天安門事件30周年を迎えて


かの有名な天安門事件から、30年が経ちました。

こういった記事を、webではみかけます。

つまり、

◇日本を「突破口」に

中国・北京郊外の万里の長城を訪問された天皇、皇后両陛下(当時)=1992年10月(AFP時事)

 89年12月、日本の対中姿勢を非難したスコウクロフトが実は同年7月初めに極秘訪中し、トウ小平と会談していたことが判明した。外務省では、米の「二枚舌」外交に怒り心頭だったが、栗山は「日本は早く円借款の凍結解除をしたい思惑があったのである意味渡りに船で、今度は日本が米側を利用した」と実情を明かした。
 92年には中国側の求めに応じて天皇訪中が実現した。慎重な対中外交を取るべきだと主張した橋本が、駐中国大使でありながら一時帰国を繰り返し、難色を示す自民党有力議員を説得し、実現の立役者になった。しかし当時の中国外交を統括した銭其シンが後に回顧録で、西側諸国による対中制裁を打破する上で天皇訪中を利用したことを認め、当時の外務省幹部は中国に裏切られた思いを強くした。
 日本の柔軟な対応を「突破口」に国際社会に復帰した中国は急速な経済発展を続けたが、「経済成長すれば民主化に向かう」との世界の期待は外れ、既存の世界秩序に挑戦する「強国」となった。天安門事件後、中国を手助けした日本外交は評価の分かれる所だ。
 今、あの時の日本の対応に対しては中国の民主派知識人から批判も聞かれる。ある日本の現役外交官は「中国の体制の閉鎖性や限界など本質的な姿を見抜くべきであったかもしれない」と漏らした。

といった類のお話です。

でも自分は、「柔軟な対応をしたが、結局中国は民主化されなかった」ことを悔いる以上に、日本として悔いるべき事があると思います。

この天安門事件を契機に、中国共産党が自らの統治のため、正当性の再定義を行いました。すなわち共産主義革命により、今までブルジョア階級が牛耳っていて虐げられていた人民を救い、人民のための政府を樹立したというストーリーから、100年の恥辱の時代から中国を救い、世界に冠たる強国に導く政府というストーリーに一大転換を行いました。
そして、そこでかなりの部分を割いて強調されたのが、日本による中国侵略とそれに対する深い恨みと激しい怒りを植え付けることであり、年少期からの教育でした。

つまり、天安門事件を契機に西側諸国から経済制裁を受けていたが、日本はそれなりの思惑もあったものの、国際社会への復帰のために尽力し、実際に中国は復帰を果たす。
しかし、その恩を仇で返すかのように、愛国教育強化に伴う反日教育を徹底して行うようになり、寧ろ日本に対する敵意を深めるようになった。

この流れに対してこそ、日本は悔いるべきではないかと思うのです。なので、最近目にするネットでの天安門事件の日本の対応の論評について、違和感を覚えます。

やはり相手の国の政府の性格、歴史上の立ち位置ということは意識した上で、外交は考えないといけないのだろうと改めて思います。

それとは別に、こんなのも見つけました。タイトルは「中国と私、40年のかかわり~今の中国を考える」です。とても興味深いことが書いてあるので、是非ご覧下さい。

長く中国と関わっている方だけに、含蓄がありますね。自分はこの方の考え方に共感します。


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