まわりくどい記事でした

前回の記事はまわりくどい記事でしたね・・・。
よく出てくる国旗国歌問題で、必ず出てくる論調があったので、その出題校にひっかけながら、つい皮肉的な問題を作ってしまいました。自分の性格の悪いところです。
ここで自分が言いたいのは、国旗国歌というものの存在意義のお話しと、戦前の反省問題をごっちゃにすること自体がこっけいである。つまり、関係の無い2つを無理にくっつけているだけは変だということです。
早稲田大には中国の要人は殆ど寄りません。なぜでしょう?問題文にも書いたとおり、対華21箇条の要求の首謀者だとされているからです。だからと言って、早慶戦(敢えてこちら側で)で早稲田の校歌を歌うこと、並びに校旗の元にエールをかけることが中国侵略の歴史を賛美していることには繋がらないわけです。
よく「君が代」は天皇賛美でありうんちゃらかんちゃらという論議もあります。近隣諸国を始め、他国に対する配慮が足りないと。
でもそれこそ近隣諸国を含め、各国の国歌というのは戦争賛歌の様な歌詞が多いことを知っていて言っているのでしょうか?

中国
いざ立ち上がれ 隷属を望まぬ人々よ!
我等の血と肉をもって
我等の新しき長城を築かん
中華民族に迫り来る最大の危機
皆で危急の雄叫びをなさん
起て!起て!起て!
万人が心を一つにし
敵の砲火に立ち向かうのだ!
敵の砲火に立ち向かうのだ!
進め!進め!進め!
「義勇軍行進曲」は、中国映画「風雲児女」の主題歌であった。1935年に詩人の田漢が作詞、聶耳が作曲。この映画は、中国の東北地方で抗日運動に立ち上がった人々を描いたノンフィクション。国旗の赤は純粋を表し、中国では国旗を「紅旗」と表記する。左上の大きな星は中国共産党および人民政治協商会議を表わし、4つの星はそれぞれ労働者、農民、知識階級、愛国的資本家を象徴する。
アメリカ
1.
おお、見えるだろうか、
夜明けの薄明かりの中
我々は誇り高く声高に叫ぶ
危難の中、城壁の上に
雄々しく翻(ひるがえ)る
太き縞に輝く星々を我々は目にした
砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中
我等の旗は夜通し翻っていた
ああ、星条旗はまだたなびいているか?
自由の地 勇者の故郷の上に!
3.
戦争による破壊と混乱を
自慢げに断言した奴等は何処へ
家も国もこれ以上我々を見捨てはしない
彼等の邪悪な足跡は
彼等自らの血で贖(あがな)われたのだ
敗走の恐怖と死の闇の前では
どんな慰めも傭兵や奴隷達の救いたりえず
勝利の歓喜の中、星条旗は翻る
自由の地 勇者の故郷の上に!
1812年に始まった米英戦争で、詩人・弁護士のフランシス・スコット・キーは1814年(当時35歳)、英国艦隊による激しい夜間砲撃を耐え抜いた星条旗を目にする。彼はこの体験を元に「マクヘンリー砦の防衛」という詩を書き上げた。この彼の詩が、当時人気のあった酒飲み歌「天国のアナクレオンへ(To Anacreon in Heaven)」のメロディーにあてられ、1931年3月3日にアメリカ合衆国の国歌に正式に採用された。
フランス
1.
いざ祖国の子らよ!
栄光の日は来たれり
暴君の血染めの旗が翻る
戦場に響き渡る獰猛な兵等の怒号
我等が妻子らの命を奪わんと迫り来たれり
<リフレイン>
武器を取るのだ、我が市民よ!
隊列を整えよ!
進め!進め!
敵の不浄なる血で耕地を染めあげよ!
5.
我等がフランス人よ、寛大なる戦士たちよ
攻撃を控えることも考えよ
我等に武器を向けた事を後悔した哀れな
犠牲者達は容赦してやるのだ
ただしあの残虐な暴君と
ブイエ将軍の共謀者等は別だ
冷酷にも母体を引き裂いて生まれ出でし
暴虐な虎共には容赦無用なり!

これと比べて

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌となりて
苔のむすまで

と言う歌詞のどの辺りが、「日本が犯した戦争の過ちを正面から認めることを拒む政治思潮」につながるのでしょうか?もっと言えば「戦争の過ち」とはB級戦犯が裁かれた戦争犯罪行為のことか、それとも戦争そのものかもよくわかりません。
こういったことを入試問題にすることを問題視する記事もありましたし、だからこそ反骨の早稲田だ!という記事も見ました。ただ、私はそれ以前に出題者自身の論旨が定まっていないように感じるのです。だからこそ、皮肉の一つでも言いたくなったのです。
私のとても個人的な意見を言います。
国旗国歌はその役割自体が国に対する帰属意識と、この国を守ろうという気持ちを一つにしようとする目的のためだと思います。そもそも旗をなぜ打ち振るのかと考えれば自明の理です。
今の日本には一応国旗国歌法で日の丸が国旗で君が代が国歌だと定めています。法治の原則からしても、国旗国歌に敬意を払うことは当然だと思います。
国旗国歌問題で否定的な意見の人には、国旗国歌という存在そのものがいけないのか、それとも日の丸君が代がいけないのかをはっきりしてもらいたい。但し、国旗国歌が無い国歌というのは殆ど無いこともお忘れ無く。国旗国歌が必要だと言うことで、今の日の丸君が代がいけないというなら、はっきりと違う国旗国歌を定める運動をした方が余程建設的だと思います。
日の丸は古くは慶長遣欧使節の時に国旗扱いで掲げられています。君が代については、政治的中心地から一歩離れたところに超然とした権威があることは素晴らしいことだと思いますし、実際に今上天皇陛下を見てもこれほど無私の心で、国民の幸福をひたすら念じるその姿勢は、他には例を見ないのではないかと思っています。そんな君が代が千代に八千代に続いてほしいなあと思うので、これまた日本にふさわしい歌だと思います。他国と比べてもとても平和的な歌詞にしかみえません。
そして国旗国歌の役割を考えると、それに敬意を払うかどうかを教育現場で争うのは間違っていると思います。それは政治的な問題であり、言葉通り政治の場で闘うべきだと思います。子供を人質に取るかのような行為は、明らかにおかしいと思うのです。
それとは別に、「起立」という行為でいいか悪いかを判断するというのも、なかなか難しいものです。処分もいいのですが、それよりは事前に反対であるかどうかを本人に表明させ、反対ならば式典には参加させない。もし起立を促してもしないのであれば、校長の職権により退場させる方が素直ではないかと思っています。

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