金正日総書記死去に対する反応

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昨日以来大きなニュースとなっている、北朝鮮の金正日総書記死去のニュース。
我が国のマスコミや野党の各党は、相も変わらずこれをもネタに政府を叩いています。

初動対応に批判強まる…矛先は首相・山岡氏(From YOMIURI ONLINE)
北朝鮮の金正日総書記の死去を受けた政府の初動対応に野党の批判が強まっている。
 野党は19日の安全保障会議を欠席した山岡氏の更迭要求を強めているほか、北朝鮮の特別放送が始まった19日正午に官邸を出発し、東京・新橋で予定されていた街頭演説にいったん向かった野田首相の対応にも矛先を向けている。今後、閉会中審査などを通じて、政府を追及する構えだ。
 政府の初動対応では、北朝鮮メディアの特別放送が19日正午からあると報道されていたにもかかわらず、首相や閣僚が適切な対応をしなかったのではないかという点が問われている。
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確かに自分も早々にすべきことをやっていないと思います。が、それはなだしお号のゴルフ以来の、何か起こる時にどこにいたかとかそういった問題ではありません。
かりそめにも一国の元首が亡くなった際にすべきことは何かということです。つまり、弔意の表明です。表現方法は気を遣うにせよ。
なんで拉致事件を起こした北朝鮮に対して?ということを思われる向きもあるかもしれませんが、過去を振り返ればもっと究極的な状況にありながら敢然とこれをなした首相がいます。
それは昭和20年4月、まさに太平洋戦争の終盤で、血で血を洗う戦いを繰り広げていたアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが亡くなった時です。ナチスドイツのヒトラーが口汚く罵ったのと対照的にこのような声明を発表しました。

「今日、アメリカがわが国に対し優勢な戦いを展開しているのは亡き大統領の優れた指導があったからです。私は深い哀悼の意をアメリカ国民の悲しみに送るものであります。しかし、ルーズベルト氏の死によって、アメリカの日本に対する戦争継続の努力が変わるとは考えておりません。我々もまたあなた方アメリカ国民の覇権主義に対し今まで以上に強く戦います」
(From WIKIPEDIA)

自分はこういうのが外交であり、政治だと思います。今の政治家は余りにも世論に阿り過ぎです。保守派の人が中国・韓国が歴史問題に絡めて靖国問題を持ち出すと、いつも「日本人は死者にむち打つことはせず、神として祀る」とか言っているではないですか。であれば、今までの恩讐はさておき、弔意を表明し、今後の何かの発展につなげる布石を打つべきだと思うのです。
韓国はやはり隣国、同民族、未だ休戦状態という状況がそうさせるのか、きっちりこういった行動をしてきました。緊張感のあるいい対応だと思います。

金総書記死去:韓国政府が弔意 弔問団は派遣せず(From 毎日jp)
 韓国政府は20日、金正日総書記の死去を受け、「北朝鮮の住民にお悔やみを伝える」(統一相)と弔意を表明した。94年の金日成主席の死去に際しては弔意の表明を見送り、南北関係が冷却化した経緯がある。
 政府は今回、弔問団は派遣しない。ただし、韓国の金大中元大統領が死去した際、北朝鮮は弔問団を派遣しており、この「返礼」として遺族らが弔問を目的に訪朝することは認める方針を示した。
 北朝鮮は「外国からの弔問団は受け入れない」と表明したが、過去には同様の表明をしても韓国からは受け入れた経緯があった。

最近の日本は、いつも自分が傷ついたらどうしよう、迷惑を被ったらどうしようばかりを気にし過ぎなように感じてなりません。確かに支持基盤が脆弱な次期政権が引き起こす不安定がどんな混乱を呼ぶか心配するのももっともです。ただそれ以上に、こういった状況下において日本という国がどういうメッセージを発し、どういった行動をするのかをもっと考えるべきだし、マスコミもそういったことを主張すべきだと思います。
最近ずっと書いていることなのですが、リスクばかり気にして何もしない日本を、いいかげんにどうにかしませんか?「一身独立して国独立す」です。それを作り出すのは、国民一人一人の気風だと思うのです。

「金正日総書記死去に対する反応」に2件のコメントがあります

  1. 大東亜戦争後、「軍事力」でのバックアップのない日本は、どこの国も恐れることはありません。
    国民が自国を守る意識も教育もされていません。何を嘆いてもこのような国家は、地球上に日本しか存在しません。拉致被害者が解決しないどころか、何も進展しないのがいい例です。
    韓国は砲撃を受け、死者が出ても我慢しています。中国人の船長に自国民が殺されても我慢しています。しかし、日本に対しては、強行的に島に建物をつくり、軍を常駐させ実質支配しています。
    これに対し、厳重な抗議など、100万回唱えたところで、撤収することはありません。先の大戦で10代の若者が命を捧げた国は・・・。靖国神社さえ問題提起でお参りしない議員がいる国です。
    他国に行けば、献花をするのに、自国の為に亡くなった方々に哀悼の意を表すことはない。
    色々な考えがあるのでしょうけど、国を守って亡くなった方々に対しての気持ちは一つではないでしょうか。マスコミが煽ったりすることもありますし、この国はやはり、米国の属国として生きていくしかないでしょうね。今のままでは。

  2. 三角ベースさん
    隣国に強大で野心的な国があることはどこも望まないでしょう。
    それゆえ、各国が日本に対して行ってきた工作もある意味理解出来ます。長く続いた江戸時代の結果、支配階級としての道徳心を持った(撫民思想)武士と、一般民衆の底上げ(識字率、向学心など)が対外的危機感を抱いて作り上げた明治日本。唐突に現れた新興国に対して、一層の警戒感を持ったことも不思議ではありません。
    今中国が空母を持つとかで騒ぎになっていますが、戦時中の日本の空母保有数を考えてみると、いかに凄い海軍となっていたかを思い知らされます。大体空母主体の機動部隊同士の戦争なんて、日本とアメリカ以外に経験しておらず、そのこと一つ取っても二度と立ち上がらないように、いろいろと策を凝らすのも当然でしょう。
    それが終わったと思ったら、今度は強烈な経済発展。自国の経済が脅かされると知るや、強烈な攻勢に出る。最近では理屈を越えたトヨタ叩きにも見ることができます。これまた、自国を守るためには当然でしょう。
    問題はそれを良しとするのか否か。幕末の日本は植民地化の渦に巻き込まれることを良しとせずある者は攘夷に、ある者は開化に進み、あのような国家を作りました。
    攘夷を行った結果、馬関戦争や薩英戦争で苦労したり、開化を行った結果中国利権で多くの国とぶつかったりしてきました。相手の思惑に従わないとしたから当然でしょう。でも立ち向かう勇気・覚悟がありました。
    今の日本に、国際間における国力をいかに高めるべきかを論ずる空気はあるのでしょうか?せいぜい、外国からの攻勢に対する危機感や国に対する一種の諦観しかないのではとすら思います。やられることを前提にするのでは無く、いかにして日本の地位を作り上げていくか。これに対する国民的な議論があって然るべしだと思うのです。
    あんな独裁者、しかも拉致の本質的な推進者とも目されている金正日総書記になぜ弔問を?という論調を見る度に、ため息が出ます。丁重なる弔意を示した上で、拉致問題を含む未解決の問題解決に向けた断固たる決意を再表明するといったことがどうして出来ないのでしょうか?そう思って書いたのがこの記事でした。
    そうしたらちょっと後にこんな記事も。
    http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/12/22/kiji/K20111222002295470.html
    やはり拉致問題を動かしただけのことはある人物ですね。被災地が地元であるにも関わらず地元に一回も戻らず、それを気にしていて、ようやく正月に戻るらしい大政治家とは大違いです。
    国を国たらしめんには、国民が国を守る気概が必要であり、おっしゃるように今のような状況が続くと、米国の属国、周辺諸国の御用聞き程度の国になってしまうかもしれませんね。しつこいですが、「一身独立して国独立す」ですよね。

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