秋山好古と私学

年末に大変楽しませてくれたNHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」。ところどころ首を捻るシーンもありましたが、総じて当時の雰囲気を伝えようとするスタッフ達の意気込みが伝わってくる素晴らしいドラマでした。
さて、その中の主人公の一人である秋山好古。彼について司馬遼太郎は原作でこんなことを書いています。

好古の福沢ずきは、かれが齢をとるにつれていよいよつよなくり、その晩年、自分の子は慶応に入れたし、親類の子もできるだけ慶応に入れようとした。そのくせ生涯福沢に会ったことがなかった。好古はおそらく、富裕な家にうまれていれば自分自身も福沢の塾に入りたかったであろう。

最初に読んだ時はなるほどくらいにしか思わなかったのですが、秋山好古将軍が退役後地元の旧制の私立中学の校長先生になったことを取り上げたNHKの番組「拝啓 秋山校長殿 ~日本騎兵の父 秋山好古の晩年~」がとても興味深かったことから調べたら、「北豫中学校の基本金十五万円の募集理由書」というのを見つけ、合点がいった次第です。
その文は今読んでも素晴らしいので、ご紹介してみようかと思います。

 「現時、我国に於ける教育界の状況は、欧米諸国と聊(いささ)か趣を異にするものあり。元来文明国の国民は自己生活の安定を最も重視するを以て、中等以上の教育を受くるものは、その生計富裕にして、生活等に困難せざるもの多きを占む。故に我の如く学校卒業を以て、唯一の求職条件として、中学、高等学校、大学等に志望するもの比較的少なしとす。現時、我国に於ける状況は、戦時好況時代一時多くの収入ありしを以て、無資産階級の子弟に至るまで、前途の考慮なく中学に入るものあり。為に中途にしてその学業を廃止するの止むを得ざるもの尠からず。それ中学を経て高等学校に入り、更に大学に入りてその業を卒るまでには、十余年の歳月と一万に垂るとする学資とを要しその卒業後と雖も、当初は就職するも百円内外の俸給を得るに過ぎずして、時としては就職難に陥るものも尠からず。これ計数に長じ、生活の安定を重要視する文明国民の為さざる所なり。将来我国に於いても、中等以上の教育は、中産階級以上のものの子弟を収容するに至らんこと、蓋し勢の止むを得ざる所なるべし。 既往に於いて我国は、官権官学の力極めて強大にして、官私の区別甚だしかりしも、今日は官民等の区別を為す可きものに非ずして、国民一団となり、時々相更送して国政、県政、市町村政を行うに至れるなり。従って教育に関しても、官私の区別は漸時薄弱となるに至らん。これを概観するに、我国に於ける中等以上の教育は、自家の安定を顧みずして、教育に依りて将来の生活を求めんとするもの多く、欧米国民は自家生活の安定を確立したる後、能く資力、脳力、体力を精密に考慮し、高上せる教育に依り、自己の生活、並びに品位の向上を計り、更に進んで国家社会の公益に力を尽くすもの多し。
 我国も将来欧米文明諸国の如く義務教育期限を延長し、その教育を充実し、普通選挙を実施し、国民全般をして国政に参与せしむる機運に際会せば、普通教育に要する経費は、極めて多額にして、中等以上の教育は、欧米諸国の如く私立学校の力を要するもの多きに至るべし。その理由は中等程度以上の学校は、元来義務に付属するものに非ずして、志願に依り多くは中産階級以上の子弟の入学するものなれば、国民全般の負担に属する国費を以て、悉くこれを支弁せんとするは事情の許さざるものあるを以てなり。故に中等教育以上の諸学校は、欧米諸国に於いては、貴族、富豪、その他中産階級以上の有志の寄付金に依り、設立せるもの多し。例えば英国に於ける、イートン、ハロー等の中学の如きは、私立なれども中学校としてその設備完全にして、良教師多く校風大いに振起し、その名声は世界に重きを為し、英国の名士はこの両中学校より出るもの多くして、殆ど英国の文化、否、世界の文明を両校生徒にて負担する気概あり。
 欧米諸国に於ける宗教家の設立に係る中学校並びに高等学校女学校にも、極めて優良なるものありて自国の文明に貢献すること大なるのみならず、進んで世界諸国、現に我国に至るまでも中学校、女学校を設立し、その文化を補助せんとするの熱心は驚嘆に堪えざるものあり。要するに将来に於ける優秀なる進歩発展を期せんには、完全なる私立中等教育は極めて重要にして、仮令(たとえ)、今、遽(すみやか)に欧米のそれの如く発達せしむる能はずと雖も特に国費を要せずして、貴族、富豪、その他中産階級者の寄付と授業料の増額に依り、その目的を達するの止むを得ざるの機運に至るべし。
 現時我国に於ける官吏軍人等はその退職するや、僅少の恩給に依りて生活し、無為徒食に陥るもの多し、欧米の国民は概してかかる生活を忌み、たとえ大臣その他の重職にありて、資産に余裕あるものと雖も、一朝職を退けば、弁護士となり、新聞記者となり、会社員となり、あるいは教育に、著述に、あるいは自家の経営せる各種の商業、工業、農業などに従事し、職業に貴賤なしとの観念を以て、その豊富なる智嚢を各方面に進展せしむるを以て、国家の繁栄を助くること極めて大なりとす。特に私立の中学、大学校にありては、嘗て大臣たりしもの、大学総長もしくは教授たりしもの、その他知名の人士にして閑職にあるものは、皆喜んで貴重なる教職に従事す。これ私立学校に優良なる教師の極めて多き所以なり。
 我県下に於いても、一の優良完全なる私立中学は、将来我県民の益々発展隆昌企図する為に、愈々必要を感ずるに至るのみならず、欧米文明国の状況は基より我国最近に於ける私学尊重の思潮等より推考するも、必ずやその成功を期し得べきものと信ず(以下略)」

こう書く人にとって、「慶應義塾の目的」はとても「我が意を得たり!」といったものだったでしょう。

本塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず、其目的は我日本国中に於ける気品の泉源智徳の模範たらんことを期し、之れを実際にしては居家処世立国の本旨を明にして、之れを口に言ふのみにあらず躬行実践以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり

確かに、「義塾」という言葉は「パブリックスクール」の訳語として福澤諭吉が作った言葉ですよね。秋山好古も正に「パブリック」を育成する重要な教育機関として「私学」を大事にしようと考えていたのでしょうね。
今の「高校無料化」と言って国の施策と決めた人たちに是非とも読ませてあげたい文章だと思います。

「秋山好古と私学」に7件のコメントがあります

  1. テレビで阿部好古、香川子規が
    福沢諭吉の「学問のすすめ」をセリフとして
    何度も聴かせてくれたせいか・・・
    塾高の自由研究で
    松山、好古がとりあげられることに・・・
    子規の野球熱がその後野球ブームを呼び、
    早慶戦実現に結びつき、綱町での試合で
    最初のスコアブックが・・・
    その後、今に至るまでアマでは早稲田式、
    プロでは慶應式が使われている・・・
    プロが慶應式を使っているのは
    フライとライナーの区別がないから。
    プロの打球はフライとライナーの区別が
    むつかしい・・・

  2. 司馬遼太郎は坂本龍馬が一番好き。
    坂本が暗殺されず維新政府に残ったら・・・
    昭和に入って非合理な軍に変貌することは
    なかった。
    もしかしたら
    そういう体質の薩長が龍馬を暗殺?
    今日から、もうひとつのドラマ
    自由人坂本龍馬を観たいと思います。
    岩崎弥太郎
    香川の演じる自由人も注目!

  3. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    塾高の自由研究は、いろいろと多岐にわたっており、しかもどこまで突き詰めるかは本人次第ですから、本当に慶應らしい形態ですよね。
    自分もスコアの真似事みたいなものをつけていますが、ご多分に漏れず早稲田式です。慶應式ってどんなものなんでしょうか?
    司馬遼太郎が「龍馬がゆく」で取り上げるまでは、坂本龍馬はどうやら志士の中でもあまり有名でなかったようですね。「皇后陛下の枕元に坂本龍馬が現れ、日本海海戦の行く末を語った」という有名なお話も、明治の頃薩長に比べて権勢があまりなかった土佐出身の田中光顕が、土佐の存在感を出すために作ったというお話もあるくらいですから。
    いずれにせよ坂本龍馬の自由な発想というのは今の世界に必要なものであると思うのと同時に、それを岩崎弥太郎の眼、しかもそれを香川さんが演じるというところに妙味を感じます。今度再放送はしっかり見ようと思います。

  4. スコアブック、慶應式
    グーグル検索でたくさん情報が出てきます。
    早稲田式はアマ、
    慶應式はプロで使われているため、
    一般には早稲田式。

  5. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    早稲田式の方が視覚的にわかりやすい面はありますが、慶應式の方が明快だし、なにより普通のノートに書けそうなところが魅力的です。ちょっと勉強してみようかなと思いました[E:happy01]

  6. 黄色と黒は勇気のしるし♪さん
    コメントありがとうございます。
    年末から年始にかけて、幕末-明治を取り上げた本がたくさん書店に並んでいましたね!目移りしてしまって大変です[E:coldsweats01]

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