日本と中国・韓国・そしてロシア その2

不定期で続いているシリーズ第二段です。
そのような背景で、1950年代をこの地域は迎えます。
中国は前述の通り国共内戦を勝ち抜いて共産党が政権を握ります。当初は同じ共産主義国家ということでソ連を蜜月の関係を結びますが、国境紛争などを通じ、次第に対立。やがてはアメリカが本気で中ソ間の核戦争を心配し、メッセージを発するほどになります。また国内では大躍進政策の失敗(だから大進撃という歌の名前もいかがなもの?)、文化大革命を通じて引き続き血で血を洗う国内での権力闘争、更にはベトナムの支援とベトナム戦争後の中越戦争などで常に何らかの敵と戦っている状態。
この状況を打破するために、米中の電撃的な国交回復が行われます。中国はソ連との対立、アメリカはベトナム戦争の疲労があり、その状況が不倶戴天の敵と思われた両国を結びつけました。
そして、その流れが日中(当時は中共と言っていました)を結びつけることになります。
日中国交回復の際は賠償金の放棄も謳われていますが、借款などの形で色々な援助は行われています。回復当時もまた民衆における反日感情は強かったため、「中国の敵は軍国主義者で、日本の人民もまた被害者だった。なので中国人民と日本人民は友好を結ばなくてはいけない」といった論法を生み出しました。また、米中国交回復の際、キッシンジャーと周恩来の会談の中で「日本は島国のせいか大局観が無い」「日本の本当の脅威は核武装だ」などが話されています。
ようやく鄧小平の改革開放政策によって闘争から発展に舵を切ろうとしたときに発生した天安門事件。ここで中国は国内をまとめる切り札の対日抗戦における共産党の英雄的な戦いという教育の強化に乗り出します。もともと日中戦争の際は無差別爆撃、便衣兵捜索に伴う村々の焼き討ち、現地での食糧徴発(つまり略奪みたいなもの)などもあり、民衆の心に根ざした反日の心は強く、すぐに広がりました。
つまり中国は日本に対して半ば戦略的に歴史問題に根ざす反日感情を利用しつつ、戦略ゲームの中で日本と接しています。そして、今や国力を付けてきた状態の中で、戦略的な視点に欠ける日本に対して、より優位な立場を感じていると思われます。
韓国は同じく歴史問題を対日カードとして使いますが、事情が違います。韓国は残念ながら日本と戦ったことが無い。中国は積極邸に日本とアメリカを戦わせたところがありますが、韓国からすればたまたま日本とアメリカが戦って、たまたまアメリカが勝って、たまたま民族自決の高まりがあって、それで独立を果たす。しかし、米ソ対立の煽りを受け、南北分断という事態に陥ります。この中で李承晩初代大統領が採った独立理念が反日抗争(李承晩は独立運動に関わっていた)。武断統治から文治主義に朝鮮政策が変わって以来、それほど犠牲者も出ていなかった反日抗争が国家理念になったのです。もともと朝鮮は中華冊封(さくほう)体制下において中華帝国清の属国として、その立場を朝貢国中の優等生とし小中華として自認していたので、日本は朝鮮より文化的に低いとみなしていた面があります。江戸時代の朝鮮通信使もそうでしたし、明治維新が成立し、その直後に朝鮮に国書を渡したとき「皇の字を使って良いのは清の皇帝だけ」「勅許の勅の字を使うのも清の皇帝のみ」としてこんな無礼な文書は受け取れないと言って返しました(どこかで聞いたような話し)
つまりもともと持っていた日本に対する文化的優越感と統治されたという屈辱感、実際に自分たちが積極的な行動で日本を倒して独立したわけでは無いが、そうしたことにして、それを建国の精神とした。これが前提にあります。
そんなわけで唐突に引いた李承晩ライン(韓国では平和ラインと言うそうです)に基づく一方的な拿捕、発砲。当時独立を果たす直前で、武力を一切有しない日本は抗議はするものの受け入れるしかありませんでした。竹島もこの時の問題です。
ところが朝鮮戦争の勃発で国土が破壊され、更にもともと朝鮮は北部が重工業地帯、南部は農業地帯であったこともあり、韓国は貧困国となってしまいます。
そこで登場したのがクーデターにより政権を奪取した朴正煕大統領。彼は日本の士官学校を出たこともあり、国内に起こりがちな理念闘争を嫌い、現実的な国の発展を狙い、国として不倶戴天の敵と定めた日本と国交を樹立することにします。但し国内の反対運動はすさまじく、弾圧も又行われました。ここで日本側も満州では革新官僚として活躍し、戦後は自民党の実力者となっていた椎名悦三郎を外務大臣として国交回付の交渉の任に当たり、ついに日韓基本条約が結ばれます。ここで得た資金を元に、韓国民の献身的かつ情熱的な努力と相まって漢江の奇跡と呼ばれるところから始まり、今では主要産業がことごとく日本と競い合い時にはリードする程まで発展しました。
つまり韓国はもともと理念的な反日を国の基本に据えたところから始まっていること、実質的に大きな被害(戦闘行為が無く、ユダヤ人絶滅のような行動も無かった。精神的な屈辱感は別にして)が無いため、常に反日がくすぶり、かつ新しい被害を探し出すようなところがある。また国交回復も国際環境の中で、国家間の競争関係の中で必要としたのではなく、経済発展のために必要とした。それも一部の人の考えから始まったところから、いざ経済発展を成し遂げた後は、積極的に日本と和を結ぶことがしづらい状況になっています。中国が戦略的なアプローチであるのに対して、韓国は感情的なアプローチとなってしまう。だから韓国の新聞は何かというと、日本が軍国主義のままだと煽り、日本の歴史的な反省が無いと煽り、それを国民も熱い心で受け止め(今は何の被害も受けていないため)、相乗効果で際限なく膨張してしまうところがあると思います。
これを総じて言ってしまいますと、中国は戦略的アプローチでやってくる、韓国は感情的な理念を持ち続けるといった状況です。その中で両国とも日本と国交を回復したときは、そうせざるを得ない外的要因がありましたが、両国ともめざましい経済発展を遂げた後は、日本との良好な関係の維持の必要性が感じづらくなっていることを忘れてはいけないと思うのです。
さて、その3ではそれを踏まえた上で、今起こっている問題に対してどう対処すべきと思っているかを書いてみようと思います。でもいつになることやら・・・。

「日本と中国・韓国・そしてロシア その2」に1件のコメントがあります

  1. 高校時代、朝日の中国、北朝鮮報道を盲信していた私は当時若手の国際政治学者であった
    中嶋元東京外語学長の講義に目を開かされました。因みに法律学科ではありましたが、
    加藤寛さんるの経済政策とともに新鮮な感動を覚えました。
    あの名講義を思い出す管理人さんの名講義、続きを楽しみにしています。

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