伝えることと決意の違い〜病院での説明を聞いて

今日は午後3時から彼の今後の治療方針のカンファレンスがあるということでしたので、現場を抜け出し、そのまま病院に向かいました。
そこで担当の主治医の方からは以下のような流れで説明がありました。
1)まずは2月に入ってから撮影したMRIの画像を見せ、そして入院当初のCTの画像も見せ、白く写っている部分がダメージを受けている箇所で、この画像で言うと側頭葉・前頭葉(大脳)がダメージを受けていて、変わっていない。脳幹は無事なので自律呼吸等が出来ていると思う。
2)意識が無く嚥下が見込めない状況なので経口補給は諦め、まずは胃瘻を作って栄養の補給が行えるようにする。気道挿入している菅も取りたいが痰が出ている状態であり、菅を取ることには大きなリスクを感じる(つまり痰を管で取ることが出来ず、鬱積して呼吸困難等に陥る可能性がある)ので、まずは少しづつ管を細くしていく。これを治療方針とする。
3)意識がどこまで回復するかはなんとも言えない。ただ今日の状況を見ても彼は確かにわかっていると思う。音では無く言葉として。運び込まれてきた時の状況からすれば、奇跡と言っていいくらい。但しどこまで回復するかは、過度の期待は難しい。
4)当院の考え方というのでは無く、国の制度として急性期病院でずっと治療をしていくことは難しい。どこかの段階で療養期型のところに行くか、在宅介護に切り替えるしかなくなる。それは頭に入れておいて欲しい。目安として3ヶ月以上の入院は難しいもの。但し、生命維持がしっかり出来るようになるまでは当院で治療はしたいと考えている。
5)在宅介護は患者の状態で判断するものでは無く、介護する側の問題。例え人工呼吸器が付いている状態でも在宅介護は出来る。在宅介護で状況が良くなることもあり、是非考えておいて欲しい。
6)他院で行っている他の治療法について否定はしないし、様々な手段を考えるということは自分は大事だと思う。話しを聞くために紹介状や医療情報が必要なら、それを用意することは全く問題無い。
7)ただ医学とは関係無いかもしれないが、やはり家族からの声掛けや祈りというのものは、大変大事だと思う。
8)今までの状況ではリハビリ云々の前に、どうやって人工呼吸器を外すかとかいった生命維持の方に問題があった。ここ2週間くらいの状態も良いことから、今後のリハビリ(ここでは理学療法の他に鍼や高気圧酸素療法も行っています)の方法も再検討していきたい。但し他に器具があったりするわけでもなく、またリハビリ病棟に行っても同じようなことしか出来ず
9)いずれにせよ劇的に改善することはなく、治療も長い目で見てほしい。
というお話しでした。自分なりには、まあそういったところになるだろうし、彼の立場からしてもそれくらいしか言えないだろうなあと。誇張するわけでも無く、また柔軟な考え方も示しているとも感じたのですが、やはりご親族からすればそうも言っていられないわけです。
せっかくここまで来たのに、ここで「はい、お終い。あとはご自宅で。」と言われるわけにはいかない、他の新しい方法にもトライせずに、ただ惰性で行ってもらっても。こちらは何としてでも回復して貰わないといけないのに。
どうしてこんな風にお互いそういったつもりはなくても、うっすらとした不信感が出てしまうようになってしまうのか。
そう言えば同じような感覚になったことがありました。この前のインフルエンザかも騒動の時の推定モンゴル人の夜間外来の時のお話(病院で待っていた時のこと)です。
両方とも、とにかく最初にリスクの明確化と説明を重視する余り、すなわち制度上であったり、どうにもならない状況であったりをくどいくらいに説明しようとしていました。確かに言っていることはわかるのですが、今回のご親族もそうですし前のモンゴル人(多分)もそうですが、そういったことは事前に理解した上で、その上で何が出来るのかを聞きたかったわけです。でも彼らはなまじっか確信の無いことを言ってしまうと、後で何かが起こった時のリスクを心配し、安全運転に終始するわけです。これまた、最近自分がよく言っているリスクを取ろうとしない日本人にもつながり、そこら中に役人みたいな人だらけになってしまっているように感じます。責任を取りたくないですからね。
でもそれに終始している限り、状況を打破も出来ないし、また解決も出来ない。ひいては聞いている人たちを余計苛立たせるだけなんだと思います。
今の状況と伝えることも必要でしょう。但し今の状況を理解している人も彼らが思っている以上に多いわけです。そういった人たちはきっと伝えてくれることを望んでいるのではなく、一体この状況でどうしようとしているのか「決意」を聞きたいのだと思うのです。それが素直に出せない今の状況に、いささかの疑問を禁じ得ません。
とは言え、こういった状況下で自分が生きているのも事実です。社会に対して唾を吐いても仕方なく、まずはそういった人たちに対して、いかに自分たちの信念に基づいた行動を取って貰えるようにするかが大事なのでしょう。今回の状況であれば、彼らが心配しているリスクに対しては否定した上で、いかに前向きなことを出来るかを話せる環境作りをするかが大事なような気がするので、そういったことのお手伝いが少しでも出来ればと思います。
ちなみに、今回のお医者さんの言葉にもあったように、この前の日曜日から彼の調子が更に良くなってきており、手も足も活発に動くようになっています。言った言葉そのままに動くことはまだ無いのですが、時折は指示通りということもあります。これは自分が勝手に思っているだけですが、ツボを刺激したりすると脳の血流が良くなると言うMRIの結果もあったみたいですし、兎に角痛かろうがなんであろうが、グリグリツボを刺激する。そうすると身体に明確な動き、そして表情にも変化が出てくるのです。今では右半身も動くようになってきて、今日は右手の合谷のツボを思いっきりグリグリやったら、右膝を100回以上上げ下ろししていました。きっと彼はもう意識が戻ってきているのだと思います。ただ余りにもまだ身体が意のままに動かすことが出来ない状態なんだと。これは確かに治療と言うよりはリハビリなのでしょう。いろいろな刺激、動きをみんなで与えながら、彼と再び会話が出来るように、これからも頑張っていきたいと思います。
彼はとても頑張っています。後はどうやってコミュニケーションを取るかですね。とにかく信じて頑張るのみです。

「伝えることと決意の違い〜病院での説明を聞いて」に7件のコメントがあります

  1. 縁起でもないのではばかられますが、父の終末期と同じ状況です。
    まず困ったのは母の生活費、父の医療費の見積もりです。
    父が銀行家であったため1億3千万円の殆どが国債と定期預金で普通預金は600万円しか
    なかったからです。国債と定期は本人でなければ解約できません。
    法定後見人をたてるのに最低3カ月、たてても裁判所のチェックが厳しく介護との両立が困難です。
    子供が立て替えることも可能ですが贈与税がかかってきます。
    父は高齢でしたので普通預金残金160万円で死去。
    その後妻の友人で40歳からほぼ20年同じ状況のご苦労を知りました。
    私と弟は定期預金を半分解約し普通預金にしました。普通預金でさえ100万円以上は銀行が
    警戒しますので、妻の名義に毎月少しずつ移動しています。
    国債については解約すると損だと証券会社のプレッシャーが強い。
    短期の国債も償還期の来年ですが継続しないつもりです。

  2. 普通預金でも100万円以上の引き下ろしは銀行が警戒します・・・
    高齢者が引き出す場合、詐欺の恐れがあるからです。

  3. 例えが悪いかもと思われるかも。でも、家族同然でしたから…もう十四年前でしたか。飼っていた犬がある朝突然に。直ぐ様、近くにある動物病院に連れていきました。(父と母が)後日結果がでますからと言われて帰ってきました。半分治る半分…でも。しかし、ハッキリと言われて我々家族はよかったですよ。変に期待させられるより。 ただ、その時も、モチロン信じてましたよ。
    それだけです。私も応援してます。力になれないかも知れませんが。。

  4. 複雑な思いお察しします。命に係わる職業である以上、医師が希望的観測に基づいて所見を述べることはないと思います。但し、その医師の人間性が言葉の端々に必ず現れるはずなのでそれを見逃さないことだと思います。ご快癒を引き続きお祈りしています。

  5. 文武両道さん
    コメントありがとうございます。
    病に倒れるともちろん回復をどうすればいいかとかが主眼となってはきますが、それを支えるのはやはりなんと言っても金銭面となってきます。働き手の男性の場合そうでなくても収入が減ったり無くなったりする中で、高額の治療費をどうやって賄うかは大事な問題だと思います。
    今の政策の一つの特徴だとも思いますが、視野が狭く、話題になったことのみの解決に邁進し、他の面が不便になることがあります。預金の引出にしても、高齢者の振込詐欺対策として等しく年齢制限をかけたことから、こともあろうに加藤寛さんが銀行で振込が出来ずに、窓口で吠えたみたいなという笑い話みたいな話しも耳にしたことがあります。
    とはいえ、仕組みは仕組みですから、我々としても万が一の時に他の人に迷惑をかけないように、その手段を考えておく必要はありますよね。大変参考になりました。どうもありがとうございます。

  6. 黄色と黒は勇気のしるし♪さん
    コメントありがとうございます。
    確かに期待させておいて、ガッカリ・・・、というのもきついですよね。
    説明を受ける患者側としても、相手の真意がどこにあるかを見極めることが必要でしょうし、説明する医師側としても相手の理解度を見ながら、どこまで話すのがいいのかを見極めることが必要なんでしょう。
    やはり人と人とのコミュニケーションスキルが一番の問題ですね。
    応援して頂いていること、本当にありがとうございます。我々としても大変大きな力を感じております。こういった一言だけでも力が湧いてきますよ。重ね重ね御礼申し上げます。

  7. kktfさん
    コメントありがとうございます。
    おっしゃるように、「医師の人間性が言葉の端々に必ず現れるはずなのでそれを見逃さないこと」、本当に大事ですよね。同じ言葉を聞いてもその時の精神状態で、違った捉え方をすることは日常生活でもよくありますよね。こういった切羽詰まった状況下でそうなるのもむべなるかなといったところです。だからこそ、しっかりと支えとなるように、自分も頑張っていきたいです。
    いつも温かいお言葉を頂戴し、本当にありがとうございます。

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