ちながら九死に一生。
    それでもフィリピンに到着、山下中将と会談。
    米国の情報はこちらもつかむ。山本五十六が狙われている。しかし連絡とれず撃墜される。
    インドネシアに飛び、石油の確保・・・これが開戦を決意させた。
    オイルショックのとき「エネルギーがなければまた戦争が起きる」
    今、原発停止、イラン情勢を見て、父ならどう言ったか?
    戦後、戦犯指名を恐れて地下に潜行・・・2年後突き止められたのは某銀行・・・
    畑違いの銀行で復興日本のためソニー、トヨタを育てる・・・
    育てた企業の株を定年まで持ち続け、定年とともに売却・・すべてをまたリセット。
    その父が昨年亡くなりました。
    貧乏人の子供でも村の篤志家のおかげで世に出る、世のために働ける仕組みがあった時代でも
    あったのです。

  2. 管理人さん、文武両道さん
    「或る思い出」を見て、私も自分のホームページに「祖父の卒業写真」と「父のフィリピンの記録」を貼り付けたところでした。

  3. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    軍関係の学校は、坂の上の雲の秋山兄弟を始め、学費を出せない俊英にとっての恰好の教育機関となっていたそうですね。そして、子供達も期待を一身に背負って頑張る、そういった感じだったように感じます。
    今も一生懸命勉強する子は多いと思います。ただ、その勉強する意義を子もそうですが、親がどう考えているかが大事なのではないかと最近感じています。いい大学に入るため?お金儲けするため?自分のやりたいようにさせるため?それもいいですが、まずは「大人になって生きていくため、そして世のため人のために自分が役立つため」という観点が無いといけないのではと思うのです。俊英の子であれば尚更。
    山下奉文、なかなか昭和天皇に拝謁していただけず、ようやく念願が叶いフィリピンの防衛に赴くも、せっかくルソン決戦の準備を整えていながら、台湾航空戦の誤った戦果情報、そしてそれに立脚した大本営参謀部のルソン決戦→レイテ決戦の方針転換により、翻弄され、戦後はシンガポールの恨みとばかりあっさり戦犯裁判で死刑ということになってしまった悲劇の将軍というイメージがあります。ただ、ご本人の人格の懐は深く、部下にも愛されていたようですね。

  4. 濱田洪一さん
    コメントありがとうございます。
    写真を拝見させて頂きました。お祖父様のまさに坂の上の雲を仰ぐかのような目線、お父様の経歴とお写真を拝読させて頂き、濱田さんご一家の歩んで来た道のりの凄さを改めて感じました。ホッケーで銀メダリストのお父様、ソッカー(サッカー)の名付け親となられたお祖父様と知ると、日々のランニングのすごさも納得してしまいました。
    そしてフィリピンに増産の使命を帯びてまだ制海権は日本にあったとは言え米軍の潜水艦がうようよいる中辿り着き、そこで塗炭の苦しみを味わいながらも相手に「慶應ボーイ」と呼ばせてしまうスマートさは、塾員の模範では無いかとすら思いました。
    この記事では祖母を書きましたが、祖父は軍医としてインパール作戦にも従軍し、大変な思いをして内地に戻ってきたようです。戦争に行く前はお酒は飲まなかったのに、帰ってきたら大酒喰らいになっていたそうです。そして8月15日の正午は必ず折りたたんだ軍服を前に正座し、黙祷していました。時代ですね・・・。
    すばらしいお写真をご紹介頂き、本当にありがとうございました!

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