「禍福はあざなえる縄のごとし」を読んで


1977年から1993年まで慶應義塾塾長を務められた石川忠雄元塾長が記された自叙伝です。中国を研究されていたとは何となく知っていましたが、現代中国だったことをこの前知り、ちょっと興味があったので読んでみました。
読んで感じたことが、共感することが多々あると言うこと。考えてみれば自分も1985年から1995年まで在塾していたので、多くの時間が石川塾長時代だったわけで、知らないうちにそういった空気を感じていたのかも知れません。
柔らかいソフトな印象を持っていたのですが、実際には御尊父が旗本から鳶職に養子に出され、そのまま鳶の頭として活躍され、ご本人も夜学に通い、学徒出陣で飛行機乗りとなりと、剛胆な歩みをされていたんですね。また中国研究でも、時代の流れに阿ること無く、冷静に見つめる視線が感じられました。
印象に残った部分を引用すると

 赤いめがねをかけると物事は赤く見える。透明なめがねをかけて物事を見なければ正確に認識できない。少なくともマスコミに身をおく人は、すべて透明なめがねをかけて物事を見てほしいと私は願っている。マスコミが色メガネをつけた個人の見解で一方的な情報を載せるのはあまりにも不適切である。
 どんな社会でも悪い面がまったくないということはあり得ない。いい面もあるだろうし、悪い面もあるだろう。いい面も悪い面も見ないと真相を書いたことにはならない。悪い面には一切触れず、いい面だけを書いた記事に私は疑問を抱くと同時に、マスコミのあり方を考えさせられた。

 私は「独立自尊」の人となるためには四つの条件が必要であると考えている。一つは、人を頼りにせず、自分で考え、自分で判断し、自分で実行できる人であることである。それは人の意見に耳を貸さないということではなく、人の意見は十分に聞くが、判断は自分が行うということである。自分で判断するためには高い見識が必要であるが、それを身につけるのが学問であり、学問しない人は独立自尊の人とはいえないのである。
 第二は、自分で考え、実行する以上、その結果については自分が責任を負うことのできる人であることである。ほかの人や社会に責任を転嫁するようなことがあってはならない。
 第三は他人に対して思いやりのある優しい心をもった人であることである。自分で考え実行しその責任を負うのには強い心が必要であるが、同時に相手への思いやりを忘れてはならない。真の強い心は、優しさに裏打ちされているものでなければならない。さもないと「唯我独尊」になり、単なる傲慢になってしまう。
 第四は、そのような自分を大切にし、自らを尊重する人であることである。こういう人は自分を卑しめることも、ほかの人を卑しめることもしない。

文体も平易で、読みやすい本でした。なんだかちょっと懐かしい気分になりました。

「「禍福はあざなえる縄のごとし」を読んで」に1件のコメントがあります

  1. 石川先生のこの本は、その後、増補されて『禍福こもごもの人生』というタイトルで出ています。
    http://www.amazon.co.jp/gp/product/toc/4766410564/ref=dp_toc?ie=UTF8&n=465392
    私にとっても、塾長といえば石川先生。
    式典の時には、いつもきちんとモーニングを着ていらしたお姿を思い出します。
    亡くなられた時、棺が最後に三田山上を巡り、その間、三田山上は「丘の上」のチャイムが鳴り響いた、と聞きました。
    小泉先生に次ぐ名塾長だった、と思っています。

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