最近、国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長に対する米国の制裁が、大きく報じられている。
日本人が国際機関のトップとして米国から制裁を受けるという、かなり異例の事態である。
赤根所長自身も記者会見を行い、制裁によってクレジットカードが使えなくなるなど、実生活にも影響が及んでいることを明らかにした。
ニュースを見ていれば、自然と次のような構図が頭に入ってくる。
「自分たちに都合の悪い判断をしたICCに対して、トランプ政権が力にものを言わせて制裁を加えた」
さらに日本では、
「日本人である赤根所長がこれほどの制裁を受けているのに、米国に強くものを言えない日本政府はだらしない」
という話も加わる。
一方、ネット上を見ると正反対の意見もある。
「そもそも米国もイスラエルもICCに加盟していない。管轄権もない国際機関が勝手にしゃしゃり出て、他国の指導者を裁こうとしたのだから、米国が怒るのは当然だ」
どちらも非常に分かりやすい。
しかし私は、このニュースを見るたびに、
「本当に問題はそこなのだろうか」
という疑問を感じていた。
日テレNEWSの説明画面を見て感じたこと
例えば、今回の問題を取り上げた日テレNEWSの説明画面がある。

※日テレNEWSの報道画面より引用
この画面は、今回のニュースを非常に分かりやすく整理している。
左上には赤根智子ICC所長。
米国については、
「非加盟」
「制裁」
という言葉とトランプ大統領。
日本政府は「大変残念」としながら、政府関係者のコメントとして、
「日米同盟の重要性 国益に資する形」
さらに自民党議員の、
「アメリカが トランプが怖いんだよ」
という発言が配置されている。
そして画面下部では、
「国際法や秩序を“破壊” → 許していいのか」
それに対する日本について、
「トランプを怒らせない事 外交の目的ではないはず → ICC支援継続を明確に」
と整理されている。
この説明そのものに、私は「間違っている」と言いたいわけではない。
米国による裁判官への個人制裁が国際司法制度に与える影響は、当然考えなければならない問題である。
日本政府の対応が十分なのかを検証することも必要だろう。
ただ、この画面をしばらく眺めていて、私が今回の報道に感じていた違和感がはっきりした。
私が一番知りたいことが、この画面にはほとんど書かれていないのである。
「非加盟」と「制裁」の間に何があるのか
この図では、米国について、
非加盟 → 制裁
という関係が非常に分かりやすく示されている。
しかし、本当に知りたいのは、この二つの言葉の「間」である。
なぜ米国はこれほどICCに反発しているのか。
単にトランプ大統領が国際機関を嫌っているからなのか。
実際には、そこにはICCの管轄権をめぐる重要な法的対立がある。
米国はICCを設立したローマ規程の締約国ではない。
イスラエルも同様である。
そこで米国側は、
「自国が同意していない国際裁判所が、非締約国の国民を捜査・訴追する権限はない」
と主張している。
これは一見すると非常に分かりやすい理屈である。
しかしICC側にも法理がある。
ICCは、
「世界中の人間を自由に裁ける」
と言っているわけではない。
ローマ規程では、犯罪が締約国の領域内で行われた場合には、行為者の国籍国が非締約国であってもICCが管轄権を行使できるという仕組みになっている。
今回の場合、パレスチナがローマ規程の締約国として扱われていることが重要になる。
ICC側の理屈を単純化すれば、
「イスラエルがICCに加盟しているから裁くのではない。ICCの管轄を受け入れているパレスチナの領域で行われたとされる犯罪だから管轄できる」
ということである。
そして米国やイスラエルは、その法理そのものに異議を唱えている。
つまり、本当は、
米国・イスラエルは非締約国
↓
それでもICCはパレスチナ領域を根拠に管轄権が成立すると判断
↓
米国・イスラエルは「非締約国国民にそのような管轄権を及ぼすことは認められない」と反論
↓
ICCは領域管轄を根拠として管轄権を主張
という対立が存在している。
私はまず、ここを知りたい。
ICCの主張が正しいと決まったわけでもない
ここで大切なのは、だからICCが正しい、と単純に結論づけないことである。
非締約国が自ら受け入れていない国際刑事裁判所の管轄を、領域国側の同意によってその国の国民にまで及ぼすことができるのか。
ここには国際法上の議論がある。
だから米国の主張を、
「トランプ政権が国際法を無視しているだけ」
として片付けるのも違うと思う。
米国側の法的主張を紹介し、それに対するICC側の法理を説明し、どちらにどのような論拠があるのかを専門家に検証してもらえばよい。
私はむしろ、そういう報道を見たい。
さらに「管轄権」と「逮捕状の妥当性」も別問題
もう一つ分けなければならない。
ICCに管轄権があることと、ネタニヤフ首相らへの逮捕状が正しいことは同じではない。
仮にICCに管轄権があるとしても、具体的な犯罪事実や逮捕状発付の要件についてICCの判断が適切だったのかは、当然検証されなければならない。
ICCは国際機関だから常に正しい、などということはない。
判断に問題があるなら批判すればよい。
管轄権に異論があるなら法的に争えばよい。
ここまでは健全な議論だと思う。
しかし、それと「裁判官個人への制裁」は同じなのか
そして、ここで初めて今回の米国による制裁の問題に行き着く。
私は今回の問題を、少なくとも三つに分けて考える必要があると思っている。
- ICCには非締約国の国民に対する管轄権があるのか
- 管轄権があるとして、ネタニヤフ首相らへの逮捕状という具体的判断は妥当なのか
- 仮に①や②でICCが間違っていたとしても、その判断に携わった裁判官個人を国家が経済制裁してよいのか
私が今回、最も重いと思っているのは三番目である。
極端な話、明日、
「ICCによるネタニヤフ首相への逮捕状は法的に誤っていた」
という結論になったとしてみよう。
それでも、
「では、その判断をした裁判官のクレジットカードを使えなくし、ドル決済を困難にし、国際金融システムから事実上排除してよい」
という話にはならないはずだ。
これは全く別の問題だからである。
司法の独立という問題である。
同じことを中国やロシアがしたらどう感じるか
この問題をもう少し一般化してみる。
ある日本人裁判官が、中国政府にとって非常に不都合な司法判断をした。
中国政府はその判断を「不当だ」として、裁判官個人を制裁対象に指定した。
中国国内の資産を凍結し、中国企業との取引を禁止し、中国を経由する金融取引にも大きな制約を掛ける。
そのとき日本政府は、
「中国にもその司法判断に対する言い分があるから仕方がない」
と言うだろうか。
ロシアならどうだろう。
そう考えてみると、
「その司法判断が正しかったのか」
という問題と、
「その判断をした裁判官個人を国家が経済力によって制裁してよいのか」
という問題が別物であることが分かりやすい。
それでも「トランプの横暴」で終わらせたくない
ここまで書けば、
「結局、米国の制裁がおかしいという話ではないか」
と思われるかもしれない。
結果として私は、裁判官個人への経済制裁という手法には非常に大きな疑問を持っている。
しかし、それでも今回のニュースを単純に、
「トランプの横暴」
で終わらせたくない。
なぜなら、そこへ至るまでの法的対立を理解して初めて、米国による制裁の問題点も正確に評価できると思うからである。
そして「アメリカに何も言えない日本政府」という物語
日テレNEWSの説明画面でも、もう一つ印象的だったのが、
「アメリカが トランプが怖いんだよ」
という自民党議員のコメントである。
これを画面全体の構図の中で見ると、
横暴なトランプ政権
↓
制裁を受けても毅然とする日本人ICC所長
↓
本当は問題だと分かっているのに、米国を恐れて強く言えない日本政府
という、とても分かりやすい物語が出来上がる。
これも、一つの見方としてはあってよいと思う。
実際、日本政府の対応が十分なのかは検証されるべきだ。
ただし、その前に政府へ聞いてほしい。
「日本政府は、何について米国に異議を唱えるのですか」
ICCのネタニヤフ首相への逮捕状そのものを全面的に支持しているのか。
米国が主張するICCの管轄権論を法的に否定しているのか。
それとも、その二つには議論の余地を認めながら、
「それでも司法判断に携わった裁判官個人への経済制裁という手段は認められない」
と考えているのか。
これは全く違う話である。
私なら政府にこう聞いてほしい
例えば記者会見なら、こんな質問をしてほしい。
「米国が、ICC非締約国であることを理由に管轄権を否定している法的主張について、日本政府はどのように評価していますか」
「その評価とは別に、司法判断に携わった裁判官個人への金融制裁は、司法の独立を脅かすものだと考えますか」
「仮に中国やロシアが、日本人裁判官による自国に不利な司法判断を理由として同様の個人制裁を行った場合にも、日本政府は今回と同じ対応をしますか」
ここまで聞けば、
「アメリカにものが言えるか、言えないか」
という話ではなくなる。
日本という国が、国際社会で何を原則として守ろうとしているのか。
それが見えてくる。
私はそちらを知りたい。
プーチンへの逮捕状のときはどうだったのか
そして、もう一つ報道で検証してほしいことがある。
ICCはロシアのプーチン大統領にも逮捕状を出している。
ロシアもICCの締約国ではない。
それでも米国は、ウクライナ領内で行われたとされる犯罪についてICCがプーチン大統領に逮捕状を出した際には、基本的にこれを支持する姿勢を示した。
ところが同じICCがイスラエルのネタニヤフ首相らを対象とすると、今度はICCの管轄権を強く問題視する。
もちろん両事件の事実関係や法的条件は同一ではない。
だからこそ、
「米国の主張は、この二つの事件で法理として一貫しているのか」
を検証してほしいのである。
一貫しているのであれば、その違いを説明してほしい。
一貫していないのであれば、それも指摘してほしい。
それが報道ではないだろうか。
反対側のネット世論も同じこと
だからといって、ネット上で見かける、
「米国もイスラエルもICC非加盟なのだから、ICCに管轄権などない」
という議論にも私は乗れない。
こちらも途中を飛ばしているからである。
テレビ報道で見えやすい構図
横暴なトランプ
↓
ICCへの不当な制裁
↓
毅然とする赤根所長
↓
米国にものを言えない日本政府
ネット上で見かける反対側の構図
米国・イスラエルはICC非加盟
↓
ICCに管轄権なし
↓
勝手にしゃしゃり出たICC
↓
制裁されて当然
結論は正反対である。
しかし、よく見ると構造はよく似ている。
どちらも途中にある難しい論点を省略して、分かりやすい結論へ向かっている。
私は、その「途中」が知りたいのである。
「評価の材料」より先に「評価の構図」が示されていないか
日テレNEWSの画面を見ながら、今回私が感じていた違和感を言葉にすることができた。
それは、
「評価の材料」より先に「評価の構図」が提示されていないか
ということである。
「横暴なトランプ」
「毅然とした赤根所長」
「アメリカにものを言えない日本政府」
その見方自体を否定するつもりはない。
そういう結論になるかもしれない。
しかし、私はその結論へ行く前に知りたい。
ICCは、どのような法理によって非締約国の国民に管轄権を及ぼしているのか。
それに対する米国の反論には、どこまで法的な説得力があるのか。
ICCによるネタニヤフ首相らへの逮捕状そのものは妥当なのか。
そして、それらの答えとは別に、国家が裁判官個人を経済力によって制裁することを認めてよいのか。
ここまで材料を提示してもらったうえで、
「米国がおかしい」
と考えるのも、
「ICCの権限には問題がある」
と考えるのも、
あるいは、
「ICCの判断には疑問が残る。しかし米国の制裁という手段にも反対する」
と考えるのも、国民それぞれの自由である。
報道に求めたいのは「結論」ではなく「判断材料」
私は、いろいろな視点からの報道があってよいと思っている。
トランプ政権を批判する報道もあってよい。
ICCを批判する報道もあってよい。
赤根所長の人物像を取り上げてもよい。
日本政府の対米姿勢を批判してもよい。
問題は、それらが存在することではない。
その前提となる本質的な論点を整理した報道を、なぜこれほど目にしないのだろう。
今回であれば、
- ICCの管轄権はどのような法理で成立しているのか
- 米国・イスラエルは何を問題としているのか
- ICC側はそれにどう反論しているのか
- ネタニヤフ首相らへの逮捕状自体は妥当なのか
- それとは別に、裁判官個人への経済制裁は許されるのか
- プーチン大統領の場合と米国の論理は整合しているのか
- 日本政府はそれぞれの論点について、どのような立場なのか
ここまで伝えてくれればいい。
あとは我々が考える。
民主主義社会における報道の重要な役割とは、国民に、
「こちらが正解です」
と結論を渡すことではなく、
国民が自ら判断するために必要な材料を提供すること
ではないだろうか。
日テレNEWSの説明画面を見ながら、私は改めてそう感じた。
今回のICC赤根所長への米国制裁は、トランプ政権とICCの問題であると同時に、私たちが日々ニュースから何を受け取り、何を自分で考えるのかという、報道そのものについて考えさせられるニュースでもある。