多事争論のコメントです

久方ぶりにブログを見て、溜まってしまったコメントの返信を打っていたら、なぜかその記事にアップできず、確かにもう既に18件のコメントとなっていたので、返信ではございますが、一つの記事にさせて頂きました。
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文武両道さん
コメントありがとうございました。
現実を直視するということはとても大事です。
ただ人間は自分に都合の良い現実のみを取り上げてしまいます。自分もまさしくそういったところがあります。なので現実は一つにならず、本質とずれていってしまうことすらあるように思えます。
例えば派遣村のお話。ある人から見ればあんなにたくさんの人が年を越すこともままならず、ああいった状況に追い込まれたということを捉え、ある人から見れば運動のあり方が労働争議を彷彿とさせるように見え、ある人から見ればせっかく職を提供しようとして派遣村の人を対象に求職したものの、全く応募が無いことを嘆きといった具合です。
であればやはり虚心坦懐に討論をして、その中で本質をつかむ努力をするしかないと思います。
そういった場を拙ブログにご提供いただけて、本当に感謝しています。
お返事が遅れてしまって申し訳ございませんでした。今後ともよろしくお願いします。
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げんきさん
コメントありがとうございます。
げんきさんのコメントによって、拙ブログも様々な分野の記事において、深みを与えていただけて、本当に感謝感謝です。
経営者というか、どんな組織のリーダーであれ自分の功名に走るのか利に走るのか、それとも部下の為に動くのか、それとも組織に殉じるのかによって違ってくると思います。
「先憂後楽」という言葉がありますが、リーダーはその気持ちを忘れてはならないと思います。
そうすれば自ずと取るべき行動は見えてくるものでしょう。
「仕事の報酬は仕事だ!」と、前の会社の時に言われたことがあります。
そのときは「なんやねん、それ!」と思いましたが、少なくとも今は自分に対してはそうだよなあと実感しながら、日々の仕事に取り組んでいます[E:coldsweats01]
では、今後ともよろしくお願いします。

「多事争論のコメントです」に11件のコメントがあります

  1. 因みに派遣村、リーマンショック以前の離職者や炊き出しマニアも多かったという意見もあるようです。
    景気自体はリーマン前から下降線でしたが。

  2. つまり、報道は、テーマに沿って行われてしまう、ということです。
    差し詰め今は倒閣がテーマ??いや流れはまた変わってきたような気もします。
    そういえば過去最高益の報道時に、非正規雇用者の正社員化を訴える人なんてどこにも居なかったですね。

  3. 総合商社の業務部長を定年前に辞めて、
    乞われて地方の会社の副社長になった弟、
    最近メールをやりとりしていますが、
    お金(報酬)の話は、一切、出てきません。
    「仕事の報酬は仕事だ」という感じです。
    私も会社を辞めて、私塾と講演だけの日々ですが、
    お金(報酬)について気にしたことがありません。
    いつの間にか、塾生が相談して私に倍額のお礼が
    決まりました。「余りに安いから」とか。
    妻も子供たちもそれぞれ仕事をしていますが、
    やはり生き甲斐をもって仕事をしているので
    、これも塾生と同じ・・・お金(報酬)の話題は、
    いっさいありません。
    一様に見えるのは、自分の関心、能力を望んでくれる
    場を常に求め、結果としてお金(報酬)がついてくる、
    ということで、お金(報酬)を比較して自分を殺す人は、
    周りにいない、ということです。
    私は能力があると錯覚している者が、高給を得る資格
    があるとする貪欲な実力主義には反対です。
    仕事の報酬は仕事から得られる喜びであると思うから。
    会社での飲み会がイヤだったのは、同期と昇給の比較
    をして優越感、ひがみをひけらかす輩の余りに多いこと。

  4. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    マズローの五大欲求でも「承認の欲求」より「自己実現の欲求」の方が高次に位置づけられています。つまり「これだけ高給取り、すなわち会社に認められているんだ!」より「自分の能力をより発揮できる仕事を今しているんだ!」の方が高次の欲求といったところでしょうか。
    ただこれを再確認する為に調べたところ、こんな文も見つけました。
    批判的意見
    「マズローの欲求段階説」は、人間性心理学や動機づけの理論を進展させたと評価されているが、個人的見解あるいはごく限られた事例に基づいた人生哲学に過ぎず、普遍的な科学根拠や実証性を欠いているのではないかという疑問も呈されている。例えば、欠乏欲求が満たされていても、成長欲求の満足を求めず生活の安定を求める労働者の例。これは、欠乏欲求が十分に満たされていない(十分に自尊心が育まれていないなど)ために、自己実現の欲求が現れていないとも考えられる。
    それを見て、なるほどと思いました。「十分に自尊心がはぐくまれていない」が故にそういった行動になるのかと。
    やはり一人一人が独立した人格を有し、自尊心を持てるような考えを、しっかりと若いうちから伝えていくのが、教育としては一番大事なんだなあと実感しました。
    では、今後ともよろしくお願いいたします。

  5. げんきさん
    コメントありがとうございます。
    「報道はテーマに沿って行われてしまう」、正に実感です。秋葉原の殺人事件の際にも、自分たちのイメージに沿った素材を探し回る姿が2ch等に書き込まれています。(「試験が終わった!が、しかし・・・参照)。
    中国の経済紙で「経済観察報」というのがあるそうですが、そこの編集方針が「理性、建設性」だそうです。実際にどこまで出来ているのかは寡聞にしてわかりませんが、日本のマスコミも是非その姿勢で報道してほしいなあと思います。

  6. 私事ですが、お金に無頓着の余り、高齢の父に万一のことがあった場合のこと、何も考えていませんでした。
    しょせん、サラリーマンあがりの父のこと、たいした資産はないと・・・・ただし、ソニーやトヨタの株は心配。
    というわけで、商社の業務部長あがりの弟と会計士の息子に言って、資産を急遽洗ってもらったところ、
    とんでもない額になることが判明。
    対策が必要となりました。
    知人の税理士に相談したところ、
    高齢化が進み生き続ける超高齢者、
    相続税として召しあげることもできず、
    年金だけは払い続ける国。
    そうは言っても
    父親の突然死で相続税で苦労する子。
    (とくに不動産の値下がり、売れない不動産を
    抱えていると、現金で払わねばならぬ相続税)
    昨日、財務官僚OBがテレビで言っていました。
    無利子の特別国債を出して、国債購入分を相続時に
    控除にすれば、財政の負担もなく滞留している資金
    を国は回収できる。
    若者の3分の1が非正規雇用では車が売れるはずがない。
    かつてトヨタの幹部と話したとき、国内の需要が大事だと
    言っていたのに、生産コストだけを考えて、国内の購買力
    を結局損ねてしまった。
    金持ちの祖父は車に関心なく、車の欲しい若者には金がない。車、マンション、家電需要をふやすには、孫世代への
    無税生前贈与も必要かも?
    そもそも高齢者へのオレオレ詐欺が多いのは、
    高齢者が貧しいからではなく、金持ちだから。
    そして孫が貧しいから。
    かつて朝日、野村総研の知人が1500万円の給与を
    もらっていたのに、750万円の大学助教授になった。
    研究費として750万円出るから生活費としては、
    コンスタントに750万円で十分。
    総中流が日本の需要をコンスタントに支えてきた。
    その視点を経営者ももつべきではないか。
    年収100万円では車は変えない。

  7. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    資産価値が上がってきていた時代と停滞している時代。
    この時代背景が、世代間資産のギャップを生んでいると言えましょう。
    仰るように振り込め詐欺は当然その世代がお金を持っている方も多いので、という背景があることに今更ながら気付かされました。
    しかし後期高齢者医療制度一つとっても、いざ負担増→負担の公平化という観点で捉えると、大きな反発が出るのが今の日本です。
    ただ、今まで頑張ってこられて、この素晴らしい日本(いろいろ言いたいことはありますが、どの時代のどの国と比べても現在の日本は、生活するのに大変素晴らしい平均値を持っていると思います)を作り上げてくださった先人を大事にすることも、大いに必要だと思います。
    だからこそ、仰るように贈与の無税化をはかり、スムーズに資産移転が出来るように後押しすることが大事でしょう。
    但し、そうすると世襲制のごとく、富の再分配が出来ないという理論も出てきます。
    しかしそうは言っても、勤労世代に資産が無いとそれは少子化等の問題や勤労意欲の低下にもつながりますから、やはり世代間ギャップを埋めることが大事なのでしょう。
    あと、ちょっと前の日本は「労使協調路線」とよく言っていましたね。これはお互いがやるべきことをやり、協力すべき事を協力してといった流れでした。いわゆる「日本的経営」というやつです。もちろん国際競争下にさらされている現在の企業で、単純に雇用を守るだけに終始すると共倒れになってしまうこともあるでしょうが、お互い相手に求めるのではなく、自分がやるべきことをやるんだ、その上でお互い協力して難局を乗り切ろうという考えでいくことが、大事なのでしょう。
    やはり一番大事なのは心ですね。

  8. 昨夜、私より年上のグループに銀座のレストランに招かれました。彼らは特に勝ち組であったわけではありません。
    しかし高級レストランを利用しクルージングで世界を回っている。
    給与やボーナスが高騰し続けた後の競争世代でもありません。終身雇用で55歳まで働き、のち60歳まで給与は安くとも生き甲斐のために働き、年金暮らし。
    会社の社宅に定年間際まで住み、自宅建設に有利な貯蓄制度を会社が提供し、世間の金融商品の利息も8%もあった。年金生活に入っても、それまでの蓄えにプラスの年金で貯蓄は溜まる一方。彼らのもらっている年金額を知れば、若い非正規労働者は怒ることでしょう。
    老人であるがゆえに、そのうえ老人優先パスをもらって
    いるので平日のバスは老人たちの憩いの場。
    選挙優先の政治家にとっては、
    老人優遇と宗教法人非課税は触れない。
    彼らの豊かさを可能にした
    安定した雇用システムが何よりも大切。
    それがもはや可能でないことを知りつつも。

  9. 昨日のレクチャーのレジュメです。
    カルヴィニズムにより育まれた資本主義の「精神」とは、単なる拝金主義や利益の追求ではなく、合理的な経営・経済活動を支える精神あるいは行動様式(エートス)である。
    プロテスタンティズムの信仰が資本主義の発展に作用したが、近代化とともに信仰が薄れてゆくと、営利追求自体が自己目的化するようになった。元々「内からの動機」であった営利追求が、「外圧的動機」に変貌していった。
    プロテスタンティズムの職業倫理(天職観念)を喪失した結果、職業倫理を喪失した資本主義は、営利追求の精神のみが人々の間に外圧的に存在することになり、健全ではない。
    職業倫理を喪失した「資本主義の精神」は、精神のない専門家、心情のない享楽人を生み出す。
    以上のヴェーバーの見解を日本の徳川時代に当てはめた丸山真男は、
    元禄時代の江戸町人の暴利資本主義に対し
    近江商人の禁欲的職業倫理をプロテスタンティズムと類似したものとして挙げている。
    (丸山真男「日本政治思想史)

  10. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    世代間ギャップのこと、知識では知っていたとしても、実感としては余りなかったことが改めて感じさせられました。
    また資本主義の成り立ちの時に、ピューリタンの考えが出てきましたが、これが資本主義の倫理観に繋がるということも、改めて感じさせられました。
    これは福沢諭吉の「文明論」の中でも言われていることですよね。
    「自由と責任」。これは一体の物としてあるものです。企業経営の際の企業運営の自由と社会的責任。このバランスが悪くなると、どうにもならなくなります。
    第二次世界大戦前は、いわゆる帝国主義(でも王族がいない国もあったので実際は植民地主義なんでしょうね)の時代であり、戦争のルールさえ守っていれば他国の主権等は尊重せず、どんどん略取がなされていた時代でした。これはある国が倫理観が高くある国が低いというのではなく、単純に力があるか無いか、戦略があるか無いかの違いだったように思えます。
    しかしそれではいけないということで「民族自決の自由」の名の下に現在の体制が築かれたわけです。
    資本主義についても、「独占は悪である」といった倫理に続いて、また新たな秩序・ルール
    が生まれる時代なのかもしれませんね。
    いろいろ見識あるご意見をいただき、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

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