「国民主権」という言葉は、誰もが学校で習います。
国の主権は国民にある。政治家が偉いのではなく、最終的に国のあり方を決めるのは国民である。
もちろんその通りなのですが、「では国民主権とは、実際にはどういうことなのか」と考えると、意外と分かりにくい言葉でもあります。
最近、私はこれを**「国民は、その国の株主のようなものではないか」**と考えるようになりました。
株を買うということと、票を投じるということ
株主は、その会社の経営を自分でするわけではありません。
経営は経営陣に任せます。
しかし、どの経営陣に会社を任せるのかを選び、その経営を評価し、良い経営をして会社の価値を高めてくれることを期待する。
そして、良い経営であれば支持し、問題があれば説明を求め、必要なら経営陣を交代させる。
だから株主は、単なる「経営陣の監視役」ではありません。
その会社がより良くなることを望む共同オーナーです。
選挙における投票も、これとかなり似ているのではないでしょうか。
私たちは選挙によって、
「この人たちに、しばらく国の運営を任せよう」
と決めます。
そして一定期間が経てば、
「この人たちにもう一度任せるのか」
「別の人たちに交代させるのか」
を再び判断します。
つまり政治家は、国民から一定期間、国の運営を委託された「経営陣」のようなものです。
もちろん、国と株式会社は同じではありません。
しかし、主権者が運営を委託し、その結果を評価し、次の運営者を選ぶという構造には、かなり共通するものがあります。
株式会社との決定的な違い
ただし、株式会社と民主主義には大きな違いがあります。
株主総会では、基本的に持っている株式の数によって議決権が変わります。
民主主義では違います。
大企業の経営者であっても、新社会人であっても、政治について毎日考えている人であっても、普段ほとんどニュースを見ない人であっても、
一人一票です。
私は、だからこそ民主主義には「情報」が非常に重要なのだと思います。
株式投資の世界なら、プロの投資家は決算書を読み、業界を分析し、企業のIRを確認し、必要なら専門のアナリストを使います。
しかし国民全員に、
「総理や各大臣のSNSを全部読みなさい」
「官邸の資料を確認しなさい」
「統計の原典まで調べなさい」
「与党と野党双方の主張を比較しなさい」
と要求することは現実的ではありません。
皆、仕事をしています。
子育てもしています。
介護をしている人もいます。
政治だけを調べて暮らしているわけではありません。
それでも選挙になれば、等しく一票を持ちます。
だからこそ、その一票を行使するための判断材料を、分かりやすく国民に届ける仕組みが必要になる。
私は、そこにマスコミの非常に重要な役割があると思っています。
「権力監視」だけがマスコミの仕事なのか
マスコミの使命として、よく「権力の監視」という言葉が使われます。
これは間違っていません。
権力は時として暴走します。不正も起こります。権力を持つ者に対して、独立した立場から厳しい目を向ける存在は、民主主義に不可欠です。
しかし、私はそれだけでは足りないと思っています。
会社の株主に、
「この社長にはこんな問題があります」
「この取締役にはこんな疑惑があります」
という情報ばかりを伝え、
「この会社は今年何をやったのか」
「どんな投資をしたのか」
「その結果、業績はどうなったのか」
「競合と比べてどうなのか」
をほとんど伝えなかったとしたら、株主は経営陣を正しく評価できるでしょうか。
政治も同じではないでしょうか。
政府が何をやったのか。
その政策によって何が変わったのか。
政府が「成果が出た」と言っている数字は本当なのか。
逆に野党が「失敗だ」と批判している根拠は正しいのか。
もっと良い方法はなかったのか。
そうしたことを整理し、検証し、国民が判断できる材料として提供する。
それもまた「権力を監視する」ということなのではないか。
私はそう思います。
有能な政治家が育つことは、国民の利益である
もう一つ、株主という視点から考えると、当たり前のことに気付きます。
株主にとって、有能な経営者が育つことは良いことです。
有能な経営者が会社を成長させれば、その恩恵を受けるのは株主だからです。
だから、経営者の不正を監視することと、有能な経営者が能力を発揮できるようにすることは矛盾しません。
政治も同じだと思います。
有能な政治家が育ち、良い政策を実行し、国を良い方向へ導いてくれることは、与党支持者だけの利益ではありません。
国民全体の利益です。
逆に失敗した政策なら、なぜ失敗したのかを明らかにして、次の政治家が同じ失敗を繰り返さないようにする。
良い政策なら、誰が始めた政策であろうと評価し、次へつなげる。
政治家を育てるのも、交代させるのも、最終的には主権者である国民です。
そのためには、私たち自身が政治家をきちんと評価できなければなりません。
マスコミへの信頼が失われた先にあるもの
今はSNSがあります。
政治家自身が、メディアを通さず国民に直接語ることもできるようになりました。
これは良い面もあります。
一次情報に直接触れられるからです。
しかし、SNSだけで民主主義が成立するとは私は思いません。
政治家は当然、自分にとって都合の良い情報を発信します。
SNSには正しい情報もあれば、誤った情報もあります。
そして私たち一人一人が、それらを毎回調べて真偽を判断することなどできません。
だから私は、既存のマスコミが必要なくなったとは全く思っていません。
むしろ逆です。
情報が溢れる時代になったからこそ、重要な情報を拾い、整理し、検証するプロフェッショナルが以前にも増して必要になった。
その役割をマスコミには担ってほしいと思っています。
もしマスコミへの信頼が失われ、
「本当のことを知りたければ、自分で一次資料を探してください」
「政治家のSNSを全部読んでください」
「反対意見も自分で探してください」
となってしまったら、政治に強い関心と時間を持つ人しか十分な判断材料を得られなくなります。
しかし、選挙では一人一票です。
これは民主主義にとって決して良い状態ではありません。
国民という「共同オーナー」のために
政治家は権力者です。
だから監視しなければならない。
しかし同時に、政治家は私たちが選び、私たちの国の運営を託した人たちでもあります。
ならば私たちが本当に必要としているのは、
「政治家は信用するな」
という情報だけではありません。
「この人たちは何をしようとしているのか」
「実際に何をしたのか」
「その結果はどうだったのか」
「本人たちの説明は正しいのか」
「反対する側の主張にはどんな根拠があるのか」
という情報です。
それを材料にして、私たち一人一人が考える。
良ければ支持する。
悪ければ批判する。
必要なら交代させる。
そして次の選挙で、また一票を投じる。
それが「国民主権」ということなのではないでしょうか。
国民は、国という組織の単なる利用者でも、政治家に統治されるだけの存在でもありません。
私たち自身が、この国の共同オーナーです。
そして共同オーナーが適切な判断をするためには、正確で、検証され、判断に資する情報が必要です。
だからこそ私は、マスコミを敵視したいのではありません。
むしろ、これからも民主主義の重要なインフラであり続けてほしい。
権力を批判するだけでも、権力の言うことをそのまま伝えるだけでもなく、
主権者である国民が、自分たちの国の「経営」を正しく評価できる情報を届けてほしい。
それが、今のマスコミに私が最も期待していることです。